Side A-2 / Part 2 目覚め
Phase:02 / Side A-2 "Mio"
「川岸さん――川岸、澪」
「はい?」
「死ねぇぇぇぇぇッ!」
誰かの悲鳴が、穏やかな空気を切り裂いた。相手が腕を振りかぶったのを見て、あたしはとっさに顔の前へ単行本を掲げて盾にする。
直後、押しつぶされるような衝撃がソフトカバーのネコ耳美女を貫通し、額を割るギリギリのところで止まった。もし、ノワールがいなかったら――と考えて、全身から変な汗がどっと吹き出す。
この子、本気だ。本気であたしを殺しに来てる!
「きゃあああああああ!」
「うわあぁぁぁぁぁッ! 刺した、刺した!」
「みんな、退がれ! デカい針みたいなの持ってるぞ!」
「誰か、先生呼んで来い! 早く!」
犯人は舌打ちをして『もろびとこぞりて』を引っつかんだ。爪を立て、本と一緒に握り込まれた右手の痛みに、あたしは思わず顔をしかめる。
一般的な女の子の握力って、こんなに強かったっけ? それとも、火事場の何とやら? どっちにしろ、この様子は普通じゃない!
手の中の本越しに、鬼の顔が見えた。怒りと憎しみで歯ぎしりをし、タールみたいに真っ黒く煮えたぎる殺意に染まったクラスメイトの顔。これを鬼と言わずして、なんと表現できようか。
「いきなり……何、すんの……っ!」
「よくのうのうと生きてられるね。自分が何したか分かってんの!?」
「いま、初めて話したばかりの人に……刺されるような、こと、は――」
「ふざけるな! 私の人生を踏みにじっておいて、よくも……よくも――!」
その一言を聞いた瞬間、あたしは自分の意識が身体から抜け出すのを感じた。首の後ろから「外」に出て、抜け殻になった自分の頭上から客観的にこの状況を見下ろすイメージが頭に浮かぶ。
幽体離脱状態になったことを知覚した途端、あたしの意識は驚くほど冷静になった。異常に研ぎ澄まされた思考で相手の発言を分析し、持てる知識を総動員して、その裏に隠された真意を読み取ろうとしているのが自分でもわかる。
「あたしの小説が世界を変えた。それは誰の目にも明らかな事実。だから、あなたはあたしに人生を狂わされたって言いたいんだ」
「そうだよ、そのとおりだよ! やっと自覚したか、このクソ女――」
「現実を受け入れたくなくて、そんな自分を正当化したくて、何もかも人のせいにする。やっぱ、モブはメンタルからして小物だね」
「……は?」
怒りに燃える相手の顔に、少しずつ別の感情が混ざっていく。まわりの人たちも静まり返って、さっきまでと明らかに違う目を向けてくる。
あたしは今、どんな顔でこの論戦に臨んでるんだろう。
「人を呪うにしろ殺すにしろ、下調べは欠かせないもの。どんなにあたしが腕利きでも、ターゲットを特定できる情報がなければ確実に仕留めるなんて無理」
「な、なに、こいつ……気持ち悪い。頭おかしいんじゃないの!?」
「意味わかる? あたしは、あなたの名前すら答えられない。あなたのこと、何も知らないんだよ。知らない人の人生を、どうやったら知り合う前にピンポイントで呪えるわけ?」
「あ、あ……っ」
「証明してみせなよ。あたしが全部悪い、犯人なんだって。出せるものなら出してみろ。あたしがあなたの不幸を祈った、決定的な動かぬ証拠を」
頭おかしい。気持ち悪い。あなたに限らず、みんな最後はそう言うよ。
でもね、それは違う。自分の弱さ、悔しさ、無力感、都合の悪いものを見たくないだけ。後ろめたさに切り込まれると、みんな論点をすり替え揚げ足を取る。
あー、つまんな。見苦しいったらありゃしない。
あの鈴歌と気が合う時点で察しつかないかなあ。類は友を呼ぶんだよ?
「ほら、反論できない。答えられない。付け焼き刃しか用意してない。さっきあたしに言ったこと、そのまま返してやるよクソ女!」
「あっ、ああっ……だ、黙れぇぇぇぇぇぇ!」
千枚通しの針には返しがない。力任せに引っ張れば簡単に抜ける。一撃で殺し損ねたらメッタ刺しにすればいい、なんて猟奇的な考えを生む悪魔の武器だ。
ブチ切れたメガネちゃんが右腕に力を込めると、わずかな抵抗を伴って凶器が引き抜かれた。その刹那に小林くんが飛びかかって彼女の腕を捕らえ、捻り上げてあたしの机に叩きつける。
派手な物音がして、女の子は凶器を取り落とし悲鳴を上げた。それよりも自分の心配しろよって話だけど、骨折ってないよね? 大丈夫?
「川岸! 大丈夫か!?」
「グッジョブ、コバっち! 武器奪ったどー!」
工藤さんが千枚通しを取り上げ、誇らしげに掲げる。犯人はまだ大声で何か叫びながらあたしに蹴りを入れようとしたけど、クラスメイトの男子たちが総出で彼女の手足を押さえつけ、阻止してくれた。
ショックで泣き出す女子も出る中、本鈴が鳴って担任の葉山先生登場。最初から額に青筋浮いてるっぽいんですけど、どうすんのこれ?
「なっ、何をしているんだお前たち! やめなさい!」
「死ねっ! 死ねよ! 全部お前のせいだ、死んで詫びろ!」
「ふざけんな! それが川岸を、人を刺していい理由になるか!」
「みおりん、先生来たよ! もう大丈夫――」
あれ? 安心したら意識が遠のいてきた。先生の駆け寄る足音と小林くんの怒号、工藤さんの心配する声が遠くに聞こえる。
どこもケガしてないはずだけど、知らないうちに頭でも打ったかな。ってか、みおりんって誰? 不思議……眠くないのに、目が……閉じ、て――
「川岸? おい、しっかりしろ! 川岸!」
クラスメイトと担任の先生に見守られながら、あたしは新しい教室のど真ん中で人生初の気絶というものを体験した。




