第89箱
見聞箱から届く映像には、参加者が参加者を襲う光景が複数ありました。
騒動を起こし本来の目的を誤魔化しつつ、成功した時には騒動のせいにする――という目論見なのでしょう。
「サイフォン様……!」
複数浮かんでいる映像箱から、サイフォン様の姿を探し出しそちらへと視線を向けると、ちょうどサバナスが襲撃者の首筋へ手刀を落として意識を刈り取るところでした。
『出来るコトならば、リッツに任せたかったのですが』
『すまない。一人では限界があってな』
軽い調子で詫びながら、リッツは手にしていた槍を背中に戻します。
サバナスも手をパンパンと払っていますが、着ている服や整えられた髪なども乱れていないので、あまり大立ち回りはしなかったのでしょう。
そんなサバナスが倒した男が最後の一人だったようです。
すでに、周囲には他にも五人ほど倒れ伏していました。
『ふむ。警備の中にもターキッシュ伯爵の息が掛かったモノがいたか』
周囲に倒れた者たちを見、抜いていた剣を鞘に戻しながらサイフォン様は口にします。
『他の方の可能性は?』
『ゼロではないだろうが、限りなく低いと考えている。
情報筋によれば伯爵の暴走のようだし、何より手段が雑だ。むしろ梯子を外している可能性があるくらいだ』
あの光景を見ていないはずのサイフォン様も、その辺りの推察はされているようです。
『口は堅そうだが……割れるか、リッツ?』
言われて、リッツは倒れている一人を無理矢理起きあがらせると、ほっぺたを数度叩いて無理矢理目を覚まさせました。
『誰の手の者だ?』
低く恐ろしい声で問いかけるリッツ。
起こされた襲撃者の目はしばらく焦点があわずぼうっとしてましたが、ややして意識が覚醒し、状況を理解したのでしょう。
たたき起こされた男はニヤリとしながら告げます。
『クライアントからはハデにやっていいと言われている。
他の参加者や見学者が無事でいればいいがな』
瞬間――サイフォン様は、その男の脳天にカカトを振り下ろしました。
『殿下……?』
『リッツ。お前の魔法でこいつら全員地面に縫いつけておけ』
サイフォン様によって再び意識を刈り取られた男の手首と足首に対して、リッツは土を操り巻き付けます。
それは地面にしっかりと食い込み、そして岩のように堅くなっているようでした。
それを見ながらサバナスは言います。
『殿下、これでは獣どもの餌になる可能性がありませんか?』
『捨て置くだけだ、サバナス。生きていたら洗いざらい吐いて貰うが、どうせこいつらは木っ端だろう』
いつになく冷酷な顔でそう告げ、サイフォン様は足早に歩き出します。
それを見て、リッツも他の襲撃者たちへも手早く同じ魔法で拘束していきます。
『応援席へ戻るぞッ!
参加者たちはともかく、あの場所にいる者たちで戦える者は少ないッ!』
サイフォン様のその言葉にサバナスとリッツは即座に応じ、動き出すのでした。
見聞箱の視界からいなくなる途中――
『素直に婚約者殿が心配だと口にすれば良いのに』
どちらともなく口にしたと思われる独り言を拾っていました。
心配してくれたことに嬉しくなりながらも、喜んでいる場合ではありません。
「カチーナ」
「はい。お側に」
「襲撃がくる。迎撃を」
私がそう告げるやいなや、彼らの中での合図でもあったのか、周囲で待機していたらしい襲撃者たちが姿を見せました。
狩猟に参加していた者。
警備に紛れていた者。
応援席に紛れていた者。
乱入してきた者。
よくもまぁ用意したものです。
それだけ、ターキッシュ伯爵も本気ということなのでしょう。
もちろんこの場には護衛を連れた人たちもいますが、それがかえって厄介です。
自分の連れ以外、敵か味方か分からない状況になってしまいました。
戦えない人の悲鳴や、指示を飛ばす声。あるいは怒号や罵声。
私は『箱』の中にいる限り、ある意味で安心です。
とはいえ、黙っているつもりもありません。
この状況で収集できるだけの情報を集めなければ。
『箱』へと襲いかかってくる襲撃者。
ですが、それをカチーナが許すことなく、攻撃を受け止め、迎撃します。そして余裕があるとカチーナは彼らを川へと放り込んでいきます。
意識だけ刈り取っても、目覚めて襲われると厄介ですからね。頭数を手っ取り早く減らしたいのでしょう。
カチーナならサックリと命を奪うことも可能でしょうが、それをしないのは、そういう光景を見慣れていない私や他の令嬢たちへの気遣い、といったところでしょうか?
