第53箱
いつの間に眠っていたのか定かではありませんが、ぼんやりとしたまま意識が覚醒しました。
『箱』の中の寝室なのは間違いないのでしょうけれど、かなり頭が重く感じます。
「帰り際のアレは……夢、ではなかったのですよね……」
まだ完全に覚醒できてない頭で、髪に触れると、王子の指と唇の感触が鮮明に思い出されて、熱が上がってくるのを自覚しました。
「~~~~っ」
言葉に出せない感覚にジタバタしたくなるのを押さえて、大きく深呼吸。
「はぁ……」
何とか落ち着きを取り戻し、眠気を振り払うと、私はベッドから降りました。
『箱』の中にいる限り、『箱』の持つ守りのチカラによって餓死や脱水死のようなものはないのですけれど、それでも身体が食事と水分を妙に欲しています。
これは――私、だいぶ寝てましたね?
寝てたというかほぼほぼ気絶してましたね?
どれくらいの時間が経っているのでしょうか。
中から部屋の周囲を見渡すと、私の部屋を掃除しているラニカがいました。
「ラニカ」
「あ! お嬢様! お目覚めになられたのですね!」
快活な声を嬉しそうに弾ませて、ラニカは『箱』へと駆け寄ってきます。
「えっと……おは、よう……」
「はい。おはようございます」
「あの……」
「お食事ですか?」
「うん」
「では、食事と一緒にカチーナさんも呼んできますね!
ほかにご要望はありますかっ?」
「要望じゃ、ないの……だけど……」
ラニカが部屋を出て行く前にこれだけは聞いておかないと。
「私、どれくらい……寝て、た?」
「一週間ほどですよ。カチーナさんの予想では、建国祭近くまでは起きないかもって言ってましたので、だいぶ早いお目覚めかと!」
「一週間……」
どうやらかなり寝ていたようです。
というか、カチーナは一ヶ月近く寝てることを予想していたのですね……。
さすがに、そんなに寝込んだりは……。
……………あ、しますね。
身内以外の前で箱から顔を出すのって、すっごい疲れますし。
ストレスによって体力と精神力がもの凄い速度でガリガリと削られていきます。
勢い任せとはいえルツーラ嬢の前で一度。それから、必要に迫られてフレン様の前で一度。
さらに、帰り際に何となくでサイフォン王子に顔を見せて……。
顔を出し続けること自体がとてもしんどいですので、コトが終われば反動で倒れるのも、まぁあり得るでしょう。
それが一日に三度も重なれば……。
はて? 一日で三度も重なって、一週間で目覚めるなんて……我ながら珍しいといいますか、何か成長したところでもあるのでしょうか……。
あるいは、もしかしなくても、サイフォン王子の前で顔を出したのは、ストレスになっていない……のでしょうか?
それに、手を握ったり、髪に口づけを……。
思い出したら、また顔が熱くなってきます。
「お嬢様?」
ラニカが恐る恐る声を掛けてきたことで、私はハッと顔を上げました。
「聞きたかったのは、それだけ……だから。
食事と、カチーナを……よろしく……」
「はいッ!」
そうして、パタパタと慌ただしく部屋を出て行こうとするラニカに声を掛けます。
「あ、ラニカ」
「なんでしょう?」
「慌てなくて……いいから、いつも……通りに」
「分かってますッ、大丈夫ですッ!」
快活な笑顔でそう答えると、ラニカはこちらに挨拶もせずに部屋を飛びだしていき――
「みなさーんッ、お嬢様がお目覚めになりましたよ~ッ!」
廊下から彼女の元気な声が聞こえてきました。
「それは喜ばしいコトですが、まずは落ち着きなさい」
続けて聞こえる誰かの注意の声と、別の誰かの警告。
「あ、ラニカ、気をつけて! 今そこ、水がこぼれてて滑る……」
「え? きゃぁぁぁぁぁぁぁ~~~……!!」
ドンガラガッシャンというすごい音が聞こえてきましたが、ラニカは大丈夫でしょうか?
だから、慌てなくて良いと言ったのですけど……。
ともあれ、多少の慌てん坊事件はありましたが、無事に仕事を果たしてくれたラニカのおかげで、カチーナが食事を持ってきてくれました。
ふつうは一週間も寝込んでいると、筋肉的にも内臓的にも身体が弱ってしまうものですが、『箱』の中にいると、健全な状態に保ってもらえるので助かります。
反面で、空腹感はかなり強く出てきます。
それを理解してくれているからでしょう。カチーナが持ってきてくれたご飯は二人前でした。
それを食べきったところで、腹八分目といったところでしょうか。
ようやく人心地ついた気分です。
「ごちそう、さま……でした」
言葉とともに、食器を『箱』の天面へと移動させます。
「追加は大丈夫ですか?」
「うん……。大丈夫」
「では、片づけて参ります」
「お願い、ね」
天面に乗った食器をワゴンへと移し、カチーナがそれを押して部屋を出ていくのを眺めながら、私は何ともなしに考えます。
――いつまでも、台車で移動するわけにはいきませんよね?
