薄紅色の伝言
『わたしを わすれないで ともかより』
その文章が読み上げられた時、校庭は、しん、と静まり返った。
ぴたりと動きを止めた50人の上に、薄紅の花びらだけが、ひらりひらりと舞い続けていた。
*
「叔父さーん」
『佐那ちゃん、久しぶり。どうしたの?』
「生存確認」
はは、と頭をかく叔父さんの顔は、最後に会った時から5歳は老けて見える。
「叔父さん、ひげ、剃りなよ。じじ臭く見える」
『いや、十分、じじいだし……』
「43歳はじじいじゃないよ。おじさんだけど。いくら、キャンプの民? だからって。身だしなみ気にしなくなったら、お終いだよ」
『はいはい。キャンプじゃなくて、ファイア、ね。FIRE、Financial Independence, Retire Early』
「それそれ。43歳無職」
『……参ったな』
PCの画面越しに叔父さんは穏やかに微笑んでいる。その優しく細められた目を見ると、佐那はいつでもなぜか気持ちがほっこりする。
『姉さんたちは、どう。変わりない?』
「んー……。聞いてない? お母さんたち、離婚するかも」
「え、マジで。なに、義兄さんリストラでもされた?」
「逆だよ、逆。突然、お父さんのお給料が上がったの。月に10万円も。それで今、離婚騒ぎになってる」
「へえ……」
叔父さんの目が光を帯び、視線の焦点がわずかにずれる。佐那の誘いに乗ってくれたようだ。
聡叔父さんは、佐那の母の3歳年下の弟だ。とにかく頭のいい人で、ストレートで最高学府に入り、1年前まで、一流商社でバリバリ働いていた。ところが1年前、すっぱりと仕事を辞めて、地方都市に引っ越して行ってしまった。投資で十分な額の資産ができたので、早期退職をしたのだという。そして、悠々自適な一人暮らしを満喫している。
佐那の父曰く、聡叔父さんは、色々な意味で常人離れしている。まず、リーマンショック時に海外株式に資金投入できる思考回路がハンパじゃない。そして、計算上は可能でも、本当に40代前半で退職して無職になる決断力も、まともじゃない、とのことだ。
まだ学生の佐那には、その辺の感覚は、よく分からない。でも、何となく、叔父さんは、ただ、働きたくなかっただけなんじゃないかと思う。そのために最も効率的な方法を選んで、最大限の努力した。まあ、どっちにしても常人離れしている。
ということで、田舎で暇している叔父さんと、佐那は時々リモート通話をする。生存確認と、こちらの暇つぶしと、たまに人生相談が目的だ。
昔から叔父さんは、その頭脳を十分に生かして、佐那に『芸』を披露してくれた。幼稚園生の頃から今まで、佐那が手に入れて来た様々な謎解きを、瞬時に解決して見せてくれるのだ。
「謎解き芸」の最中特有の、少しぼんやりした視線で叔父さんはつぶやく。
『義兄さん、昇進したの』
「ううん。役職は何にも変わらないの。会社の業績もどちらかと言えば、下がってるみたい」
『ふうん。――離婚ねえ……。――なるほど』
叔父さんは目を上げた。
『その子、可愛かった?』
「うえ。――うん、綺麗な子だったよ。一つ年上で、大人っぽかった」
『……そう。それなら、離婚はないんじゃないの? ――認知してないんでしょ?』
うわあ。完敗だ。佐那は軽く息をつく。
お前には姉がいる。突然父に告げられたのは、一年ほど前のことだ。
父はまあまあ奔放な人だったけれど、この告白のヘビーさは、佐那の人生の中でも群を抜いていた。
父は、佐那とその子を直接会わせたいと言った。佐那は興味を抑えきれず、その話に乗ってしまった。ちょうど一年前、満開の桜並木の下で、二人は父を挟んで立ち話のように会話した。
それから、1年間、桜の映像を見るたびに、佐那の胸には罪悪感が湧き上がった。この事実を知らないのは、母だけなのだった。
でも、その隠し事は、露見した。