「お嬢様。どうなされますか?」
「うーん……」
正直なところ、私とカチーナだけならば『箱』に引きこもるという手段を取れるのですが、周囲にあれこれ飛び火しているので、私たちだけが無事という手段は取りづらいです。
「もうすぐ、サイフォン殿下が……来るから」
「かしこまりました」
こちらへと急いで向かってくれているのは、映像箱で確認しています。
可能なら、襲撃者とそうでない者を分類したいところですけど、ちょっと難しそうなところが厄介です。
「それと、私への攻撃――無理して防がなくて、大丈夫」
「しかし……」
「この『箱』は丈夫。知ってるでしょ? 賊の無力化、それが最優先」
「………………はい」
例え『箱』であっても、攻撃を加えられたくないというカチーナの気持ちは汲むけれど、だからといってそれが原因でカチーナの動きに制限されてしまうのも少し違うから。
そして飛んでくる火の玉に対して、カチーナは苦渋の選択をおくびにも出さずに躱し、前に出ます。
それは『箱』に直撃しますが、この程度のぬるい火の玉では煤一つつきません。
迎撃という一手が不要となり、余力のあるカチーナは火の玉を躱したあと、そのままそれを飛ばした男へと肉薄し、彼の頭を鷲掴みにしました。
直後に、男は目を見開き身体をビクリとふるわせたあと、地面に崩れ落ちて動かなくなります。
あの至近距離から、耳か脳に直接音を叩きつけ意識を奪ったのでしょう。
……あるいは、私が想像しているよりも凶悪な攻撃だったのかもしれませんが、深く考えないことにします。
カチーナ……いつも通りのクールな表情のようで、眼光がとても冷たくて鋭いものになってるようで……。かなり機嫌が悪いようです。
いえ、私の指示のせいだとは思うんですけど……。
そうして、大きな被害も出ないまま、この辺りで暴れ出した襲撃者たちの数がだいぶ減ったところに――
「無事かッ!」
サイフォン様とともに、複数の参加者や警備の人たちが現れました。
「どうやら、ここにいた者たちの護衛は優秀な者が多かったようだ」
この場を見回し、安堵したようにそう口にしたあとで、私の方へと向かってきます。
「モカ、カチーナ。君たちも無事か?」
こちらへ向かってくるサイフォン様に声を掛けようとした時――
「殿下ッ!」
地面に倒れていた者の一人が身体を起こし、魔法で作った岩を投げつけてきたのです。
カチーナの鋭い声に反応したのはリッツでした。
リッツはサイフォン様の襟元とサバナスの腕を掴み、その場から飛び退き、カチーナは即座に地面を蹴って動きます。
飛んでくる鋭く尖った岩は、『箱』に当たって砕け散りました。
カチーナは術者へと素早く近づき、その男の意識を奪うべく構えましたが――
「クソったれ――……ッ!」
恐らくはやぶれかぶれ。
男はカチーナから攻撃を受け、意識を奪われながらも、無理矢理魔法を発動します。
それは、地面を駆け、『箱』の下に作用して――
「モカ……ッ!!」
地面が勢いよく石筍のようにせり上がり、『箱』を宙へと放り投げました。
「お嬢様……ッ!!」
あー……なるほど。
確かに防御力の高いこの『箱』ですが、強制的に動かされるとなると、弱いのですね。
宙に放り投げられてしまった『箱』はやがて――
ドボン……と、川の中へと落ちてしまうのでした。