今後も箱の中をメインにして過ごすにしても、移動の時にカチーナたちの手を煩わせすぎるのも良くないのではないでしょうか。
加えて、時によっては自ら動く必要がある場面も出てくることでしょう。
自ら動く。
……『箱』から出て自分で歩いて、また『箱』を召喚する……?
現実的にはそれが一番でしょうけれど、それはちょっと難しいです。
いずれは必要になるかもしれませんが、今の私にはまだ無理です。ちょっと高難易度がすぎます。
うーん……。
今後の課題として、頭の片隅では常に方法を考えておいた方がいいかもしれませんね。
そんなことを考えているうちに、カチーナは部屋へと戻ってきます。
「お嬢様、お時間よろしいですか?」
そして、少し真面目な顔で声を掛けてきました。
「大丈夫。何?」
「お目覚めして間もなく、こんな話で恐縮ですが……。
婚約発表の時期について、連絡が来ました」
瞬間――サァと、色んな感情の波は退いていき、残ったのはちょっとした無です。
「…………」
「現実逃避し、心を閉ざしたところで現実の時間は無情に流れるので、続けさせて頂きます」
ですが、カチーナは容赦なく私の心境を袈裟斬ると、何事もないように話を続けます。
「建国祭全体の盛り上がりを考慮し、初日――陛下のご挨拶と一緒に、婚約を発表したいとのコトです。
婚約を祝う為、よりお祭りが盛り上がるだろう、と」
「…………」
いや、無理です。やっぱり無理ですってば!
必要なことだとは理解してはいるものの、国民の前ですよ?
街が一望できるお城のバルコニーとかでやるのですよね??
フレン様とのお茶会でさえ、なけなしの勇気を前借りしてがんばったようなものなのに、大勢の人の前で挨拶だなんて……!
「カチーナ……」
「はい」
「箱のままでも、いいのかな?」
「私の口からは何とも」
言葉とは裏腹に、「無理です。諦めてください」みたいな雰囲気を出すのやめて欲しいのだけど、カチーナ!
「何とか……乗り越える、手段を……考え、ないと……」
はぁ――どうしましょう。
何か使えそうな、この『箱』の面白い魔法はなかったですかね……。
無いならいっそ新しく開発して……。
「お嬢様」
「なに?」
「一人でお考えになる必要はないのでは?」
「え?」
「殿下とはすぐに連絡が取れるではありませんか」
言われて、私は目を瞬きます。
確かに、サイフォン王子とは送り箱でやりとりは出来ますけど……。
「私だっておりますよ」
「カチーナ……」
自分の胸元に手を乗せて真剣な眼差しで、カチーナは『箱』を見つめます。
「なら、箱のままで、問題ない……って、方法を……」
「それは殿下に訊いてみるのが良いかと」
「あ、投げた」
まぁ正直、難しいのは間違いないですよね。
そんな大々的な場で、箱のまま参加するなんてことは……。
もっと心の準備をする時間をたっぷり欲しいくらいなのですけど。
「殿下でも……難しい、よね?」
「それはそうでしょう。
ですが、完全に無理――というワケでもないと思います」
「え?」
「お茶会の場でもお話がありましたが、継承権と派閥の問題です」
「ああ」
妻が箱。
それだけで、王位を継承するには充分な瑕疵という話ですね。
国民の前で『箱』というアピールをすることで、ダメ押しをしたいという考え方は、無くもないというところでしょうか。
私としては、私の為にあまりサイフォン王子が不利になるような状況にはなって欲しくないと考えています。
いくら王子が継承権を気にしないといっても、やっぱり私のせいでフイになるのは嫌なのです。
「終始『箱』のまま――というのは恐らく難しいかと思いますが、箱のまま入場し、箱から顔を出して軽く挨拶をし、箱の中へと戻って、箱として退場する。そういう流れの可能性くらいなら、あるのではないでしょうか?」
それでも、完全に顔を出さずにやるのは、かなり難しいでしょうね。
理想としては一切の顔出しせず――ですけど、無難なところではカチーナの考えで行きたいところ。
でも、実際のところは、それが許されるかどうか分からないわけで……。
「やっぱり……殿下に、相談……しないと、だね」
「ですから最初からそう言っているではありませんか」
まったくもう――という調子のカチーナですけど、どこか釈然としない私がいます。
ともあれ、送り箱で王子に手紙を送っておきましょう。
《建国祭での婚約発表。箱のままでもいいですか?》
――と。
そうして、その日の夜にすぐ返事が返ってきました。
《個人的には許可をしたいところだが、さすがに難しいな》
ですよねー……。