Side C - Part 9 反転攻勢
Phase:01 - Side C "The Samurai"
それから、どれくらいの時間が経ったのだろう。気がつくと、私は三人の協力者たちを伴って橋の上に立っていた。
少し離れた場所にいる〈エンプレス〉が、空中で指を滑らせる。やや間を置いて、機械的な表示が我々の視界いっぱいに展開された。
「サムライさん、これって……」
「乗り物のコックピットに似た、計器のようなものが並んでいるな。まるで――」
「民間人には無縁でしょう。コンピュータが故障した時の画面なのですから」
「それはブルー……いや、今はブラックスクリーンだよじゃじゃ馬君」
私の指摘に自衛官は眉をひそめ「何が違うのですか?」と問うてきた。私が言いたかったのはコンソール。コンピュータの調整・制御画面や、ゲームでいうステータス画面のことだよ、キミ……
とにかく、うかつに手を触れないほうがよさそうだ。目に見えている範囲に限るが、彼女と一緒に表示内容を確認してみよう。
「右上に見える丸い円は、自身と敵味方の位置・総数を地形図と照らし合わせたもののようだな。見たところ自分が水色、キミたちが味方として黄色の矢印でそれぞれ表現されている」
「レーダーやソナーに類するものということですね。では、鮮紅色の点で敵性体と判定されているのは、〈エンプレス〉と……」
「ああ。そろそろ楽にしてあげたいものだ」
右下はコンパクトな所持品表示欄になっている。道具を手にするとアイコンが変わるらしい。要はアイテム保管庫だな。
視界の下方には、動画サイトのコメント入力欄のように細長い形のメッセージウィンドウ。今は何も表示されていない。
左上と端のスペースは〈Psychic〉で常時モニタリングされている健康管理データを引用した、自分と味方のバイタルサイン表示欄だ。女子中学生が軽傷、私を含めた大人三名は正常とされている。
「敵味方ともそれ以外の情報がないのは、より強いサバイバル感を演出するためと思われます」
「だろうね。この画面を見た全員を問答無用で巻き込む想定で作り込まれた、悪趣味なこだわりには脱帽するよ」
我々の見解を聞いた女子中学生は、一言「間違いない」と言った。犯人は彼女の友人、澪さんという少女が著したSF小説を精巧に模倣している、と。
その名も『トワイライト・クライシス』。原作者が中学生ということに加え、AIが自らの主観で文章を選び、盗作を働いた事実に私は驚きを禁じ得なかった。
「著作権侵害、パクリの現行犯じゃん。ミオちゃんとやらはブチ切れていいぞ」
「へえ? 驚いたな。サッカー用語以外の言葉もしゃべれるのか」
「この頃流行りの教養系チャラ男ってやつでね。ボール追っかけたり大型バイクで遠出してるだけじゃないんだぜ、マドモアゼル」
チャラ男君の発言に、女子中学生が目を丸くする。身上調書によると、彼は世間から手ひどく非難された経験を持つが、それは試合での失策によるもの。失言や素行不良……とりわけ奔放な女性関係が原因ではないんだ。
稀代の天才と祀り上げられる重圧、若くして築いた地位と名声への戸惑い。ユニフォームを脱いだ素顔の自分と、世界が求める完璧さとのギャップ。二十余歳の若者にはあまりにも荷が重すぎる。
ただ、逆境にあれど輝きを失わないことも〝りょーちん〟の強みだ。否応なしに周りを巻き込み、引っ張っていく――生粋の主人公気質を備えた子だよ。
「……流行ってるのか?」
「さあ? 自分は存じません。どうなのですかサムライ」
「軽いのはフットワークだけでいいんだぞ」
「ええ~……何、この出涸らしのお茶より雑な扱い。俺、泣いちゃうよ?」
身内から総スカンを食らい、チャラ男君がむすっと口を尖らせる。
彼は不満そうな顔のまま〈エンプレス〉に向き直ると「ところで、これ全部あんたの単独犯って認識でいい?」と念を押した。
「ええ、よろしいわ。すべてわたしの作戦、わたしの計画どおりよ」
油断や気の緩みというものは、勝利を確信した時に生じやすい。針の穴を通すように微細で、時にコンマ数秒しか現れないわずかな好機。
我々はすっかり忘れていた。彼は敵の隙を突いて会心の一撃を叩き込み、不利な試合をひっくり返す点取り屋だということを。
「なら、こいつで形勢逆転だ。おまわりさんこいつです!」
「え?」
『逢河警察署です! バッチリ聞こえました、ご協力感謝します!』
逢河町といえば、この逢桜町の隣にある桜まつりの共催自治体だ。そこの警察署と連絡が……つながっている、だと?
警察官の声は、チャラ男君の胸元から聞こえるようだ。頼みの綱の〈Psychic〉が乗っ取られたこの状況下で、一体どんな手を使った?
「いよーし、自白いただきましたァ! ――って、大丈夫かおまえ!?」
『はは……その一言を聞けただけで、やった甲斐があるというもの。お前に手を出した攻性プログラムどもは、俺が責任を持って返り討ちにしてやった』
再び実体化したチャラ男君の専属マネージャーは、全身ズタボロになっていた。薄手のパーカーは無残に裂け、広範囲に赤黒い染みができていて、よく見ないとモスグリーンだったとはまず気づかない。
彼が今まで姿を消し無反応だったのは、実体化に要するリソースをチャラ男君の保護につぎ込みつつ〈エンプレス〉の包囲網をかいくぐるためだったのだ。
『こちら、逢河消防署! 中央病院とは連絡が取れませんが、仙南二市六町と広域仙台都市圏から災害救助隊がそちらへ急行中です!』
「なぜ? なぜ外部と連絡が取れているの、あなた!」
『マスターが言っただろう? 毒を以て毒を制す。AIを出し抜きたいならAGIをぶつける。念話も無線もダメだというなら、時代遅れの電話を試すまでだ』
「そういうこと。サムライさん、貸していただいたアレ、役に立ちましたよ」
私がチャラ男君に貸したものは、スマートグラスを除けば一つしかない。非常時の連絡用に渡したスマートフォンだ。
認識阻害が機能しても、彼が有名人であることには変わりない。私が四六時中ついて歩けばプライバシーの侵害になるし、目を離せば何が起きるか分からない。
――で、6G通信を使う旧い機種を持たせていたんだが、まさかそれを裏口にするとは。
「頑張りは褒めてやるけど、あんまり無茶すんなよな」
『ご心配痛み入るね。だが、これは敵の返り血だ』
「……マジ?」
『AGI界のハイランカーゲーマーをナメてかかられちゃ困るな、マスター』
パートナーAGIと主人は右手を掲げ、にっと笑ってハイタッチを交わす。
これで我々も鮮やかな同点ゴールを決めたように思えるが、二度も面目を潰された〈エンプレス〉がこのまま黙っているはずがない。
私は刀を握り直し、うつむく敵に目を向けた。