その子は、父が母とお見合いをする直前まで付き合っていた人が、黙って産んだ子供だった。父は認知をしなかったので、書類ではばれないと思っていたようだ。
でも、相手の女性は一枚上手だった。養育費をばっくれようとした父は、給与を差し押さえられた。毎月、養育費を差し引いた分の給料が、父の口座には振り込まれた。今年の3月、その子は大学を卒業し、養育費の支払いは終わった。そして、突然会社からの給与振り込みは、10万円、増えたのだった。
『給料は増えたのではなく、本来の額に戻っただけ。差し押さえ、ってとこまではすぐに分かった。でも、借金とか、税金滞納を完済したなら、離婚騒ぎにまでなってるのはどうしてか。……こりゃ、養育費か、という結論になった』
叔父さんの声は淡々としている。あくまでひとの家のこと、と言う感じで、その響きは佐那の心の内を鎮めてくれる。
『給料、別口座に分けて振り込んでもらうとか、すればよかったのに』
「1か月ずれたみたい。笑い話」
佐那は苦笑いする。
「認知もしてないから、これから相続だとか、そういう問題は心配しなくていいって言われた。……でも、私とその子を会わせたのが、お母さんには許せなかったみたい。そりゃ、そうだよね……」
『まあ、離婚するならするで、いいんじゃないか。佐那ちゃんが気に病むことじゃないよ』
「そうかな……」
『俺の予想では、その10万円は、これから退職まで、姉さんの小遣いになる。そのくらいで、手打ちじゃないかな』
「ええ……」
母が割と現実的でドライな性格なのは分かっているが。
『それより、ほんとに話したいことは、別にあるんだろ』
「ええ、分かった? ――そうなんだ、ちょっと叔父さんに解いてもらいたい、不思議なことが起こったんだよね……」
PC越しに、叔父さんの瞳が再び光を帯びる。
佐那はメモ書きに目を落としながら、話し始めた。
*
今年の桜の開花は早かった。しかし開花後の花冷えで、今日まで、校庭の桜は意外なほどの美しさを保っている。
校庭の一角に、ばらばらの服装をした男女が50人ほど集まっている。
私立鷺が丘高校、2022年度卒業生同窓会。卒業から5年という比較的早めのタイミングでの開催だったが、ストレートに行けば4年制の大学を卒業して、社会人1年目となる年齢。それぞれの過ごした5年間が、均一だったクラスメイトをまだらに色分けしている。
固まって談笑する元同級達の顔を、佐那は見るともなしに眺める。100人ほどだった同級生の内、今日集まったのは、約半数だ。それなりに自分に自信を持った、余裕のある顔つきの子が多い。同窓会に出たがるのは、勝ち組。どこかで聞いたセリフが蘇る。
父が転勤族だった影響で、佐那がこの高校に在籍したのは、高3の一年間。転勤族の子供あるあるで、小中高、複数の学校から同窓会の連絡が入る。でも正直、一つ一つへの想い入れが少なめで、これまで佐那は同窓会に参加したことはなかった。
今回佐那が参加を決めたのには理由がある。
「見つかったよ!!」
集団に背中を向けて作業をしていた主催者たちがはしゃいだ声をあげ、校庭に歓声が上がる。
「それではこれから、タイムカプセルの開封式を行います!!」
抑えきれない興奮に若干声を上ずらせながら、主催者である同窓会会長が、掘り出された箱を台の上に置いた。
5年前の卒業式の日。卒業生たちはここに「タイムカプセル」を埋めた。中には、5年後の自分へのメッセージ、友人へのメッセージ、記念品などが入れられている。
佐那はどうしても、このメッセージ、もといポエムを、他人の目に触れされずに回収したかった。……まあつまりは、今回の同窓会参加の目的は、この黒歴史の回収である。
厳重にぐるぐる巻きにされた外装がほどかれて行き、タイムカプセル本体が姿を現わした。
みんな固唾を飲んで、蓋を取り去る会長の手元を見つめる。
「待てよ、どういうことだ……」
会長のつぶやき。
