Side A - Part 2 川岸家の日常
Phase:02 - Side A "Mio"
「えーっと、学生証よし、提出書類は電子ファイル。紙の教科書と副教材のタブレット、よし! あとはノートと、筆記用具と――あ」
ふと思い立って、机の上に平置きしていた本を手に取る。今どき紙の単行本? という人も多いけど、あたしは電子書籍より断然紙派だ。紙のほうがどこまで読んだか一目でわかる分、読破した時の達成感が大きいからね。
それに……席が近くなった子と「何読んでるの?」で始まる友情、あるいは恋っていかにも青春って感じじゃない? 澪さん的には大いにアリです。
そういうわけで、あたしが今回の勝負服ならぬ勝負本に決めたのは――これだ!
【もろびとこぞりて 佐々木 良平】
表紙を飾るのは、アニメ調で背中合わせに描かれた茶髪の男性と黒髪のネコ耳美女。シャープな金文字フォントの著者名と題字もカッコいい。
【Joy to the world, the CAT is come.】と副題のついたこの本こそ、個人的に今一番アツいエンタメ活劇だ。あらすじをざっくり説明すると……
【平凡な男子大学生がクリスマスイブに保護した傷だらけの黒猫は、とある研究施設から逃げ出した千変万化の生体兵器・ノワールだった。
科学者、警察、自衛隊……彼女に関わったことであらゆる勢力から追われる身となった飼い主(?)の危機に、見敵必殺系暴力ヒロインが目を覚ます!?
聖夜の街をド派手に彩るSFバディアクション、開幕!】
「……最高かよ」
――という感じの笑いあり、バトルあり、涙ありの感動作(あたし比)だ。
この子たちとの出逢いは中二の春。学校の図書室でなんとなく手に取った本を開いた時の衝撃たるや、遠くから笑顔で駆け寄ってきた友達にドロップキックをお見舞いされたかのような理不尽さだった。
知り合ったばかりなのに、勝手知ったるこの感じ。自分はまさにこんな世界を求めていたんだ、と読み始めてすぐに理解した。
そうして誰もが誰かに影響を受けるこの多感な時期を、あたしは先生の綴る物語に魅せられて過ごし、今に至る。
「佐々木先生――あたしの高校デビュー、応援しててくださいね」
本を手に取り、目を閉じて、天面を口元に当て祈りを込める。ハンカチで表紙を軽く拭いてから、あたしは本をそっとカバンに収めた。
* * *
部屋の戸を閉め、荷物を手に階段を下りると、一番下の段で一頭の大型犬が「お座り」の姿勢でニコニコしながら尻尾を振っていた。
あたしが中学生になった年に我が家へやってきた、バーニーズ・マウンテン・ドッグのベルナルド。通称ルナール、男の子だ。
「おはよう、ルナール」
「ワンッ!」
元気よく吠える声に反応して、自動的に〈Psychic〉の犬語・猫語翻訳アプリが立ち上がる。ルナールの頭上に表示された吹き出しによれば、今のは【おはよう!】の挨拶だったみたい。
このわんぱくな弟はいつも、朝の散歩を終えるとすぐにリビングで二度寝する。あたしが着替えて一階に降りてくる足音を聞きつけたら、いそいそと起きてきてここでお出迎えするのがこの子の日課だ。
なにしろ――
【ねえねえ、ごはん? それとも遊ぶ?】
「ごはんにしよっか」
「ワン!【待ってました!】」
動物病院と狂犬病の集団予防接種会場に連行される場合を除き、あたしに会って損をすることはないのだから。
「あら。澪が時間どおりに起きてくるなんて、今日は雪が降りそうね」
「うっさいクソババア。もう出るの?」
「新学期は色々と準備があんのよ。アンタも入学式なんだから、遅れないようにね」
「余計なお世話ですー。鈴歌も一緒だし」
玄関からうざったい声が聞こえて、あたしは顔をしかめた。入れ違いに家を出ようとしているお母さんは、家から車で五分ほどのところにあるあたしの母校、逢桜南小学校の先生。確か、四年生の学年主任だったっけ。
やや赤みのかった髪をポニーテールにまとめ、ベージュのパンツスーツにパンプスを履いて、出勤準備万端だ。
「鈴歌ちゃんねー。本当はつくばに行くはずだったんでしょ? 日本中からあらゆる分野の天才児を集めた国の研究機関、ギフテッド学園とやらに呼ばれてさ」
「それが、逢桜町民だからって理由で入学取り消しだもんなあ。出身地のせいで進路を閉ざされるなんてひどすぎるよ」
そして、キッチンから小さなバッグを持って顔を出したのが、兼業主夫の逢桜町役場職員・川岸一徹。白シャツに黄色いエプロンが似合う、茶髪のマッシュボブ頭。そうです、うちのお父さんです。
「〈五葉紋〉があるから仕方ないとはいえ、こんなの差別を招くだけだ。なんとかなんないのかな、この政策」
「それを国と県に文句言ってなんとかするのが、アンタら町役場職員の仕事でしょうが。毎日毎日苦情処理ご苦労さん、チャットボットの中の人」
「返す言葉もございません……それはそうと、流華さん。お弁当」
「ん。ありがと、一徹」
「あと……その胸飾り? すごく似合ってるよ」
「あ? 胸飾りって何だよおまえ、朝からいやらしいな!」
「ええ!?」
この二人、たまにこうしてヤンキーと因縁をつけられるいじめられっ子の構図になっちゃうけど、決して仲は悪くない。相手の許容範囲を超える言動は厳禁、もしも超えたらはっきり抗議。川岸家のルールに則った、この愛あるイジりこそが家庭円満の秘訣だ。
もちろんそれは、一人娘のあたしにも適用される。度が過ぎない限り親に怒られないのは、きっと十人十色な反抗期の子どもと町民相手に経験を積んだこの二人があたしの親だから、なんだろうな。
「誤解だよ誤解、女の人のアクセサリーなんて名前分かんないって!」
「だったら覚えときな。コサージュっていうんだよ」
「はい。すいません……」
「ま、気づいただけでも合格点さね。よく言うでしょ? 女が髪を切る理由に男は無関心、って。そういうのに比べたら、アンタは見る目が――」
お父さんの胸元を歩くヒヨコのイラストを指先で小突き、お母さんが快活に笑う。けれど、朝の和やかな空気感が続いたのはそこまでだった。




