Side C - Part 3 謎の同級生N
Phase:03 - Side C "Suzuka"
室内は白を基調とし、統一感のある清潔な空間にまとまっている。さながら町医者の診察室のようだ。入ってすぐの診察スペースにある簡易ベッド、保健室登校の生徒用と思われる数組の座席にも、特に変わったところはない。
目的地は右手の奥、より頑丈な作りのベッドが横並びに三台置かれているエリアだ。手前の二台は空いていて、一番奥だけ仕切りの白カーテンが閉められている。
「澪、いるか?」
「反応――ないね。まだ寝てるんじゃない?」
「だとしても寝過ぎだ。叩き起こす」
「リンちゃん、ステイ! そっとしといてあげなって!」
呼びかけても声どころか、衣擦れの音すら聞こえてこない。様子を見に行こうとしたところで工藤に腕を引っ張られ、私は煩わしさのあまりここがどこかも忘れて大声を上げた。
「生徒が気を失って倒れたというのに、付きっきりで看る者がいないとはどういうことだ。発作を伴う病でもあれば人命に関わる問題だぞ!」
「みおりんは何か病気持ちなの?」
「持病などあるものか、至って健康体だ。考えられるとすれば貧血だが、鉄分不足を指摘されたと言っていた記憶はない」
澪は今朝、私と同じ内容の朝食を摂ったはずだ。こっそり間食でもしない限り、健康な人間が血糖値の乱高下を起こすことは考えにくい。私がごく軽微な発病因子を見落としていたというのか?
否、そんなはずはない。澪は健康診断の結果で気になることがあると、私の親にデータを開示し解説を聞きたがる。決まってその場に立ち会う私は、彼女の健康状態を本人の次によく知っているといっても過言ではないのだ。
医者の娘が知識を総動員しても、発病に至る身体的要因で思い当たるものはない。ならば、こんなに長時間目を覚まさない理由は――
「状況的に、ショックで寝込んでんだと思うよ。クラスメイトに殺されかけて、大事な本まで傷つけられたんだもん」
「本?」
「ほら、それ。そこの『もろびとこぞりて』ってやつ」
工藤に示されたほうを見やると、側面に荷物が掛けられたままの学習机があった。紺色の取っ手にグレーの持ち手がついたスクールバッグなど、どこにでもあるじゃないか。
そう言いかけて、私は口をつぐんだ。カバンの側面で犬のイラストが微笑んでいる。腹と口まわりが白く、手足の先が茶色で、長くツヤのある黒い毛並み。両目の上、平安貴族さながらのくっきりとした「まろ眉」が特徴的な、バーニーズ・マウンテン・ドッグのキーホルダーだ。
「あれは……澪の荷物か!」
「もち、中身は見てないよ。プライバシーの侵害ってやつだかんね。起きた時、カバンが手元になかったら焦ると思って、ウチが今センに預けたのさ」
机に歩み寄ると、その上に置かれた一冊の単行本が目に留まった。いわゆる萌え絵が描かれたソフトカバーの表紙はぐちゃぐちゃに乱れ、頭からネコ耳が生えた女の顔には穴が開いている。
私は本を手に取り、穴を観察した。直径は小さいが、裏表紙まで完全に貫通している。不届き者は澪に対し、相当深い恨みを持っていたようだ。
「長い針みたいなので刺されかけた時、みおりん、とっさにこれを盾にしてさ。そんで、ギリギリ刺さんなかったの」
「長い針状の凶器だと? アイスピックか、錐か、千枚通しか?」
「んぇ~? ゴメン、ウチそういう区別わかんない。持つトコは短かったよ」
「ならば、錐ではないどちらかだな。この本の著者には礼を――」
改めて見た表紙の文字に、私の目は釘付けになった。絶賛捜索中のたい焼き男からミドルネームを抜いただけの雑な名前が、著者名として表紙に出ている。
澪は、自身に衝撃を与えたライトノベル作家の影響で本格的な小説を書き始めた。それ自体は本人からだいぶ前に聞いている。だが、憧れの対象が誰かを知ったのはたった今だ。
脳みそが下半身にありそうなあの男が本を書くとすれば、せいぜいサッカー論か自伝、人生観、メンタル論が関の山。澪が敬服するほどの教養と文才が備わっているとは思えない。やはり別人か?
「ちなみにリンちゃん、この人知ってる?」
「いや。まったく知らない」
「ウケる~、一周回って逆に注目されないやつ~。てか、そもそも売れてな……あ! みおりんには今のナイショね」
そして、気になる点がもう一つ――この女、たい焼き男とよく似ている。名字こそ異なるが金髪で、派手な外見と軽薄な言動に反し根が善人。全体的な雰囲気にも共通する点が多い。
私たちの行動指針に対する影響を考えると、佐々木は主役級の重要人物とみて間違いない。元から因縁のある大家と、趣味・思想を同じくする大林もその関連人物になっているはずだ。
では、工藤は? フルネームが開示され、現時点で澪と私、大林の全員と関わりがある。ここまで深入りしておいて、ただのモブで終わるはずがない。
「工藤七海――お前、何を知っている?」
ギャルは私の問いに目を細め、得意げに口の端を吊り上げた。窓のすぐ外を、カラスの群れが騒がしくわめき立てながら飛び去っていく。
相手は次にどう出るだろう。裏切り者のポジションであれば、口封じしようと襲いかかってくる可能性もある。油断はできない。
「らしくないね、リンちゃん。それ言うなら『どこまで』知ってる、っしょ?」
「……ッ!」
少し距離を取り身構えていると、室内に突然アップテンポなメロディーが響いた。最近、私たちの世代で流行っているという男女九人組のダンスボーカルグループ「馬・鹿」の曲だ。
メンバーは全員馬か鹿のマスクをかぶり、名前も「秋田のカモシカ」「長野の木曽馬」「奈良の神鹿」といった感じ。バカと書いてマジカ、中点を取ると正真正銘の馬鹿になる奇特な集団らしい。
「やっば、音声ありの〈テレパス〉じゃん! ちょっと席外すね!」
「え? お、おい、ちょっと――」
「はろはろ? あのさあ、ウチまだ学校にいんの。テレパってもいいけどチャットでよろ~、って言ったじゃん! も~、頼むから空気読んでよマジで!」
念話の相手に抗議しながら、工藤は保健室の外に出て行った。さっきは止められたが、澪の様子を確かめるなら今しかない。
私は急いで部屋の奥に向かい、ベッドを囲む間仕切りのカーテンを開けた。




