Side B - Part 2 天才と幼なじみ(上)
Phase:02 - Side B "Suzuka"
「あたし、やるよ。やり切ってみせる」
「よく言った。となると、結末は澪のみぞ知る――ということが最大の不安要素になるわけだが、そのあたり構想はどうなっている?」
「ネタバレ要求する登場人物がいるか! でも、まあ、今言えることは……」
「言えることは?」
「大丈夫。あたし、バッドエンド嫌いだから」
身体を離し、ポケットから取り出した花柄のハンカチで澪は目尻をぬぐった。
ああ、そうだ。その意気だぞ。ハッピーエンド確定を謳うなら、まずは作者が前向きにならなくては。
最優先でやるべきことは、プロットの確認だ。それを基に続きを書き、物語を進めていこう。具体的には私たちと共通の目的を持つ町民を集め、仲間にする。
その最有力候補が、あの日私と同じものを見て状況を理解し、かつ最も早期に接触を図れそうな人物。つまりたい焼き男なのだが――
「おーおー、朝からお熱いことで。百合を咲かすのは勝手だが家でやれや」
「誰だ!」
「通りすがりの大家ですが何か?」
横から浴びせられた冷たい声に視線を向けると、ワイシャツにネクタイ、スラックスという会社員ルックの上から薄緑の作業服を着込んだ男がそこにいた。
車椅子の上から冷めた目でこちらを見上げる彼の胸元をよく見ると、青い糸で【羽田不動産(株)】と縫い取られている。
車椅子の男……羽田? 名前だけじゃない、人相にも覚えがあるぞ。
「シャルルならここにはいねえよ。この辺りの公園はボール遊び禁止だからな」
「ああーっ! やっぱり、羽田選手って大家さんのことだったんだ! 現役復帰とプロデビュー、おめでとうございます!」
「しーっ、声がデカい! 誰かに見つかったらどうすんだ!」
澪の大声に驚き、メゾネットの管理人(土地・建物の所有権を持つため大家でもある)は慌てた様子でこちらに駆け寄ってきた。
いかにも名家のお坊ちゃんといった風に品よく整えた黒髪と、細身の黒縁メガネからのぞく鋭い目が気難しそうな印象を与える顔だ。
「さっき、駅前の事務所にいたところで同じように騒がれた結果、ものすごい人数の女が集まってきた。ところが俺はこの足だろ? 囲まれたら逃げたくとも逃げられないワケよ」
「あ……ごめんなさい。あたし、つい」
「もはや恐怖でしかなかったが、俺は意を決して『何かご用ですか?』って声をかけた。そしたら……そいつら全員、シャルルのファンだったんだーよー……」
同年代の言葉を借りて表現するなら、苦労人の生徒会副会長か、お堅い風紀委員タイプといったところだろうか。
制服を着崩すチャラい不良、いつもヘラヘラしている生徒会長……こちらも容易にたい焼き男の姿で脳内変換されるが、ああいうだらしないリーダー格に口うるさく突っかかるナンバー2のイメージが目に浮かぶ。
「この何とも言えない敗北感七割、ドン引き二割に『あの和製コンコルドにサッカー教えたの俺なんだぞ!』って一割の優越感を足した複雑な心境、お察しいただけます?」
「あの、大家さん。悪気はなかったんです、信じてください」
「ンなことわーってら、わーってるって。俺ぁどうせアイツの賑やかし、ショートケーキの土台ですよーだ。今に見てろ、絶対手の平返させてやるんだからなーあ……」
「なんかもうホントすいませんでしたぁぁぁぁ!」
町の封鎖によって引き起こされた土地・建物取引価格の大暴落、向こう三軒両隣に一軒はあるという事故物件率、ゆえに入居者を選り好みしていられない……という三重苦にさらされ、この町の不動産業界は風前の灯だ。
そんな逆境でしぶとく生き残る若社長とあれば、見た目から毅然としていなければ務まらないのであろう。
「っていうか大家さん、りょーちんのことミドルネーム呼びしてるんですね」
「俺はそっちのがアイツらしいと思うし、本人の希望でそう呼んでるだけ。ただの幼なじみだ、間違ってもデキてなんかないんだからな!」
「でも、今どきそういうの珍しくも何ともないですよ。安心してください、お二人が正式に公表するまでこの話は聞かなかったことにしますんで!」
「ちっが――う! あんなチャラ男、介護士の資格持ちでなけりゃ縁切ってるわ! いいか? シャルルは! ただの! 知り・合い・だ!」
若干キレ気味ではあるものの、大家は先ほどから澪の質問にきちんと答えている。うまく誘導すれば、有力な情報が手に入るかもしれない。
私は澪に倒れた自転車を起こすよう指示すると、自分の自転車を駐輪場から引き出す。そのうえで、相手の注意を逸らすべく適当な質問を投げかけた。
「ところで大家さん、どこから話をお聞きに? 返答次第では物理的ショック療法を受けていただくことになりますが」
「強制退去通告を受ける覚悟があるならやってみろや。俺はさっき着いたばかりだから、お前らが何を話してたかは聞いてない」
「じゃあ、なんであたしたちがりょーちんを捜してるってわかったんです?」
「俺に話しかけてくる女の用件は『シャルルに会わせろ』か『紹介してくれ』の二択って相場が……ああクソっ、〈テレパス〉の通知が止まらねえ。だから俺に訊くなっての! 下心見え見えなんだよてめえら!」
「不動産屋をなさっているのでしたら、物件を探しに来たことは?」
「来たけど『富士名物かうなぎパイ持っておととい来やがれ!』って追い返してやった。掛川茶はいっぺん飲んでみたかったからもらってやったが」
「で、おととい来ました?」
「来ねえっつってんだろ!」
大家はそう吐き捨てると、何もない虚空に右手をかざした。それを合図に、来客用の駐車スペースに停めてある白いバンタイプの軽ワゴン車から、手のひらサイズにも満たない小さなドローンがこちらに向かって飛来する。
よく見ると、腹に何かが積んであるな。これまた超小型の高感度カメラだ。かなり手慣れた操作から、彼がこのドローンを自由な「目」として常用していることがうかがえる。
神経を損傷し永久に不随となったのか、関節の異常や心理的な問題が回復を阻んでいるのか。私は主治医ではないし、そもそも医者ですらないが、大家は首都直下地震で負傷して以来こうなったと聞いている。
だが、それがどうした。脚が動かないなら、手で車を運転すればいい。車椅子で行けない場所にはカメラを送り込み、目視で確認すればいい。
俺にはできる、俺にだってできる。だから「かわいそう」なんかじゃない――。大家の黒目勝ちな瞳からは、他者に対する壁と強い拒絶の意思が感じ取れた。




