Side A - Part 4 サッカーと作家
Phase:03 - Side A "Mio"
「ところで俺、な~んか重要なこと忘れてる気がすんだよな」
「何ですかこんな時に」
『……あっ』
りょーちんの前置きに、手代木さんがさっと青ざめる。ぴこん、とあたしの脳内で何かのフラグが立った音がした。
「あ、そうそう。今日、役場がこの学校の〝防災結界〟を点検したら、機械が壊れてるにもかかわらず正常だって表記が出る部屋が見つかったらしいぞ」
「へ~。それってまさか、ここのことじゃないですよね」
「……俺の口から答え聞きたい?」
『イケメンボイスでごまかそうとすなーっ!』
そうだった。自分で決めたプロットなのに、あたしったらすっかり忘れてた!
どこかの教室(これが保健室に割り当てられたらしい)に取り残された『トワイライト・クライシス』の主人公は、助けに来た仲間と合流して間もなく、巨大な〈モートレス〉に襲われる。
その時、これまでウンともスンとも言わなかった主人公の〈五葉紋〉が、命の危機を前に無我夢中で合言葉を叫ぶと覚醒する、って見せ場なんだけど――
「……これ、あたしも強制的に戦わされる流れでは?」
「そりゃあ心強いな。期待してますよ川岸先生」
「無理無理無理! あたしはこの世界観の生みの親ってだけで、文章化してる範囲消化しきってて……この先は行き当たりばったりなんです!」
「いかにして最善の結末をつかみ取るか、土壇場での判断が問われるのはサッカーも作家も同じ。未来なんて決まってないほうがいいんだよ」
実際、あたしの〈五葉紋〉は主人公と同じく、現れた日から眠ったままだ。主人公になり切るなら、絶対にここで開花しなくちゃいけない。
ただ「やんなきゃいけない」からといって「やればできる」とは限らない。あたしの〈五葉紋〉が起動しなかったら、その先は誰が、どうやって現実を書き換える?
「気軽に『作者なら何とかしろ』的なことおっしゃいますけど、クリエイターの産みの苦しみって半端ないんですからね。夏休みの読書感想文と一緒にしないでください」
「わかるわ~。ボール持ってからシュートぶち込むまでと一緒。どのルートなら守備をかわせるか、どれくらいの強さで蹴れば決められるか。計算と選択の連続が得点を引き寄せるんだ」
「いや、りょーちんにはわからないでしょ? サッカーじゃなくて、作家!」
「だからわかるって。サッカー選手かつおまえの推しだよ、俺」
地響きが近づいてくるにつれ、視覚的にも明らかな異常が現れ始めた。保健室の壁にヒビが入り、中庭に面した窓ガラスが割れ始める。
でもって、このイケメンの言ってる意味がさっぱり頭に入ってこない。推し? りょーちんが? 失礼だけどあたし、サッカーはあまり……ん? んんん?
頭上にいくつもクエスチョンマークを浮かべるあたしを見て、りょーちんはスターティングピストルを置いた隣の机をちょいちょいと指差した。そこにあった穴開き本の表紙は、親の顔より見覚えがある。
そういえば、この本書いたあたしの推し作家も佐々木先生っていうんだった。目の前の人からミドルネーム抜いたのと同じ名前。
ん? あれ? まさか……
佐々木先生……良平、選手――りょーちん?
「選手じゃないほうの俺を知ってるんだろ? あとで初版本にサインくれてやるから、作者権限で俺にカッコ良い見せ場と主人公補正よろしくぅ!」
『以上、〝もろびとこぞりて〟著者で中二病エンタメラノベ作家・佐々木りょーちん大先生のありがたくない要求でした。それではまた来週!』
「でえええええええ!?」
衝撃的な告白を聞いたと同時に、入口の扉から少し上の壁を鋭い爪が突き破る。すぐ近くまで「何か」が迫ってきてるのは明らかだ。
考える暇なんてない。不安がってる場合じゃない。今はただ、自分の可能性を信じるのみ!
「川岸! ダメ元でいい、やらまいか!」
「っ……お願い、目覚めて! 〈開花宣言〉――!」
正面に向けて差し伸べた左腕に右手を添え、壊れかけの扉に向ける。
その瞬間、今まで何度試みても光らなかった五つのひし形がピンクに染まり、縁の一部に桜の花のマークが入った三重の円があたしの手元を彩った。
「これが、あたしの……!」
「おめでとさん。ひとまず上手くいったみたいだな」
目の前に青みを帯びた仮想スクリーンが展開し、小説の執筆画面のように今の状況を文章化した言葉が並ぶ。設定どおりなら、主人公の能力は「シナリオを通じた現実世界への干渉」だ。
これからあたしも、このデジタル原稿を夢のつづきで埋めていく。考えたそばから文字に起こしてくれる〈Psychic〉の力を借りて。
「で、セナ。だーれが中二病エンタメラノベ作家だって?」
『敏腕マネージャーたるもの、時には耳の痛いことを言うのも務め……マスター、何だその目は。なぜボールを見るのと同じ目を俺に向ける?』
「パートナーAGIは生物じゃないから、ファウル取られないよな~って」
手代木さんは、りょーちんの定義する「まともな生き物」には当てはまらない。ゆえに、状況次第で蹴飛ばすこともあり得る――。
急に作家らしいロジカルな顔を見せてくるご主人様に、マネージャーはさっと青ざめた。
「安心しな。斜め四十五度に正確な一撃キメてやるよ」
『安心できる要素がひとつもない!』
休眠打破、つまり桜に例えられる〈五葉紋〉が正常に機能したことを喜ぶ間もなく、ついにボロボロの扉が握り潰される。
その直後、この世のどんな猛獣よりも恐ろしく不気味な絶叫を伴って、黒く大きな影が保健室になだれ込んできた。




