Side B-2 / Part 2 その名は〝天上の青〟(上)
Phase:01 / Side B-2 "The Frivolous Man"
「ところで良平さん、何か大事なことをお忘れでなくて? それとも……シャルルさん、とお呼びしたほうがいいかしら」
「な……、俺の名前とサングラス! いつの間に――」
一息ついたのもつかの間、女帝サマがしれっと俺の個人情報を口にする。ぎょっとして相手のほうへ目を向けると、その指先がサムライさんから「絶対外すなよ」って言われた物体をつまんでいた。
そういえば……撃たれた瞬間、目の前がパッと明るくなった。衝撃で飛んで見えたメルヘンなお星様の明かりじゃなかったのか、あれ!
『デバイス検出不能……! くそっ、バレた!』
「良平君!」
やられた。同点ゴール決めて喜んだ直後、ミスって逆転されたような気分だ。
俺が誰かも、この町にいることも、ここで今まで何してたのかも……何もかも全部、〈エンプレス〉に暴露されちまった!
「フランス生まれの静岡育ち、世界中から引く手あまたのJリーガー。なのに、なぜか3部でくすぶるワケありエース。そんなお方がなぜここに?」
「挑発に乗るな。ここで食って掛かっては相手の思うつぼだ」
俺たちを取り囲む人混みが一気にザワついた。あらゆる方向から視線を感じる。試合なら奮い立つところだけど、今はまるっきり逆効果だ。
あんたの言うとおりだよ、サムライさん。俺は何を差し置いても冷静になるべき。試合でも、選手としては小柄なことを引き合いに出して「小んまいな~」ってからかってくる同業者やサポーター、珍しくないだろ。
思い出せ、俺。そんな時はいつもどうしてる?
「勝利給をたい焼きで払う東海ステラの悪口はそこまでだ。入った当時はJ1トップチームの一角だったし、身元を引き受けてくれた恩もある」
「気を悪くしたならごめんなさい。でも、事実でしょう?」
『最後の一言ですべてを台無しにする、誰かさんのドリブル並みにキレッキレのトークセンス。俺には到底真似できないな』
俺たちが許しを請わないことにご不満だったのか、〈エンプレス〉はにっこり笑ってサングラスから指を離した。
かしゃん、と音を立てて地面に転がったアクセサリーの上に、真っ赤なピンヒールのかかとが落ちる。
【E-00:認識阻害無効 デバイスを再接続してください】
目の前に現れた仮想ディスプレイへ、〈Psychic〉を通じて吐き出されたエラーメッセージ。それが、俺をスキャンダルから護る盾の断末魔になった。
「――あら、まあ。あなたのお洒落なサングラス、うっかり割ってしまったわ」
「白々しいな。初めから壊すつもりだったくせに」
「でも、おかげであなたの美しい瞳を目にできた。本当にキレイね、えぐり出してガラス瓶に閉じ込めてしまいたいくらい!」
橋の上、河川敷、カメラマンが構えるレンズの向こう。この瞬間、みんなが俺の一挙一動を見逃すまいと張り切っている。さながら決勝点の懸かったPK直前のようだ。
テレビ局の撮影クルーが、小声で「りょーちん、目線こっち!」とささやく。俺は一度深呼吸をし、口を引き結んで、ゆっくりと声のする方へ顔を向けた。
『りょーちんの……瞳、ですか?』
「市川さんも、報道関係者なら一度は耳にしたことがあるのではないかな。良平君が持つ海外での異名は、あの目の色に由来する」
『! あれが……!』
「とりわけ、フランスでは古くから親しまれる伝統色と聞く。ルーツと俊足、うるさいほどの快活さをもじってコンコルド扱いするのは日本人だけだそうだ」
――〝天上の青〟。
サッカー界の神童として、俺の名は早い段階から遠く離れた生まれ故郷まで届いていたらしい。噂を聞きつけ、フランスから横浜までわざわざ会いに来てくれたスカウト関係者が、対面で開口一番に発したのがこの二つ名だ。
一点の曇りもない天の頂、いつかそこに至る支配者の青。俺という人間を象徴する色、歴史に名を刻む天才の代名詞になるだろう――と。
ただ、当時の俺はまだ小学生でさ。いきなり「衣食住の面倒は見てやるから、海外でサッカーやろうぜ!」なんて言われても無理な話だ。
それに……相談できる大人もいなかった。俺は児童養護施設にいたところを縁あって引き取られた身だったから、遠慮がちで誰にも言い出せなかったんだ。
「種よ芽吹け、光を放て。夢のかけらに火を灯せ」
「なんだ? 急に手が光って……」
「発芽せよ。〈五葉紋〉、励起」
〈エンプレス〉が唱えた謎の呪文に応え、再び激しい熱と光が俺たちの身体を灼いた。しるしがあるほうの手首に輪っかみたいなのが三つ連なって現れ、鮮やかなネオンカラーの輝きを放つ。
これ、持ち主の人となりをイメージしたのか? 手の〈五葉紋〉とかいうのはみんな同じ形だけど、色とブレスレットの形は全員違うな。
サムライさんの右手に現れたのは真円の輪。この人は着物もイカした抹茶色だし、落ち着いた大人の雰囲気には濃い緑色がよく似合う。
銃を〈エンプレス〉に向け構え直したじゃじゃ馬は、右の手首に赤い正方形。沸点低……熱血仕事人らしいビジュアルだな。
女子中学生ちゃんの左手にも、深い青色の正三角形が与えられた。この子も赤黒い空に手をかざし、てんでバラバラの方向に回転する図形を眺めている。
「おや? キミのは少し様相が違うな」
「お兄さんは二人分よ。次元を超えた友情に敬意を表して、ね」
『俺は実体を持たないから、使う場合はマスターが代執行することになる。ハイリスク・ハイリターンの即効性ドーピングだと思え』
「殺す気か! 禁じ手ならなおのこと使っちゃダメだろ!」
俺はちょっとレアケースで、足首にも〈五葉紋〉が出た。右手の五角形、空色のものが俺の分。左脚に出てる黄緑色の六角形がマネージャーのものらしい。
こういうの、なんかイイな。特殊能力に目覚めたみたい。俺なら本業絡み、とんでもない威力の蹴りが出る、なんてのがベタだけど一番現実的か?
(懐かしいな。あいつとも、よくそんな話をしたっけ)
ふいに昔の思い出が蘇り、俺は思わず口元を緩めた。大人になった今でも、あの日のことは鮮明に思い出せる。
サッカーがまだ遊びの延長だった頃、幼なじみ……里親の実の子供が「アルティメットサッカーごっこ」なるものを提案してきた。適当に思いついた必殺技を宣言してPK三本勝負、負けたほうがたい焼きをおごるって寸法だ。
直撃すればゴールポストをへし折り、守護神も裸足で逃げ出す迫撃砲シュート。今思えばバカげた妄想だけど、それがめちゃくちゃ楽しくてさ。
俺たちは最強なんだ。二人一緒なら、なんだってできる。どっちかが欠けた人生なんて考えられないって――そう、思ってた。