タイムカプセルの箱の中には、手紙が1通だけ入っていた。
期待に静まり返っていた一同がどよめき、校庭はにわかに騒がしくなる。
「ちょっと待て、どういうことだよ。ここには卒業生全員分の手紙が入ってるはずだろ!」
「写真とか、酒とかも入れたよな、なあ!!」
何入れとるんじゃ。と佐那は思わず胸の内で突っ込みを入れる。
しかし、これは一体、何が起こったのだろう。
「何かの間違いじゃないのか」
「いや、俺たちが植樹した桜の木の、2m南。これに、間違いない。箱も、同じものだ」
「じゃあ、どうして」
「……とりあえず、この手紙、どうする?」
そこで副会長の冷静な声がして、一同は我に返る。
「会長。開封して、中を確かめてください」
薄いゴム手袋を会長に手渡しながら、副会長は変わらず冷静に言葉をつなぐ。彼女は確か、今年から法科大学院生のはずだ。
同窓会長は手袋をはめると、緊張した面持ちで、タイムカプセルの底から、チャック付きビニール袋に入れられた手紙をつまみ上げた。チャックを開け、封筒を手に取る。それはほとんど変色もない、白いまっさらな封筒だった。
会長は、封のされていない封筒から、一枚だけ入っていた、折りたたまれた紙片を取り出し、ゆっくりと開く。
そして、息を飲んだ。
手紙を開いたまま固まっている会長の背後に回り、副会長がその手元をのぞき込む。そして、微かに眉をひそめてから、ゆっくりと、読み上げた。
『わたしを わすれないで ともかより』
一瞬、校庭はしんと静まり返る。それから、ハチの巣をつついたような騒ぎになった。
*
「結局、その場では、誰かの悪質ないたずらだろうってことになったの。その後場所を移して、予定通り宴会も開催されたんだけど、それがもう、お通夜みたいな雰囲気で……」
佐那はため息をつく。
『ともか、とは誰なんだ』
「私は編入生で知らなかったんだけど、2年生の春休み、学年で一人、亡くなった子がいたみたいなの。その子の名前が、栗橋智花さん」
『亡くなった……』
「副会長によると、どうも、……自殺だったみたいなんだよね」
叔父さんの目が細められた。
「でも、おかしいの。あのタイムカプセルは、結構深いところに埋められていて、こっそり掘り出して中身を入れ替えるのはかなり難しいと思う。鷺が丘高校は、一度夜に校舎に侵入されてガラスが割られてから、かなり警備も厳しくなっていたみたいだし、泊まり込みの用務員さんもいる。ちなみに、その用務員さんは、知らない間に校庭が掘り返された痕跡は、覚えがないと言っているの」
佐那は、この事件の犯人を見つけ出そうと決心していた。義憤に駆られてのことではない。行方知れずの、自分のあの黒歴史ポエム。あれがまだ、破棄されずに犯人の手元に残っているとしたら……。
しかし。
「おかしいと思うのは、それだけじゃない。同窓生みんなが、犯人探しにすごく消極的なんだよね。どうも、その亡くなった子と、同窓会長との関係に原因がありそうなんだけど……」
同窓会の宴会の異様な雰囲気から、思ったよりも深い事情がありそうだと佐那は思った。後日、佐那は同窓会副会長とコンタクトを取り、この事件の解明への協力を持ちかけた。
副会長は、若干思案する顔をしたが、うなずいた。佐那の動機が興味本位ではないことが、副会長の気に入ったようだった。副会長の話は、まとめると以下のようなものだった。
栗橋智花は、1年生の時、同窓会長と交際していた。しかし二人は別れてしまい、2年生の夏、会長は別の同級生、羽生やよいと付き合いだした。そのころ、もともと体調不良で休みがちだった智花は、完全な不登校になった。そして、2年生の春休み、自宅で死を選んだのだった。
同級生に宛てた、遺書の類はなかったと聞いている。ただ、智花の元彼の同窓会長や、彼と高校から交際を続けこの6月に結婚する予定の羽生やよいには、やはり引っかかるところはあったのだろう。やよいは今、精神的に若干不安定になり、結婚式に招かれていた同級生には、式の延期の連絡があったそうだ。
