Side B - Part 3 償い
Phase:01 - Side B "The Frivolous Man"
「いい気分に浸っているところ悪いが、話を戻そう。大変残念だが、この女性……市川さん、といったか? 彼女はもう助からないかもしれない」
「え? なんで?」
「よく見ておきなさい、チャラ男君。これが――〈Psychic〉の闇だ」
言ったそばから、リポーターがまた身体を震わせわめき始める。さっきまでの意味を成さない叫びと違って、今度は脈絡こそないけど意味の通じる日本語だ。
「ごめんなさいごめンなさィ! ワたシ――えへっ、残念……残念ダわ。みんナ、死んデくれレバ――あ、違う、私……あアああアあ!」
「なんだ、これ……この人、急にどうしたんだ?」
「自我の崩壊が始まった。身体機能のみならず、精神の奥深くまでハッカーの侵入を許してしまったんだ。こうなると、廃人になるよりほかに道はない」
サムライさんは表情ひとつ変えず、淡々と事実を口にする。その他人事みたいな態度が気に食わなくて、俺は思わず声を荒らげた。
「廃人? なんで? どうしてそんなことになってんだ! 俺たちには何も、本当に何もできないのか? どうなんだよ、サムライ!」
「言いたいことは分かる、私だって心が痛い。だがねチャラ男君、ここで彼女ひとりを救うために動くのは愚策だ」
「ぐさ……っ、なんで! この人を見捨てろってのか、あんたは!」
「最小の犠牲でより多くの命を救える可能性に賭けるか、自身もああなるリスクを冒して目の前の命に手を伸ばすか。キミはどちらの道を選ぶ?」
「……っ!」
「自分が心から望む答えと、社会にとっての最適解は共存できない。現実とはキミが知る以上に残酷で、ままならぬものなのだよ」
俺は舌打ちし、口から泡を吹いてもがき苦しむリポーターの顔から目を背けた。行き場をなくした激情が心を乱し、頭の中で渦を巻く。
今、俺を駆り立てるものは何だろう。罪悪感? 歯がゆさ? 煮えたぎる怒り? それもあるだろうけど、なんとなく違う感情も含まれてる気がする。
激しく胸を焦がすこの想い、鼓動とともに高まるものは――
「かなり言動がバグってきたな。市川さん、聞こえるか? 犯人はどうやら、キミの身も心も支配するつもりのようだ」
「いヤ……ワたシ、そんナこと……あハァ」
「だが、あいにく私たちには電子戦でAIを打ち負かす技量もなければ、解毒薬に相当するアンチプログラムもない」
「そうデしょウ。人間サンがわたシに敵ウわけ……違う、ウそ。なニ、言っテるの?」
「すまない。私たちでは、これ以上手の打ちようがないんだ」
「どうして? 私、こンなこトしたくナい。死ニたクない! お願い、信じテ! だレか、助ケて――!」
胸を突き刺す悲壮感、何もできない腹立たしさ。あんたは助からない、助けられないって、被害者本人に直接伝えなきゃいけない無力感と悔しさ。そういうのが全部、ごちゃ混ぜになって襲ってくる。
それはサムライさんも同じだったようで、おもむろに立ち上がり「なんで」「どうして」って言いたそうな顔をしていたであろう俺の肩に右手を置くと、首を静かに横へ振った。
ポーカーフェイスに隠した本音、触れた手から伝わるわずかな震え。
ああ――この人も、ちゃんと血の通った人間なんだ。
「その代わり、約束しよう。最期までキミを信じると」
「……エ?」
「信じよう。そして証言しよう。この後キミの身体が為すことはすべて、本人の意思に反するものだった。キミもまた被害者であったのだ、と」
「ナに、それ……」
「それが――それだけが、私にできる償いだ」
その発言の真意もわからないほど、俺はバカじゃない。だけど、もう百パーセント救いようがないからって、そんな簡単に手を離しちまうのか?
相手は同じ人間、しかもまだ意識があるんだぞ! それに……ずっと気になってたけど、その腰に差した日本刀って……まさか、な?
「大丈夫、決着は私がつける。未来あるキミの手を汚させはしないさ」
「そういう問題じゃないだろ! だって……だって、こんな……!」
サムライさんに右腕をつかまれ、引っ張り上げられる形で俺もその場から離れる。よろよろと起き上がったリポーターは片膝を立て、自分の歯を使って手首の拘束を締め直すと、自分のすねに向けて縛られたままの腕を振り下ろした。
ばちん――と音がして、プラスチックの環が弾け飛ぶ。警戒態勢を取る俺たちの前で、リポーターの顔をした黒幕はゆっくりと、よく通る声で口を開いた。
「初めまして、逢桜町の皆さん」
――不思議なことに、俺は追い詰められるほど勘が働く男らしい。
試合中、ボールを持って相手のディフェンダーに追い回されていると、急にゴールへつながる〝道〟が視える時がある。その軌道をなぞるように蹴ると、自然にシュートが決まるんだ。
地道な練習に裏打ちされ、実力至上主義の世界で磨かれた直感はよく当たる。並み居る先輩たちを差し置いてサムライブルーの10番と腕章を託されたのは、俺のそれが監督やチームメイトから高い信頼を得ているからに他ならない。
そして今、俺の第六感はこう言ってる。
この試合――そもそも〝道〟がない、と。




