Side C - Part 4 信じてはいけない女
Phase:03 - Side C "Suzuka"
「澪、澪。聞こえているか?」
「う、んん……」
「もう夕方だぞ。いつまで寝ている」
横たわる幼なじみの顔に、外傷や異常は見受けられない。やはり、自身に直接的な実害が及んだショックで精神を閉ざしているのだろうか。
以前明かしたと思うが、澪と私とその家族は日本政府に保護されている。目立たない形で警護がつき、身の安全を脅かした者には容赦しない内容だ。
それでも、罰則をいとわずに襲いかかる者が出た――。国の威信を揺るがし、安全神話を崩壊させるにはその事実だけで十分だった。
「もうすぐ五時のサイレンが鳴る。起きろ、すぐに起きて避難しよう」
「……」
「アプリの情報は信用ならない。工藤と会う前に〝じきたん〟を確認した時は結界が有効だったが、今は【エラー発生】に変わっている。ここは安全じゃない」
「ん、ぅ……」
「起きて、私と一緒に逃げよう。必ず二人で家に帰るぞ!」
私は澪の肩を強めに叩き、耳元で呼びかけた。それでも彼女は目を覚まさない。
そうこうしているうちに、工藤が念話を終えて部屋に戻ってきた。ギャルは私を見るや「リンちゃん、ストップ! ストーップ!」と大声を上げ、澪と私を引き離す。
そこまでは想定内だったが、工藤は個室のカーテンを閉めるとそのまま私の手を引き、荷物も何も持たせずに外へ連れ出そうとするではないか。
「離せ、工藤! 澪を残して避難できるか!」
「あいたっ……天才がバカ言わないの、ここにいたら死んじゃうよ!」
「お前に何が分かる。私にとって澪がどれだけ大事か、お前に分かるものか!」
「ウチにはわからないくらい大事ってことはわかる!」
私たちはぎゃあぎゃあ言い争いながら、激しい取っ組み合いを繰り広げた。心の中で幼なじみに詫びつつ『もろびとこぞりて』を投げつけた抵抗の甲斐なく、程なくして工藤に背後を取られる。
金髪赤メッシュ女はバックハグの形で私の胴を抱え込むと、力任せに引きずって保健室の外へ連れ出した。くっ、こんなところで運動嫌いが裏目に出るとは……!
「みおりんは大丈夫、あとで必ず助けが来るから!」
「誰がお前にそう言った? さっきの念話相手か?」
「そんなの気にしてる場合じゃないって! 今だけでいいから、ウチを信じて!」
「澪を護れなかったお前の言うことなど信じられるか!」
工藤は、澪を襲った犯人を取り押さえる際、サッカー小僧と協力して凶器を取り上げたという。だから「護れなかった」という表現は不正確だ。
私はむしろ、彼女に礼を言うべきだった。友人を助けてくれてありがとう、と。頭ではそれが道理だと分かっているのに、プライドがそれを許さない。
お前に……お前のようなビッチギャルに、この私が礼など――!
「あー……ったく、めんどいなあ」
一瞬、腰に回された細腕の力が緩む。逃れようと身をよじった瞬間、視界が大きく傾いた。工藤が私の動きに合わせて身体の向きを変え、廊下の壁に押しつけるようにして拘束を試みたのだ。
両腕をあっさり後ろ手に取られ、なけなしの抵抗も封じられた私の耳元に、女はリップグロスでツヤめく唇を寄せた。
「信じられるか、じゃない。信じろって言ってんの」
「何を、馬鹿な……」
「みおりんもリンちゃんも、自分独りで抱え込み過ぎ。世界を元どおりにしたくて動いてるのは、二人だけじゃないんだよ?」
この女、合気道をたしなんでいるのか? 押さえつけられた両腕が、瞬間接着剤でも使われたかのように背中から引きはがせない。
口では適当なことを言っておきながら、工藤の行動は一分の無駄もなく洗練されている。やはりタダ者ではない、信じられない。信じてはいけない女かもしれない。
「今さら他人を信じて何になる? 誰も動かず、動こうともしない。救いのないこの世界で何を頼れというんだ!」
「そりゃもー、ウチらしかいないっしょ。ねー?」
工藤は私を拘束したまま、左手の廊下に問いかけた。職員室と教職員用昇降口の方角だ。周辺には澪とこの女以外誰もいなかったはずなのに、いつの間にか第三者の気配を感じる。
「ご安心ください。澪さんはわたしたちがお護りします」
「おつおつ~。あとお願いして良きです?」
「はい。良きです」
「あ、やべ。パイセンが変なギャル文法覚えちった」
私が鋭くそちらへ振り向くと、女の声が工藤に答えた。一年前に橋の上で耳にしたものとはまた違う、聞こえはいいがどこか作り物感が拭えない声。その人工音声に私は覚えがあった。
「生徒会副会長――ヒューマノイド、一ノ瀬マキナ……!」
「入学式の壇上でお会いして以来ですね、水原鈴歌さん」
不躾に正体を言い当てられても、ロボット少女は柔らかく微笑む。身長およそ一六〇センチ、私と同じくらいの背格好だ。
澪と同じセーラーブレザーに緑のリボン、膝丈のスカート、すらりとした脚を包む黒タイツ。そのすべてが絶妙なバランスで美しく調和している。あたかも魅せ方を徹底的に研究し、服装込みでひとつの芸術品として設計されたかのようだ。
「その節はどうも。生徒会長は不運な事故で入院中だとか」
「大事を取っての検査入院とのことですので、来週には復帰なさるかと。生徒会執行部にご興味がおありですか?」
アンドロイド、とりわけ人間を模して造られるヒューマノイドは、その精巧さが本家に近づけば近づくほど不気味なモノに見えるという。人類の生存本能に根ざす危機管理能力――人間によく似て非なる「何か」を嗅ぎ分けるセンサーに引っかかる、とでもいえば分かるだろうか。
こんな人間、存在しない。存在していいはずがない。そう確信した時点で、人間は本能的に相手との関わりを避け、嫌悪感を覚えるようにできている。
「いや。無い」
「そうですか。気が変わられましたら、九月の選挙で立候補をご検討ください。わたし、水原さんとぜひ一緒にお仕事してみたいです」
トゲのある返答も当たり障りのない世辞で受け流し、自然な所作で微笑みかける一ノ瀬先輩。彼女は浮世離れした美少女という一点において、清々しいまでの人でなしだった。
その象徴たるパーツが、背後から西日を浴びて絹糸のように光る銀色の髪。それを清楚ぶった髪型……目の色と同じ真紅のリボンを使い、頭の両脇で上半分だけツインテール状に束ねている。
なお、厳密にはツーサイド・ハーフアップという髪型らしいが、今はそんなことどうでもいい。
「では、積もる話はまたの機会に。お二人ともお急ぎください」
「どこ行けば良き? 大講堂?」
「はい。大講堂なら安全です」
「おけまる! ありがと、マキにゃんパイセン!」
正直なところ、二人とも信用できない。できないが、このまま時間切れを迎えることだけは避けるべきだ。まずは自分が逃げ延びねば、澪が助かっても生きて再会できない。
工藤に「少し待ってほしい」と断りを入れ、私は保健室に戻った。床に転がる一冊の本を拾い上げ、ホコリを払って、机の上に置き部屋を出る。




