第85箱
カチーナを呼ぼうにも、カチーナには別件でお出かけしてもらってます。
さてどうしたものかと考えて――
私の脳裏によぎったのはラニカです。
ちょっと慌てん坊で、慌て出すと周囲が見えなくなるのが玉に瑕な侍女ですが、優秀な子なのは間違いありません。
うん。カチーナがいない分は、ラニカにでも手伝ってもらいましょうか。この家の図書室から資料を持ってきてもらうくらいなら、彼女でもできるでしょう。
そうして私は、ニコラス様に繋がる何かがないかと、ティノさんについて情報収集を始めるのでした。
調べ物は、やっているうちに夢中になってしまっていたようです。
ふと、顔を上げた時、医務室のベッドにいた女性の姿がありません。
どれだけ時間が経ったのかは分かりませんが、ちょっと失敗しましたね。ほかのことが疎かになっていましたね。
困ったな――と思っていると、箱がノックされ、ラニカが声を掛けてきます。
「お嬢様、カチーナさんが戻られました」
「そう……そしたら、カチーナと……替わって、ラニカ」
「かしこまりました。
あの……ちゃんとお仕事できてましたか?」
「ええ、大丈夫……よ。ありがとう。
また何かあったら……お願い、ね」
「はい!」
実際、ラニカは私の頼んだものだけでなく、これも一緒に読むと良いかもです――と追加資料なども用意してくれたんですよね。
当たり外れはあれど、資料の選択の仕方は悪くなかった為、間違いなく役に立ちました。
そうして、ラニカとカチーナは交代。
カチーナは箱の中へとやってきます。
「どうだった?」
「やはりあの女性は、王城勤めの方ではなさそうです」
つまり、間違いなく誰かの仕込みということでしょう。
王城で働く使用人はいっぱいいますが、細かく担当は分かれています。あの廊下を歩いて仕事をする人に絞り、その担当の方たちとお話をしてきたところ、どの担当にも怪我人はいなかったそうです。
「結局、どこの人……だったのかな……」
「そのコトなのですが……」
私が小さく呟やいた言葉に、カチーナは何か追加情報を持っているようでした。
「実は、たまたま医務室から出てくる姿を見かけたので、少々尾行を行いました」
さすがはカチーナ。
偶然かもしれませんが、私が見逃した瞬間に立ち会っていたようです。
「結論から言いますと、ルチニーク前公爵の関係者かと思われます」
「ニコラス様の、お屋敷にでも……入っていった、の?」
「はい」
訊ねればカチーナがうなずきます。
途中で追っ手を確認するような動きを繰り返しながら、とある建物へと入っていき、着替えた上で、ニコラス様のお屋敷に向かったようです。
そこまで確認できたのは朗報ですね。
そう思っていると、カチーナはさらっととんでもないことを口にしました。
「また、尾行を終えたついでに、ルチニーク前公爵の邸宅にいくつか、見聞箱を仕込んできました」
「用心深そうな、ニコラス様の……お屋敷に入ったの?」
「夜の王城に忍び込むのに比べたら、難易度は低めでした」
「……そう」
夜の王城とか、いつ忍び込んだの――と問おうとして、私は踏みとどまりました。
恐らくは、見聞箱を仕掛けて来て欲しいと私が頼むたびに忍びこんでくれているのでしょう。
まぁカチーナの音の魔法を使えば、そういうのも可能でしょうけど……。
深く聞かないでおいた方がいいかもしれません。
ともあれ、今はニコラス様の手の者だと掴めたのは収穫です。
「ありがとう、カチーナ。
私はしばらく……調べ物を、するから……。手伝って、ね?」
「かしこまりました」
翌日――
フラスコ王子は、越冬祭まで謹慎を言い渡されたそうです。
仕方ないと言えば仕方ないのですが、それで余計荒れてしまっているようです……。
ともあれ、私は昨日に引き続き、ティノさんとニコラス様に関して色々と調査中。
また、昨日は調べ物に集中しすぎて、映像箱からの情報収集が疎かになってしまっていたので、カチーナに定期的に声をかけてくれるよう頼んで、作業を切り替えながら進めています。
作業中、送り箱に手紙が届いているのに気がつきました。
サイフォン王子からのようです。
《兄上のコトは、すでに知っているかな?》
その内容に、私は少しだけ考えてから、返信をしました。
《倒れた女性はニコラス様の仕込みの可能性があります》
《なぜだ?》
それに対して、サイフォン王子から即座に返信が届きましたが、少々意図が掴めません。
どうしたものかと考えていると、ややしてサイフォン王子から新しい手紙が届きます。
《失礼。なぜそう思ったのか、なぜニコラス翁がそれをしたのか……色々な「なぜ」がまぜこぜになってあのような返信をしてしまった》
サイフォン王子から届いたそれに、私はカチーナから受けた報告の内容を軽くまとめて送りました。
《すでにここまで調べていたのか》
《ですがニコラス様の目的だけは分かりません》
《俺もだよ。兄上の癇癪で使用人を傷つけた――その事実が、ニコラス翁にとってプラスに働く状況とはなんだ? 見当もつかない》
王子が手紙でぼやく通り、その点に関してはサッパリなんですよね。
そもそもからしてニコラス様がどのような方かも、あまり詳しくはないですし……て、あ! そうですよ。私、ニコラス様について全然知らないのですよね。
肩書きだとか立ち位置、かつて活躍やエピソードといった、表面的なところはそれなりに知ってはいますけど、人柄や趣味嗜好などは皆目知りません。
《そういえば、ニコラス様はどのような方なのですか?
