Side B - Part 1 創作者の矜持
Phase:02 - Side B "Suzuka"
「ちょ、ちょっと鈴歌!」
「東海ステラ所属、フランス生まれ静岡育ち、名の知れたサッカー選手……間違いない。あいつが〝りょーちん〟だ」
映像を見た瞬間、心の中に立ち込めていた霧がさあっと晴れた気がした。私と奴は確かにあの日、あの時、あの場所で出逢い共闘している。
強引に家から連れ出される形となった澪は困惑した表情を浮かべつつ、屋根のついた駐輪場から自転車を引き出した。淡いメタリックピンクの車体が朝日を反射し、キラキラとまぶしい光を放つ。
「まさか、今から捜しに行くつもりじゃないでしょうね」
「対〈特定災害〉特措法第六条の二の規定によれば、身体に〈五葉紋〉が現れた者は誰であれ、町外に出られない。猶予期間、つまり七日以内の移住が法律で義務づけられたとも言い換えられるな」
「移住が、義務に……」
「たい焼き男は手足に紋がある。静岡の拠点には戻れない。町内をくまなく捜せば、必ずどこかで逢えるはずだ。違うか?」
私がそう問いかけると、幼なじみの腕がびくりと跳ねた。つかんだ部分から筋肉のこわばり、急激な発汗によって放出された熱の滞留が伝わってくる。
嘘をついたり、相手の発言が図星だった時、澪の身体は決まってこういう反応を見せるのだ。私が気づいていないとでも? 危機管理が甘いな。実に甘い。
「私があの日、澪の存在を口にしたことで犯人捜しが始まった。澪やおじさん、おばさんには大変な迷惑をかけたと思っている」
「鈴歌のせいじゃないよ。元からそういう話だったの」
「くじ引き首相が関連法案の整備を急ぎ、澪と私の一家を緊急保護に値する証人に指定してくれたおかげで、表向き追及は止んだが……」
ざあっ、と音を立てて私たちの間を春風が吹き抜け、近所に植えられた葉桜の赤茶けた枝を揺らす。明るい茶色をした澪の大きな瞳が、わずかに潤んで見えた。
「世界を変えたのが主人公なら、解決できるのもあたしのはず。主人公が小説として書き起こした内容が、MRを介して現実になる設定だから」
「〈エンプレス〉が澪の小説を現実の世界に再現した。その前提条件が真であり、奴自身も登場人物のひとりとして明確な描写があるなら、焦る必要はない。シナリオに沿った動きしかできないからな」
「……そう、だね。理論上はそう」
「では、何を迷っている? 今からでも続きを書き、一気に畳み掛けて完結させればいい話だろう。生きてさえいれば、小説などまたいくらでも書ける」
思えば、澪の文才は小学生の頃から異彩を放っていた。
タスク管理の苦手な彼女は、夏休み最終日の夜になってから読書感想文の課題本を拾い読み。そこから本人いわく「それっぽいことを適当に書いただけ」のものが、学年代表に選出された。
中学校でも国語の課題、短歌や俳句でゴーストライターを頼まれること数知れず。クラスメイトの秀作として文集に載った作品は、澪が創ったものだった。
それから……ちょうど『トワイライト・クライシス』を書き始めた頃、国語教師から文学賞への応募を勧められたという。
気恥ずかしさか、謙遜からか、出さずに終わったようだがな。
「それでもあたしは、書くからには自分史上最高に面白いものを書き上げたい。でも、続きを書けば誰かが死ぬ。書かなくても、筋書きにない誰かが殺される」
私が原作者の名を明かしたこともあり、事件直後に周囲はすぐ「あいつだ」と感づいた。
だが――情けをかけたのか、誹謗中傷に対する報いが厳罰化されたからか、面と向かって澪を糾弾する者はない。
「何が筆を止める? どう転んでも現実で人が死ぬ、そのことを気にしているのか? 犠牲が避けられないなら、最小の犠牲でクリアする筋書きを考えろ」
「違う、違うよ鈴歌。そういう問題じゃない」
「プロの作家でもないのに、なぜそこまで内容にこだわる? 創作者のプライドというやつか? 冷静に考えろ。私たちの未来と自分の作品と、どっちが大事か」
「みんな理解できないだろうし、自分でもバカみたいって思う。だけど……それじゃあたしがあたしを許せない。リアルまでご都合主義とかクソ喰らえ」
「澪」
「そのくだらない物書き魂が、『駄作で終わらせるな』って叫んでるんだ!」
澪は私の両肩をつかみ、すごい剣幕で詰め寄った。あたしはどうすればいい? と、涙にゆがんだ瞳が問いかけてくる。
ありったけの「好き」を詰め込んだ作品を穢された。望まぬ形で世に広められた。それが彼女にとって何を意味するのか、私には理解できない。
いや……すまない、今の発言には語弊があったな。何というか、こう……苦しみという感覚・感情は味わった本人にしか分からない、と。そんな感覚のことを言ったんだ。
澪が傷ついているのは私にも感じ取れるが、本人でない以上、心の痛みと傷の深さはどこまで行っても推測の域を出ない。百パーセントの理解などあり得ないし、分かろうとするなどおこがましい。
だから、私からは何も言えない。私から何か言うべきではない。沈黙を以て見守ることこそが最善の道であると――そう、思っていた。
「あたしは〝神〟になんてなりたくなかった!」
澪が肩を震わせて発した、明瞭簡潔な一言。私へ雷に撃たれたような衝撃を与えたその一言に、彼女の想いのすべてが詰まっているような気がした。
創作者としての譲れない矜持。たとえ趣味の域を出なくとも、自身の心血を注いで練り上げた言葉で著すにあたり、絶対に妥協できないもの。
一人でも多くの命を助けるためには、自作の犠牲を迫られる葛藤。彼女があがけばあがくほど、大勢の血が流れる罪悪感。十六歳が独りで抱えられる重荷ではない。
そう考えると、私にはやはり理解できない。理解できない考えだが、それではいけない。不都合な「今」から目を逸らしてはいけないと、強く思った。
人より先んじたこの頭脳、今使わずしていつ使えというのか。私は天才、水原鈴歌。唯一の友を苦しめるものは、私が許さない――!
「なら、納得のいく形で終わらせよう。この物語を、私たちの手で」
「……すず、か?」
気がつくと、身体が勝手に動いていた。熱を帯びた腕を引き寄せ、澪を強く抱きしめる。自転車をひっくり返したことについてはあとで謝るとしよう。
「続きを書け。何年かかってもいい、澪の書きたいように書くんだ。どんな結末になっても、世界を敵に回しても、私は澪の味方をする。だから、その手で未来を創れ」
「未来を、創る――」
「物語が現実に影響を及ぼすんだったな。だったら、まずは私を書け。私を登場人物と規定すれば、一緒にシナリオを書き換えられる。だから……!」
力なく垂れていた澪の両腕が私の背中に回り、後ろできゅっと結ばれる。数十秒ほど沈黙が流れた後、原作者は意を決した様子で口を開いた。




