第45箱
「あらぁ! 本当に箱なのね!」
大人の女性の声にしては甘く、どこか現実感のないふわふわとした声。
それでいて、声色とは裏腹に、歴戦の淑女のような――どこかお母様を思わせるような強さや芯を感じる声質。
そんな不思議な印象を持つ声を発したのは、間違いなく王妃様なのでしょう。
「母上。紹介の前からそんな前のめりにならなくても」
サイフォン王子が苦笑すると、王妃様は申し訳なさそうに「あらぁ」と呟いて、姿勢を正しました。
「サイフォンの婚約者さんを見られると思ったら、気持ちが逸ってしまったのよ」
明るくそう口にする王妃様。
そのタイミングで、サイフォン王子がこちらに目配せをしてきましたので、私はがんばって声を出します。
「お、お初に……お目にかかり、ます……。こんな姿で……恐縮、です。
モカ・フィルタ・ドリップスっと……申します……」
「あらぁ、可愛い声。きっと素敵な女の子が入っているのね!」
喜んでいる……のでしょうか?
声は弾んでいるのですけど、何とも掴みづらい人のようです。
それにいきなり砕けた調子でやってこられると、その……どう対応してよいやら……。
「あ、ありがとう……ございます」
ともあれ、褒めてもらっているので、私はお礼を口にします。
声が可愛い――って、そんなこと言われたのは初めてですね。
「それはそうと、初めまして。
フレン・チプレ・ドールトールよ。
ふふ、直接会うのは初めてだけど、貴女のコトって実はよく知っているの」
「そう、なの……ですか?」
「ええ。だって、ラテから良く聞いているもの。
彼女とは昔から、お友達でね? 王妃となった今でも、個人的なおつきあいは続けているのよ」
まったく知りませんでした。
今でもフレン様はお母様と手紙でのやりとりも、それなりにやっているそうで――
私は情報収集を色々やっていたわりには、確かに身内に関することは、意外と収集してなかったのだな……と、ちょっと反省です。
「それに、貴女と出会ってからサイフォンも、良く貴女の話をしてくれるようになったのよ?」
「は、母上!」
「あらぁ? 急に大きな声を出してどうしたのかしら?」
王子が、私の話を良くしている……?
「どんな風に、私の話を、しているのか……興味はあります……」
「あらぁ――それはねぇ」
「母上……」
どこか諦めたようなサイフォン王子に笑いかけながら、フレン様は快活に答えてくれました。
「サイフォンはね、『箱』に興味津々で色々とお話してくれるわよ?
面白いお嬢さんと箱に出会った、て」
ですよね……。
「そ、そうですか……」
頭では分かってるんです。
あくまでも、王子の興味を引けたのはこの『箱』だって……。
「あらぁ。残念がる必要はないわよ」
「え?」
思わず顔を上げて、目を瞬きます。
外からはそんな様子分からないでしょうけれど。
「魔法だって、貴女の一部でしょう?
箱の魔法に興味を持って貰ったってコトは、貴女自身に興味があると言い換えても良いと思うの」
「……箱魔法も、私の一部……」
生活の……いえ、人生の一部のように思っている部分はあったものの、私自身の一部であると、そういう風に考えたことはありませんでした。
そういう意味では確かに、サイフォン王子は私に興味を持ってくれているのだと、言い換えても良いのかもしれませんが……。
なんとも言い難い感覚に上手い返しが思い浮かばずにいると、フレン様の侍女が声を掛けてきました。
「ご歓談中に失礼します。
お茶とお菓子をお持ちしました」
その時、フレン様は、まだサイフォン王子が立ったままだったことに気づきました。
「あらぁ……私ったら! サイフォン、座って。
モカちゃんは……どうすればよいのかしら?
さすがに箱に入った女の子とお茶会はしたコトがないものだから、分からなくて」
まぁ、私以外にそんな人がいるのであれば、お目にかかりたいところではあります。
「カチーナ」
「はい」
私がカチーナに呼びかけると、彼女はそれを汲んでくれました。
「王妃様、御前を失礼いたします」
「構わないわ」
カチーナは一礼すると、台車をテーブルの側に移動させます。
台車が止まった時、『箱』の重量を軽くし、カチーナは軽くなった『箱』を抱えて、テーブルの側へとやんわりと下ろしました。
「失礼しました」
そして、私を下ろし終えるとカチーナは下がります。
「あらぁ、そのままお茶を飲めるの?」
「はい……その、お茶とお菓子は、箱の上に……乗せて頂けると、助かります」
「ではそのように。お願いね」
フレン様は私の言葉にうなずいて、侍女に伝えました。
指示をされた侍女は戸惑った様子で、『箱』の上に、お茶とお菓子を置いてくれます。
その際にチラっとカチーナを見たのは、本当に乗せて良いのか不安だからでしょう。
いくら、箱とはいえ、一応公爵家の令嬢で王子の婚約者予定の人物ですからね、私は。
乗せ方とかで粗相しないように、だけど乗せるってどうすれば良いのか分からない――という思考があるのでしょう。
そんな視線での問いに、カチーナは心得たように視線で返答をした――そんなところでしょうか。
まぁさすがに、客人の入った箱の上にモノを乗せる作法なんて習わないですからね。