Side C - Part 5 日没まであと四分
Phase:03 - Side C "Suzuka"
「……待たせたな。行こう」
「ご理解に感謝を。大講堂はその階段を下りた先で右に曲がり、廊下をまっすぐ進んで突き当たりのところにあります」
「ちなみにパイセン、日没っていつ?」
「五時三分です」
「あと四分しかないやんけ!」
先輩へ恐れ知らずのツッコミを見舞った工藤が、私を抑えつけていた手を離した。二人連れ立って弾かれたように走り出し、すぐ近くの階段室へ飛び込んで、そのまま飛び降りる勢いで下を目指す。
最下層に着くと目の前が開け、L字型に伸びる廊下の途中に出た。一ノ瀬先輩の話では、ここを右折して道なりに進めばいいんだったな。
「走るよ、リンちゃん!」
「分かってる!」
先ほど拒んだ手を、今度は私のほうから取る。ギャルが驚いた表情を浮かべ、すぐに笑ってしっかりと手を握り返した瞬間――窓の外で、午後五時の時報を告げる防災無線のサイレンが鳴った。
「あと三分だ。急ぐぞ、工藤!」
「かしこまり!」
案内された避難経路は一部がガラス張りになっていて、外の様子をうかがい知ることができた。曲がってすぐ右に見えたのは、ふたつの校舎に挟まれ、大きなケヤキの木がそびえ立つ中庭。その一角は先ほどまでいた保健室に面している。
現在地はA棟一階の廊下、目的地までは直線距離にして八十メートル弱。その終端が大講堂という話だから、道に迷う心配はない。
(入学早々、体力テストをさせられるとは予想外だったが……大丈夫、まだ走れる。私はまだ本気を出していないだけだ……!)
息を切らしながら、左手に設けられた第一・第二美術室の前を全速力で通過する。右側の窓の外、中庭を挟んで保健室の向かいに見える白い建物が、このキャンパスの中枢――図書室を一階に持ち、二階に教員室を抱える管理棟だ。
この廊下には、管理棟に直結する階段が無い。教員室へ行く場合は、一度手前の黒いドアから中庭に出て、図書室の前を迂回しなければならないようだ。
セキュリティ上の観点からあえてこうなっているのかもしれないが、これはいささか不便だな。A・B各校舎の二階からアクセスした方が断然早い。
「リンちゃん、大丈――ひゃああっ!」
「工藤!」
走りながら〈Psychic〉の校舎案内図とにらめっこしていると、その不便な通路につながる扉が突然開き、その向こうから伸びてきた腕がギャルを力づくで中に引きずり込んだ。
何が起きたか問う間もなく、私の身体も脇道へ引っ張られる。工藤と手をつないでいたことで、追随を余儀なくされたのだ。
「――お静かに。図書室の前ですよ」
私たちがなだれ込むようにして扉をくぐると、誰かが素早くそれを閉じた。音に気づいて振り向くと、視界いっぱいに色白で細い指を広げた手が伸びてくる。
骨格の特徴、ちらりと見えた小指の爪から、私はそれを女性のものと推測した。
「強引な手段を取ったことについては謝罪しますが、近くに強い磁気嵐の反応があります。こちらの存在を知らせかねない言動は慎んでください」
落ち着き払った声の主に口をふさがれ、私は驚きに目を見開いた。
猛禽類のような鋭い目、ウルフカットの黒髪。飾り気のない黒一色のパンツスーツに、無骨な安全靴。防衛省所属の自衛官を名乗り、共闘を誓ったあの女性が、一年前と変わらぬ姿で私の前に現れた。
「しーちゃむ! びっくりさせんなし!」
「四弦です。高野四弦。まったく……貴女は目上に対する口の利き方がなっていませんね」
「あーっ、リップ取れた! 最悪!」
「先月まで中学生だった子どもの分際で、大人の真似などするからでしょう」
高野と名乗った女性の手を引っぺがし、ギャルが小声で抗議した。二人は旧知の仲だったのか? ますますきな臭くなってきたな。
だが工藤、お前のおかげで一年越しに彼女の名を知ることができた点は褒めてつかわそう。
「久しぶりですね。貴女とご友人はお変わりありませんか」
「妙な質問だな。国の人間ならば、要保護対象者の動向は把握しているんじゃないのか?」
「知りません。貴女たちは私の担当外です」
すると、工藤が「出た、回答拒否のお役所構文!」と横から口を挟んだ。痛いところを突かれた自衛官は顔をしかめ、刺すような目でギャルをにらみつけたが、この能天気女にはノーダメージのようだ。
「ってか、おカタいのよしーちゃむ。普通に『うぇ~いリンちゃん、元気~?』でよくね?」
「貴女は日本語も満足に話せないのですか? 育ちの悪さが露呈しますよ」
「? ウチは元からこういうキャラよ?」
「こちらまで知能が退化しそうなのでもういいです」
高野さんは理解不能とばかりに額へ手を当て、首を横に振った。彼女が閉ざしたドアの向こう、さっきまで私たちがいた廊下に騒々しい足音がこだまする。
黒く重い鉄扉には四角い窓がついていて、そこから廊下の状況が見えた。はす向かいにある階段から、誰かが慌てて駆け下りてくるようだ。
「二人とも、少し離れてください。何者かがこちらへ接近しています」
「およ? 確か、あの男子……」
現れたのは、朝に大家の悪口を言っていた男子三人組のうちのひとりだった。怯えたようなその顔からは、心なしか血の気が失せて見える。
よほど焦っているのだろう、男子生徒は中段で足を滑らせ階下に転げ落ちた。冷たい床に人体が叩きつけられる音と悲鳴が響く。
『あっ!? うわああああああ!』
「う~わ、あれめっちゃ痛そ~」
「まあまあの高さから落下しています。軽傷で済んだとしても、すぐには立ち上がれないでしょう」
彼は床の上で痛みにのたうち回りながら、しきりに上階を気にしている。
何だ? 上に何がある? お前はそこから――何から逃げようとしているんだ?
『来るなっ……来るなぁぁぁぁ!』
『なンでニげルんだよ。オれたち、トモだチだロ?』
『聞いてない、こんなの聞いてない! 学校は安全地帯じゃなかったのか!?』
その視線の先から、壊れたボイスチェンジャーを通したかのように狂った音程の声が聞こえてくる。まともに聞き取ろうとすると、頭がおかしくなりそうだ。
一段、また一段と誰かが階段を下りてきた。暗がりに阻まれ、私の位置からでは相手の貌をはっきり拝めない。
「七海。貴女の報告によれば、彼は羽田氏の悪口を言っていたそうですね」
「そう! アイツとその友達、キング・オブ・クソ。都合のいいこと聞く耳ばっかいっぱいあって、あることないことデカい口で好き勝手しゃべってさ――」
「では、あの姿はさしずめ因果応報といったところですか」
「んえ?」




