Side B-2 / Part 7 サクラサク
Phase:01 / Side B-2 "Charles-Ryohei"
「おーい、聞こえるか? プロなら腹くくってビシッと決めちまおうぜ、はるみん」
『ごはぁっ!』
「警戒していると見せかけ、急にゼロ距離まで詰め寄る……うーん、実に鮮やかな攻め入り方。さすが良平君、テクニシャンだな」
『ただ単に女慣れしているだけでは?』
「そこはスルーしてあげなさいマネージャー君」
セルフカットを終えた化け物は、腕の先についた爪を引っ込めてデタラメな数の指に切り替えた。その手を傷口の縁にかけ、一気にガバッと両側へ開く。
骨が砕ける音とともに聞こえたのは、身の毛もよだつ化け物の産声。裂け目が変化してできた縦向きの巨大な口が、ご丁寧に挨拶してきやがったんだ。
『は、はるみんだと……? なぜりょーちんが私のあだ名を……』
「俺も、あんたの無罪を証言する。何度でも名前を呼んでやるよ、あんたがお望みの呼び方でな。だから――力を貸してくれ!」
『あっ、無理……尊い……尊すぎて蒸発する』
「ナンパされて成仏する、の間違いかと」
「しっ、聞こえるぞじゃじゃ馬君! そっとしておいてやりなさい」
スピーカーから、深く息を吸い込む音がかすかに聞こえた。
自信を持て、はるみん。胸を張れ。おまえの声、おまえの言葉で、全世界に本当のことを伝えるんだ。
『――時刻は間もなく、日本時間の午後五時を迎えます。自らを完全自律型と称し、サイバーテロを実行したAI〈エンプレス〉と、被害拡大を食い止めようとする人間たちの緊迫したにらみ合いが続く宮城県逢桜町から、青葉放送・市川晴海がお伝えします』
「試合は五時開始よ。言い残すことがあれば聞いてあげる」
『お聞きになりましたか? 残り時間、あと二分です! 撮影クルーは現場から退避し、少し離れた場所からお送りします! みんな、駅の方へ走って!』
さっきまでのためらいがウソのように、はるみんの言葉には確かな力があった。同僚たちに檄を飛ばすと、固まっていた撮影クルーたちは素直に橋のたもとへ向かっていく。
敵の様子を見てみると、逆さまになった脚の表面にたくさんの鼻が浮いてきていた。口の両脇に血走った縦向きの目、ぽかんと開いた口の中には無数の歯と舌があって、奥に小さな球体が見える。
それが「おいでおいで」をするおびただしい数の白い手に囲まれ、安らかとは程遠い表情で菊の花に埋もれたようになっているおっさんの生首だとわかるまでに、そう時間はかからなかった。
『あと一分十秒を切りました! ここで、人類代表の四人と一体からメッセージがあるようです!』
「では、私から――初。お父さんは少し帰りが遅くなるが、必ず帰るからいい子で待っていなさい。大好きだよ」
サムライさんは今日一番の明るい声でそう答え、〈エンプレス〉と肉団子のほうに身体を向けると、左手の親指で静かに刀の鯉口を切った。
不謹慎だけど、あの「チャキッ」って音は妙に小気味いい。寄らば斬る、ってオーラがバチバチで、もう最ッ高にカッコ良かったなあ。
『あと五十六秒!』
「人外生物との交戦などフィクション。そう思っていた時期が自分にもありました。信じがたいことですがこれも職務、命令とあらばこ――防衛します」
じゃじゃ馬は腰に手をやって、サバイバルナイフを引き抜いた。射撃から近接格闘まで何でもござれ、どこからでもかかって来いってか? さすがプロ、半端ない!
……「殺す」って言いかけたのには触れないでおこう。
『残り四十秒!』
「10番じゃなくていいから、もう一回くらい日本代表の青ユニ着たかったな~。あと、クロワッサンたい焼きの発明者はわりとマジで天才だと思う」
女子二人には白い目で見られたが、サムライさんは「キミらしいな」と俺の隣で笑ってくれた。
なんとなく、この人とはもっと仲良くなれそうな気がする。今度会ったら、俺のほうから試合観戦かたい焼き食べ歩きに誘ってみよう。
『二十九秒前!』
『辞世の句などない。お前はデータごと抹消するが、こっちに死ぬ気はないからな』
マネージャーが吐き捨てるように言った。めちゃくちゃ余裕だったな、おまえ。
俺が思うよりおまえが優秀だったのか、相手が手を抜いたのか。どちらにしても、死ぬ覚悟が要らないってのは喜ばしい。
『二十秒前!』
「いいか、こちらからは手を出すな。敵の初手を見切ってカウンターを放ち、初めて正当防衛と言い張れる。いいな、絶対だぞ!」
最後に、最年少が一番リーダーらしいことを言った。試合開始まで残りわずかという状況で脱法指南とは恐れ入るね。将来は法律家かな?
『残り十一秒! 十、九!』
「試合開始だ。心してかかれ」
カウントダウンが進むにつれ、頭の中にある言葉が浮かんできた。心の底から自然と湧き出て、履き慣れたスパイクのようにすんなり馴染む。
なんでだろう。言いたくて心底うずうずする。でも、この言葉を口にしたら最後、何かが決定的に変わってしまう。そんな気がして、まだ言えない。
『八、七、六!』
「見せてやるよ、俺の本気を」
『五、四!』
「目標確認。防衛します」
両脚が「逃げろ」と言っている。本能が「関わるな」と警告する。ボールはない。グラウンドでもない。一体どうやって戦えってんだ――と、思うだろ?
ここは、現実とくっついた幻想の世界。想像が現実を塗り替える世界。自分を信じ、相手を信じ込まれば、俺のいるところがピッチになる。
『三!』
あー、やだやだ。はっきり言って逃げ出したい。
『二!』
でも、俺は逃げない。逃げちゃいけない、逃げられない。
『一!』
だから、俺は呼び起こす。この身体に宿る、俺自身の可能性を!
「『――〈開花宣言〉!』」
夕方五時の時報を告げる防災無線のサイレンを合図に、仲間たちも同じ言葉を同時に叫んだ。それぞれの〈五葉紋〉とブレスレットが一斉に強い光を放ち、どこからともなくネオンカラーに染まった桜の花びらが噴き上がって、俺たちと外界を花吹雪で隔てる。
それはまるで、正式に〈エンプレス〉の敵として認められたっていう合格発表を受けたかのようだった。視界が逆光に塗りつぶされ、俺たちは為す術なく花びらの渦に呑み込まれていく。
やがて、色も音も何もかもが消えて白一色に染まった世界へ、黒文字でこんな一文が浮かび上がった。
【二〇××年三月二十七日 宮城県逢桜町にて サクラサク】
……記録は、ここで途切れている。