「一体、犯人の目的は何なのか。あの二人を別れさせること? でもそれでメリットがある人なんか、いるのかしら……。そしてどうやって、タイムカプセルの中身を入れ替えたのか。それから、あの手紙……あの字、智花の字だった」
副会長は目を伏せて、すっかり氷が溶けたアイスティーをストローで吸った。
*
「ふうむ……」
叔父さんは顎に手を当てる。考え込むときの癖だった。視線は僅かに左下にずれており、おそらく何も見てはいない。
「タイムカプセルを掘り出した時、スマホで動画撮影されていたみたいなの。データをもらってきたから、叔父さん、見てくれる」
『もちろん』
佐那が何度も見返したその動画を、叔父さんは食い入るように見つめる。それから、軽く首を振った。
『少なくとも、掘り出されてから箱が開封されるまでの間には、中身を入れ替えるタイミングは無かったように見えるね』
「……そうだよね……」
『……佐那ちゃんは、そのタイムカプセルを埋める時には、その場にいたのかな』
「もちろん。学年全員が、その場にいたわ」
『そうしたら、その時の状況を、覚えている限りできるだけ詳しく話してくれるかな。5年前のことだし、大変かもしれないけど』
「分かった、やってみる……」
卒業式は、薄曇りだった。まだ冬の名残を残した寒風に、佐那は軽く首をすくめる。
タイムカプセルは、全ての中身を入れ終わり、今まさに、ビニールテープでぐるぐる巻きにされているところだった。
今日で、高校生活も終わりか。ぼんやりと佐那が思ったとき、委員長の声がした。
「それでは、これから卒業記念の植樹をします」
鉢植えの苗木が、慎重に持ち込まれる。そして、あらかじめ掘られた植樹用の穴に、移し替えられた。その根元に、同級生が順番に土をかける。
「次は、タイムカプセル。……最後の、位置合わせをしよう」
苗木が植え終わった後に、そこから真南へ2m。学級委員たちが方位磁石とメジャーで位置を確認する。1.5m四方ほどにざっと広く掘られていた四角い穴に、慎重にタイムカプセルが降ろされていく。
降ろされたぐるぐる巻きの箱の上に、次々と土がかぶせられている。まるで、映画で見るお葬式みたい。口には出さずに佐那は思う。
やがて、タイムカプセルを埋めた穴はほぼ埋まり、ほとんど他と変わらない高さになった。
「……あとは、木には俺が水をやって、大事に育てるから……」
黙って生徒たちの後ろから、成り行きを眺めていた用務員さんから声がかかる。
「すみません、お手数をお掛けします」
頭を下げた生徒会長、もとい同窓会長に、用務員さんは穏やかな笑顔を向ける。
「いやいや。未来への手紙か、いいねえ。嫌なことばかりの世の中でも、俺も何か少し、希望が持てるよ。……来年も、引き継がれるのかねえ」
その年の卒業記念植樹とタイムカプセルは、密かに下級生の評判を呼んだようで、その後、恒例行事となっているそうだ。
『……なるほど』
叔父さんは、目を上げた。
「え、叔父さん、もう犯人が分かったの」
『多分、ね。でも、犯人の手元には多分、佐那ちゃんの手紙は、ないと思うよ』
「そんなあ」
佐那の声には思わず泣きが入る。
『……佐那ちゃんは、とにかく、君の“未来への手紙”を取り戻したいわけだよね』
「え、……うん」
『だったら、まずはそれを手に入れに行こうか』
叔父さんの言葉に、佐那は真剣な表情でうなずいた。
*
「あの、本当にお手伝いいただいて、すいません」
「いやあ、いいんですよ」
鷺が丘高校の用務員さんは、佐那が在籍していたころとは、代替わりしていた。それでも、植樹された木の管理は十分に申し送られているらしい。6本並んだ桜の木は順調に生育し、左の2本ほどは、幹は抱えるほど、高さは見上げるほどに成長し、ゆさゆさとその葉を風に揺らしていた。徐々に小さくなっていく並びの一番右端では、今年の卒業生の植樹したものだろう、ひょろりとした苗木が、まだ頼りない風情で支柱に支えられ、風に揺れていた。
