第46箱
「成人会や以前のお茶会の時にも見せて貰ったが、モカが箱の中にモノを取り込むときの姿は面白いのですよ、母上」
「あらぁ、それは楽しみだわ」
えーっと、そんなに楽しみにされていると、恐縮してしまいそうなのですが……。
「き、期待に添えるような……姿かは、わかりません……が……」
思わず勢いでティーカップを『箱』の中に取り込んでしまいそうになりますが、考えてみればまだ、ティーカップやお茶菓子を手に取るのは早いですね。
私が答えたあと、一瞬の間が開きます。
その僅かな間、フレン様の目が眇められたような気がしたのは錯覚でしょうか……?
私の勘違いでないとしたら、軽く試されているのかもしれません。
でも、本当に試されているのだとしたら、『箱』の時点でダメな気もしますので、ただ私がそう見えただけ……かもしれませんが。
「あらぁ、どんな風になるのか気になって仕方ないから、頂きましょうか」
ふと生じた疑惑に逡巡していると、フレン様はそう告げてお茶とお菓子を一口ずつ口にします。
「いただきます」
「いただきます」
それを見、私とサイフォン王子も動きます。
先にサイフォン王子がお茶を飲んだところで、こちらをチラリと見てきます。とても期待に満ちた眼差しです。キラキラと輝いています。
……そんなに、箱にモノを取り込む光景って面白いのでしょうか?
自分ではよく分かりませんが、フレン様からも期待に満ちた眼差しを向けられているので、がんばりましょう。
いや、箱の上に乗っているものを取るのに、がんばることなんて特には無いのですけれど。
ともあれ――私は、箱の上に乗っているティーカップを取り込みます。
「あらぁ!」
箱の天辺で波紋を広げながら沈むティーカップの姿に、それはそれは楽しそうな顔をしているフレン様とサイフォン王子。
その二人のそっくりな表情に、思わず「ああ、親子ですねぇ」などという感想が湧くほどです。
周囲を見れば、見たことのあるサイフォン王子付きの方々はともかく、フレン様付きの方々は目を見開いて驚いていますね。
天板から取り込まれたティーカップは私のいる机の上に現れます。
それを手にとり、少し飲んでから、テーブルに置きました。
そして、お茶は天板と同じように波紋を広げながらテーブルに沈んでいきます。
同時に、箱の天板に再び波紋が広がりその中心からティーカップがせり上がって来ていることでしょう。
「美味しい、お茶……ですね……。
北側の……隣国、バックスタース王国の、北東地区の山間で……栽培、されている……スキュー種の、夏摘みでしょうか?
それに、これは早摘み……ですね。そこに、去年の冬摘み茶を、少しブレンドした……モノですか?」
ティーカップが天板へと完全に戻ったところで、私はそう口にします。
バックスタースが栽培しているスキュー種の茶葉は春、夏、冬と三回旬を迎えるのですが、二度目の旬……つまり夏に採れるものをセカンドフラッシュと呼びます。
スキュー種はどの旬のモノも美味しいのですが、味と香りが一番強いのが夏なのです。同時に夏のモノは渋みや苦みも強いので好みが分かれやすいもの。
ただ、その中でも旬の時期よりも気持ち早めの若く柔らかい葉を採ることを早摘みと呼び、これは夏摘みでありながら渋みと苦みが抑えられた柔らかな味になるのです。
反面で、その強い味と香りも僅かに柔らかくなってしまうという欠点があります。
このお茶は、そんな夏の早摘みの弱点を補うように、冬摘みを混ぜることで、冬摘み特有のフルーティな香りを僅かに加え、ふつうの夏摘みよりも芳醇な味わいにしているようですね。
元々、高級茶の一つであるスキュー種の、一番美味しいとされる夏摘みの、さらに希少な早摘みとなると、かなり稀少なお茶のはず……。
ましてや、その風味を高める為に、去年の冬摘みだろう茶葉を敢えて混ぜるような職人技で作り上げられているのですから、なおさらでしょう。
そんなものをサラリと出してくるフレン様は、やはり王妃様なのだと実感します。
「あらぁ……どうしましょうサイフォン。
箱から出入りするティーカップに驚いているうちに、モカちゃんったら軽く飲んだだけでお茶について完璧に答えちゃったのだけど……どちらに驚けばいいのかしら?」
「落ち着いてください母上。
どちらも驚けばいいのでは?」
「そうね。どちらにも驚くコトにするわ」
のんびりとしたそんなやりとりをしている時点で、もう驚くタイミングを逸しているような気もしますが、よいのでしょうか?
なんとも、明るくのんきなフレン様ですが、どうにもさっきの鋭い視線が気になります。目を眇めたのは気のせいでなかった場合、その胸中が読めません。
しかし、フレン様はお母様の友人でもあるのですよね?
そう考えると、お母様同様の立ち回りが出来る方であるとも言えます。
……ああ、つまり、気のせいではないのですね。
あの砕けた調子や、フレンドリィな雰囲気にうっかり乗せられてしまいそうになりますが、その実、しっかりと私を吟味していたようです。
さておき、一頻り驚き終わったところで、フレン様はお茶で口を湿して笑いました。
「ふふ、それにしてもモカちゃんは本当にすごいわ」
「え?」
「箱の中にいるのは残念だけど、それを補ってあまりあるモノを持っていると思うの」
「母上、それでは?」
「それではっていうのは変な話よ。
少なくとも私は最初から反対していなかったし、実際に会ってみたらやっぱり反対する理由はなかったわ」
……嘘、ですね。
箱の中にいても、それを補って余りあるモノを持っていると、そう確信出来たからこその言葉なのでしょう。
実際に会って印象がマイナス方面になっていたのであれば、この場で婚約は反対した可能性があります。
なんのかんので、この方も社交界に立つ女性ですものね。
そういう部分はきっと油断できない人なのでしょう。
まぁ、変に威圧的な人や、妙に偉そうな人に比べれば、全然話しやすいのですけれど。