身内から見てというか、為人といいますか》
私がそんな質問を投げると、なかなか返信が返ってきませんでした。
王子は自分の感覚をまとめるのに時間がかかっているのでしょうか?
《俺もそこまで詳しくはないが。
厳しくも優しい愛国者、というのが恐らく一番端的な表現だと思う。
自分は王に仕えるのではなく、国に仕えているのだ――というコトをよく口にされていたそうだ》
しばらく待ち、サイフォン王子から返ってきた内容がこれでした。
それを見ている間に、次の言葉も送られてきます。
《国の為にならない、むしろ害である。そう判断した時は、格上――それこそ例え相手が王であろうとも、苛烈に対応するコトもある。同格や格下であれば冷酷に切り捨てる。現役時代はそういう人物だったそうだ。
だが、情などがないわけではなく、むしろ厚く義理堅い。苛烈な対応をした時などは後に秘密裏に謝罪を行い、切り捨てざるを得なかった者にも、必要とあらばフォローを欠かさない人だったそうだ。
父上や宰相など、全部が人から聞いた話だけどね》
王に対して苛烈な対応をするというのは、不敬として罰せられても仕方がない行為ではありますが、それが許されるぐらい優秀だった人なのでしょう。
《一方で、平時はユーモアある気さくな方でもあったようだ。
暇な時などは面白いコトを探し回り、時にイタズラを仕掛け、相手の身分問わず女性に声をかけて回っていたとか。
城の中で使用人を口説いていたり、時にはお忍びで外へ出た先の酒場などで女性客などを口説いていたという話も聞いたな》
《女性好きのところ以外は、わりとサイフォン王子に似ているのではありませんか?》
遠縁とはいえ血筋なんだなぁ……と思ってしまう話です。
《かの優秀な元宰相と似ていると称されるのは悪い気はしないな》
ニコラス様と似ているということは、サイフォン王子も女性好きだったりするんでしょうか……?
いえ、私と婚約するまでこれといって女性関係の話を聞かなかったのでそれはないのかもしれませんが……。
……はて。
何だか微妙にモヤっとしたモノが湧いてきました。
この感情はなんだろう――と、僅かに思考して判明したので、紙に認め送ることにしましょう。
《道楽屋フォンは、女性を口説いたりしているのですか?》
たぶんこれが嫉妬とか、そういう感情なのでしょう。
これで肯定されてしまったらどうしよう――と思ってしまう一方で、肯定したとしても、それはそれでサイフォン王子らしいかもしれない、と考えている自分がいます。
サイフォン王子らしさと考えるなら、そう不安もないかもしれない。
そんな風に考えたら、別にどうでもよくなってきてしまいました。
まぁようするにその程度の些細な不安だったのでしょう。
こうやって言葉に落とし込み、質問した時点でモヤっとしたものは解消されました。
ちょっと、意地の悪い質問をしてしまった気はするので、反省です。
ただ、サイフォン王子の場合は面白そうだからという理由だけで、女性を口説くことがあるかもしれない――という信頼感はあります。
……それは、良い信頼感なのかどうかと問われたら、ノーコメント。
などと、考えている間にも、なかなか返事は返ってきません。
送り箱を通して向こうの気配を感じるといいますか、答えに窮しているようにも思えます。
訊ねた時点で不思議とモヤっと感は解消されてしまったので、どういう答えでも構わないと言えば構わないのですが。
《必要がある時はしているかな》
あ、正直に答えてくれるんですね。
ならこちらも正直に返信するとしましょう。
それにしても……サイフォン王子の文字から感じる、恐る恐る感。
そこまで怖がらなくても良いのですけど……。
《正直にお答え頂き、ありがとうございます。
質問をしておいて何なのですが、実はそこまで気にしているワケではありません》
自分で振っておいて――ではあるのですけど、うまく想像できず、あまりピンと来ない浮気の話は置いておいて、それによって生じる想像しやすい問題の方へと釘をさす私です。
《どこからともなく子供が現れたりしたら、少々面倒になりますので。そのコトは把握しておいていただけると助かります》
実際問題、それが原因のお家騒動とかも聞きますしね。
起きてしまえば全力で取りかかるしかありませんが、正直に言ってしまえば面倒事の解決って、とても面倒なので嫌ですし。
《浮気などという不誠実な真似、絶対にしないと――創造の夫婦神に誓おう》
……あれ? そんな全力で宣誓するかのような力強い文字を書くほどの話でした?
継承問題などのお家騒動が発生するようなマネはしないで下さいっていうだけのことだったんですが。
こうして、この時間の王子とのやりとりは、この何とも言えない空気のまま終わりを迎えてしまうのでした。