第51箱
ついつい予約を忘れてしまいます……
ちょいちょい遅刻してすみません
父親の顔――ではなく、王としての顔で、陛下はサイフォン王子に訊ねました。
「お前は、王位についてどう考えている?」
「現段階だと興味はないですね。必要であれば、継ぐことはやぶさかではありませんが――それでないならば、優先したいのはモカです」
「……え!?」
思わず声を上げてしまいました。
すると、一瞬だけ射抜いたものをとろかすような魅力的な流し目で私を一瞥し、微笑みます。
「そんなになりたいなら、兄上が継げばいいとさえ思っています」
ドキドキする心臓に手を当てながら、私はなんども深呼吸を繰り返しました。
……私を、優先……?
「兄上――というよりも、兄上を奉りあげる派閥にちょっかいを掛けているのは、やられたからやり返しているにすぎません。
兄上が真っ当な振る舞いをし、兄上派閥が真っ当なやり方をしてくるのであれば、継承争いから一歩引いても良いです。
ただし、モカにちょっかいをかけ、私の邪魔をするのであれば、容赦する気はありません。誰であろうと」
ニッコリとした顔でそう言い切る姿を、私は箱の中から呆然と眺めていました。
「どちらであれ、現段階ではモカと婚約を結ぶのであれば、王となるのは少々難しくなるが……」
「それならそれで構いませんし、そう思ったからこそ噂を広めたとも言います」
……。
「あらぁ、モカちゃんがまたカタカタしているわ!」
「殿下の言葉に恐れ多いと思ったのか、あまりにも真っ直ぐな好意に、許容範囲を越えたのか……まぁ嬉しくて震えているのは間違いないだろう」
フレン様とお父様のやりとりは耳に入ってきません。
王子のあまりにも想定外な発言に、嬉しさと戸惑いがあります。
サイフォン王子自身が王位にこだわりはないようですし、私の存在を積極的に利用してもいます。そこは私も知るところではあります。
でも、改めて私を優先すると言われるとーー王位に興味がなくとも、王族が私なんかを本当に優先してしまって良いのだろうか、と……不安になってくるところもあります。
もしかしたら、贅沢な不安なのかもしれませんけど……。
悩んでいると そのタイミングを狙っていたのでしょう。フレン様が軽く手を合わせて微笑みました。
「あらぁ……何だか楽しくないお話になっちゃったわね。
せっかくモカちゃんが遊びに来てくれているのに、勿体ないわ」
お茶も冷めちゃったし――と言って、みんなのお茶を入れ直し、新しいお茶菓子も用意してくれます。
そのあとは、和気藹々としたやりとりが続き、陛下も私が婚約者で問題ないとしてくれました。
「ところでモカ。顔を見せて欲しいのだが」
「あらぁ、ダメよモカちゃん。見せちゃダメ。モカちゃんの顔は安売りしちゃダメなんだから」
「えーっと……」
先ほどは顔を覚えて貰った方が良いと言ったフレン様とは思えない発言なのですけど。
「なぜだ、フレン?」
「あらぁ。なぜかと言われたら意地悪としか答えられません。旦那様へのささやかな意地悪です」
私の顔……夫婦喧嘩のダシに使われているのでしょうか……?
そんな些細な一悶着は何度かありましたけど、何とか円満に顔見せのお茶会は終了を迎えるのでした。
緊張のお茶会は円満に幕が下りましたが、私にはこれから帰るという仕事が残っています。
緊張が解け始めると同時に、反動のようなものが色々とこみ上げてきてる気がしました。主に胃液と涙ですが。
とはいえ、何とか乗り切りました。
あとは帰るだけです。正直、かなり限界が来てますが、家に着くまではがんばりましょう。
帰り道は、荷物置き場まではサイフォン王子が一緒にいますし、馬車に乗る時には、『箱』にカチーナが入ってくれます。
気を張る必要が余りないのは助かりますね。
今日はもう、これ以上の緊張はいりませんし、使える勇気も底を尽きてますので。
そんなワケで、ここへ来る前に話されていた計画通りに、帰りも荷物扱いです。
なので、持ち帰り予定の荷物の置いてある部屋まで、台車で運搬される私です。
まぁ外から見ればただの『箱』。
でも実際のところ、中にいる私は、椅子に座り、机に突っ伏しています。
冷たいものが欲しいと用意したお茶もまったく口にしていません。
口にするほどの気力と体力の余力がないともいいます。
王妃様のサロンから荷物置き場となっている空き部屋まで、大した距離ではありませんでしたが、その僅かな間、ずっとぐったりしていました。
カチーナは今、箱の外にいますが、きっと中での私の様子に気がついているでしょう。それでも、敢えて何も言わないのは、僅かでも私を休ませたいから……だと思います。
その気遣いが本当に、身に染みます。
サイフォン王子もあまり話しかけてきません。
いやまぁ――そちらはそちらで、運んでいる箱に話しかける王子という構図が生まれるのもよろしくないから、かもしれませんが。
ともあれ、そうしてのんびりと運ばれてきた私が――いえ、私が入った『箱』が、荷物置き場にされている部屋に置かれました。
王子は部屋のドアが完全に閉じたのを確認してから、『箱』をコンコンと指で叩きます。
「なん……でしょうか?」
突っ伏していた机から顔を上げ、軽く乱れた髪などを整えながら、私は返事をしました。
「無事で終わって良かった、と思ってな」
「そう、ですね」
「実際問題、母上が認めてくれるかどうかが一番の問題だった。
先の様子を見ての通り、母上はある意味で強いからな」
そう言って微笑む王子の顔は本当に安堵しているようです。それに私も笑みを返します。
箱の中からなので、サイフォン王子には分からないでしょうけど。
む。
あれ?
……なんでしょう。
今、箱に引きこもってから、初めてに近い感覚が……。
箱越しにやりとりすることを、煩わしい……なんて。
サイフォン王子との間が『箱』で隔たれていることが、こんなにも……。
『箱』の中から映像で外を見るのでは無く、直接顔を見たいって……そう思えて……。
……。
…………。
………………。
うん。よし!
「モカ?」
僅かに逡巡した私は、意を決して――というほど強い感情ではないのですが、何となくといった軽い感覚で、気合いを入れました。
今日、何度も顔を出し入れしたからでしょうか。
今なら、いつもよりだいぶ気軽に、顔が出せそうです。
本当に、家族や身内以外で。
周りにもサバナスやリッツはいるけれど。
でも、サイフォン王子には顔が見せたいから……。
「どうした?」
そうして――私は感情のままに、スススッと『箱』の上面から顔だけ出しました。