(確かに、叔父さんの、言う通り)
その桜並木をゆっくりと端から端まで歩きながら、佐那は胸につぶやく。
「それでは、……ここを、掘ってください」
やがて佐那が指定した場所を、同窓会副会長と佐那、そして用務員さんは3人がかりで掘り返す。5月とはいえ、降り注ぐ陽光の下での肉体労働は、かなりきつい。やがて3人の額に汗が浮かび、息が上がってきたところで、佐那のスコップに、コツリ、と感触があった。
「……あった」
3人は夢中で掘り進む。やがて姿を現わしたのは、2か月前に掘り返したのと寸分たがわぬ姿をした、タイムカプセルだった。
「叔父さん、……あったよ」
『そうか』
スマホをかざして叔父さんにタイムカプセルを見せると、叔父さんの淡々とした声が応えた。
「これは一体、どういうことなの」
眉をひそめた副会長が、佐那に詰め寄る。
スマホの中から、叔父さんの声が応えた。
『……そのタイムカプセルが、君たちが埋めた、本物だ。2か月前に掘り出されたタイムカプセルは、君たちが卒業する一年前に、栗橋智花さんによって埋められた、偽物のタイムカプセルだったんだ」
*
卒業記念に、植樹とタイムカプセル埋設を行いたい。その申し出があったのは、6年前の春のことだった。
その年、日本中を席巻した伝染病のせいで、彼らは卒業式を行うことができなかった。集まることも禁止されていた春休み、用務員と卒業生代表を名乗る少女は、二人で校庭の一角に桜の苗木を植え、タイムカプセルを埋めた。他の生徒たちは、代表が頭に付けていたカメラから、ライブ中継でその様子を見守っているとのことだった。
来年は、みんなで集まって同じことができますように。祈りを込めて、卒業生代表は、翌年の卒業生のための苗木とタイムカプセル、そしてその埋め方を、用務員に託した。有志による願掛けだから、匿名でのプレゼントとして欲しい、前の年に同じことをしたことは、公にはしないで欲しい。それが、代表の依頼だった。
翌年、例年と同じではなかったが、卒業式は無事、行われた。タイムカプセル埋設と植樹は、卒業生一同によって無事、執り行われたのだった。
「……というのが、元、用務員さんの話」
ひと汗流した後のコーラは格別だ。ぷは、と息を吐いて、佐那は、膝に置いたPC越しに、遠くの街の叔父さんに話しかける。
隣の同窓会副会長は黙って、冷えたスポーツドリンクをあおっている。
「桜の木は、6本並んでいた。でも、叔父さんの言う通り、一か所だけ、不自然に間隔があいていて、そこには、ヒョロヒョロした木が生えてた」
『ん、ソヨゴ、だな。育ちが遅い木として有名だ』
「その木の南2mの場所に――私たちの、タイムカプセルは、埋まってた」
『そう、佐那ちゃんたちが植えた苗木は、桜ではなくて、ソヨゴだった。5年後の同窓会に集まった君たちは、自分たちが植えたと勘違いして、栗橋智花さんと用務員さんが植えて、立派に育った桜の木の南の、二人の埋めたタイムカプセルを掘り出した』
「……そしてそこには、一通の、彼女の手書きの手紙が、入っていた」
『そう、未来の君たちに宛てた、最後の、メッセージ』
栗橋智花さんは、何を望んで、こんなことをしたのだろう。それはもう、今となっては、誰にも分からない。
あの手紙を開くのが、元恋人の、同窓会長だと、予見していたのだろうか。少なくとも、彼はその時、生徒会長となることは決まっていた。
あの、いつもにも増して暗く長かった冬の間、彼女を死に誘ったものは、何だったのだろう。
ざわざわと揺れる6本の桜の木と、その間でひっそりと揺れる1本のソヨゴの木を、佐那はぼんやりと、見つめていた。
五月晴れの5月の空は、どこまでも抜けるように青く広がっている。