Side B - Part 2 悪夢の幕開け
Phase:01 - Side B "The Frivolous Man"
「あハっ、あ……アアァああアあ――!」
突然、ゾッとする感覚が俺の背中を駆け抜ける。さっきまで正気だったリポーターのお姉さんが顔をゆがめ、歯ぎしりをし、涙を流しながら白目を剥いて、ワケわかんないことを言い出したからだ。
どうする、俺? 制服女子の避難とイカれた相手の鎮圧、優先すべきはどっちだ? どうすりゃ二人とも助けられるんだ!
二の足を踏んでいると、泳がせた目に抹茶色の着物が映った。上司兼お目付け役は静かにうなずき、号令で俺の迷いを取っ払う。
「私が援護する。チャラ男君、行くぞ!」
「……! はい!」
「キミは女の子を頼む。安全な距離まで引き離せ!」
以心伝心って、まさにこういう状況だよな。サムライさんは俺に目配せをすると、すり足で一気にリポーターとの距離を詰め飛びかかった。すかさず俺もあとに続き、女のコのもとへ殺到する。
確か、剣道の「縮地」って技術だったか? 俺は現役の体育大学生だけど、防具なしの立ち合いで見るのは初めてだ。カッコいいな!
「これは不可抗力、不可抗力……頼むからセクハラとか言わないでくれよ、っと!」
苦しそうに身体をよじって痙攣していたリポーターは、大柄なサムライさんに抑え込まれる恐怖から絶叫し、手足をバタつかせて激しく抵抗する。
その間に俺は座り込んだまま固まってる女子生徒を羽交い締めにし、そのまま抱え上げてもみ合う二人から安全な場所まで一気に引き離した。
知らない男に体を触られた! って騒がれないかヒヤヒヤしたが、幸か不幸か完全に思考が停止してる相手は素直に身を任せてくれた。
「確保!」
「おらっ、おとなしくしろ!」
厄介だったのはそのあとだ。俺も加勢し、いざ取り押さえようとすると、リポーターはさらに泣いて騒いで大暴れ。
サムライさんが両手、俺が両足首を押さえて、二人がかりでどうにか地面に引きずり倒した。
(――あれ?)
その直後、俺はあることに気がついた。この人と一緒にいた撮影クルーの姿が見えない。あいつら、身内を放っぽってどこ行った?
気になって周囲を見渡すと、取材陣は全員魂を抜かれたような顔をして、少し離れたところからリポーターが男二人に組み伏せられる放送事故を淡々と生中継していやがった。
ウソだろ? こいつら……仲間や巻き込まれた人たちの安否よりも視聴率が大事だってのか? いい大人が何やってんだよ!
「救急車呼べ! それと警察!」
『無理だ。〈Psychic〉が言うことを聞かない』
空中を飛んで俺に追いついたマネージャーが、険しい顔で応じる。うん、おまえがそういう顔するってことは、シャレになんないマジな話だ。
だからこそ、落ち着いて考えろ。いいか××、おまえはなんだ?
「何を言って――いや、待て。そうか!」
「人間でもAIでも、真価を問われるのは追い込まれてからだ。俺のマネージャーなら忘れるなよ」
汎用人工知能は『やけに冴えてるなマスター。打ち所の悪いヘディングでもしたか?』と憎まれ口を叩きつつ、すぐに俺の意図を察して動き始めた。
リポーターはというと、急に身体の力が抜けてからは落ち着いた様子を見せている。観念した――と見せかけて顔面ハイキック! なーんてこともあり得るから、抑えつける力を緩めてやるのはもう少し様子を見てからになるけどな。
「……なんか、全然ドキドキしないな」
「むしろここで盛られたらキミの品性を疑うよ」
げ、やっば! 今の聞こえてた? 俺はこのシチュエーションに対する率直な感想を述べただけであって、特に他意はないぞ! マジだってば!
何気ないつぶやきをサムライさんに拾われ、にわかに青くなった俺は弁解しようと慌てて顔を上げる。その結果――懐から取り出した結束バンドでお姉さんの手首を縛り上げる上司の姿が、サングラス越しに像を結んだ。
……え? 何、この人? てか、なんでそんなの持ってんの?
気になるけど「訊かないほうが身のためだよ」ってオーラがバンバン出てるな。やめとこ。
「よくやった。お手柄だな」
「アシストどうも。やけに手際いいのが気になりますけど、カッコ良かったですよ」
「はっはっは、キミには遠く及ばないとも――りょーちんには、ね」
サムライさんの口を割った呼び名に、思わず身体がこわばる。落ち着け、大丈夫、うろたえるな。平然と、いつもどおりに振る舞えばいい。
鼻筋に手をやってサングラスをずり上げながら、俺は東京を出る前にこの人と交わしたやり取りを思い返した。
『それは、キミに対する世間の認識を阻害し、一般人と誤認させるスマートグラスだ。人前で不用意に外すことは厳に慎むように』
『へぇ~。もし外し……外れたらどうなるんです?』
『すぐに身元を特定され、周囲一帯が大パニック。状況次第では二度とピッチに立てなくなる可能性もある。故意に外した場合はキミに過失があると判断し、助けに入らないのでそのつもりで』
『……笑えないな』
『笑い事じゃないからね』
それは、俺にとって重すぎる警告だった。直接的な命の危険はなくても、選手生命がかかってるとあっては慎重に行動せざるを得ない。
ってかね、俺、自慢じゃないけどサッカーでやらかして大炎上した前科あんのよ。全方位から叩かれるあのつらさは、言われるまでもなく身に沁みてますー。
『不便を強いることについては謝罪しよう。だが、これもキミの身を案じてのこと。そこのところ、マネージャー君もご理解いただけないだろうか』
『はっ、ナメられたものだな。マスターがそんなふざけた条件呑むとでも――』
『表参道のたい焼き専門店、エトワール。中身がはみ出るプレミアムシリーズ(税込四五〇円)の抹茶(静岡県産)と春季限定いちご(静岡県産きらぴ香)を出発前の軽食に出そう。いかがかな』
『よろしい! さっすが、話のわかる薩摩隼人!』
『なんで安請け合いするかなお前はァァァァァ!』
そんな取り決めがあったから、リポーターを取り押さえるのは正直言って不安だった。取り押さえた時の衝撃でサングラスが外れるかもしれないし、事情を知らない人間が見たら、白昼堂々路上で女を押し倒したと勘違いされるリスクもある。
でも、幸い運は俺に味方した。こいつを身に着けている限り、俺の正体は「そっくりさんで~す」の一点張りで強引に押し通せる。残念だったな!
「お? 俺ってば、今をときめくイケメンサッカー選手似です?」
「どうかな。答え合わせでサングラスを取ってみては――」
「イヤで~す。今日の服装はこれ込みのコーディネートなんで」
不意打ちで褒められ、有頂天になった俺にサムライさんがフェイントをかける。
自分ではうまくかわしたつもりだったが、相手は「やれやれ」と言いたげな顔で肩をすくめると、わざとらしく咳払いをした。




