第36箱
箱から腰元まで出して、背筋はまっすぐに。
瞳には感情と意志を込めて。だけど口元は優雅な笑みを。
実践するのは初めてに近い淑女教育の成果ではありますが、それなりに出来ていると思っております。
時と場合によっては瞳からも感情を読みとらせないようにするべきですが、この場においては感情を明確にしておくべきですからね。
とはいえ、感情を明確にしたいからといって感情のままに振る舞う行為は淑女ではありません。なので、瞳で語るのだそうです。
なんて回りくどいやりかたでしょう。でもそれが淑女らしさ、貴族らしさであるというのであれば、やってみせましょう。
この場においては、その淑女らしさ、貴族らしさこそが最大の武器であり防具です。
……それはそれとして、やはり箱から外に出ると暑いですね。
送風の魔心具は機能しているので、サロン全体を優しい風で包んでこそいますが、完全に温度を下げるには至っていないようです。
やはり部屋を冷やす魔心具は、早急に完成してほしいものですね。
まぁ私は箱の中に居れば良いので、あまり問題はないのですけど。
そんな気温のことはさておいて――
「ねぇ、ルツーラ様。
魔性式の……時のような、振る舞い。その、在り方は……今もなお、続け……ていらっしゃる、のですか?」
身分をひけらかし、下だと断じた気に入らない相手を徹底的に貶めようとする。
当時、私に対して見せたその振る舞いと行いは、今もやっているのでしょうか?
「出来れば、今もやっていて……くれる方が、私としては……好ましい、のです、が……」
「な、何故ですか?」
あら? ルツーラ嬢が何故と問いますか。
なんとも察しが悪い人です。
まぁこれから言うことを思うと、端から見れば私もだいぶ性格が悪く見えるかもしれませんけど。
「何故って……。
貴女が、そういう……人であるならば、私は……躊躇うコトなく、存分に……貴女を――ルツーラ様を、存分に……見下せるでは、ありません……か。
自分の、方が……身分が上だから、下の者を……貶めて、好きに扱って……良いのでしょう?
嫌がる、相手から……本を取り上げ、大切にしている本を、地面へたたきつけたり……して、良いの、でしょう?」
私自身、自分がどんな顔をしているのかよく分かりません。
笑みだけは絶やしてないはずですが、それがかえって恐怖を引き起こしている可能性は――まぁ無くもないでしょう。
「モ、モカ様は……私に何をするつもりですか……ッ!?」
「さて、何を……しましょうか?」
ルツーラ嬢の質問に対して、ニッコリと、笑ったつもりです。笑ったつもりなんですけど。
いや、ほんと奥で見ている人たちがドン引きしている様子が視界に入ってくるのは、だいぶ堪えるのですけど……。
「だ、だったらッ!
やってやりますッ、何かされる前に……ッ!」」
ちょッ!? ルツーラ嬢ッ!?
そういうヤケはちょっと良くないと思いますけどッ!
予想外の行動に、私は目を見開きます。
ルツーラ嬢は左手を開いてこちらへ向けて掲げながら、走ってきました。
左手の手のひらには、何やら、目のような形の模様が浮かび上がり妖しい光を放ち出しました。
「……ッ!」
あれは、良くないモノです……ッ!
ほとんど咄嗟に、何か考えていたわけでもなく、そうしようと思考したわけでもなく、本能に近い感覚で、私はルツーラ嬢の手を払い、突き飛ばします。
きっと、サテンキーツ家の武人の血が、私の本能に作用してくれたのかもしれません。実際はどうであれ、そう信じたいくらいには、咄嗟に捌くことができました。
「ふ、ふふふふふ……」
ただ手を払われ、私に突き飛ばされて尻餅を付いたにも関わらず、ルツーラ嬢は笑みをこぼしています。
その様子があまりに不気味で、周囲の令嬢たちも得体のしれないものを見る目になっていますね……。
でも、私はそれどころではありません。
頭の中に、さっきの目のような模様がずっとチカチカとしています。まるで意識の奥底にでも焼き付いたようです。
この感覚――恐らくは……。
「精神作用系、幻覚系の魔法、は……王城敷地内に……おいての、行使を禁じられて……いるのはご存じ、かと思いますが?」
脳の中がチカチカする感覚に集中力は削がれますが、それ以外の影響は今のところはないようです。
「ふふふふ……知っていますわ。でも問題ありません。
直接触った方が効果は高いのですけど……貴方はしっかりとその両目で、この模様を見て下さいましたから」
「……『順』属性でしたか……」
「ええ。そうです。覚えていて下さって光栄です。
これは順序や序列を強制的に守らせるもの。皆さん、序列が上の相手の言うコトを素直に聞くようになる魔法です」
ルツーラ嬢が喋っていると、チカチカとする感覚が大きくなりますが、やっぱり何かを強制させられるような感じはないですね。
……となると、本人も知らないような前提条件が存在するのかもしれません。
「つまり、貴方は……この魔法で、人に言うコト……を聞かせてきた、のですか?」
「ええ、その通りです。
お父様とお母様以外には通用したので、貴方も私に逆らえなくなりますわ」
両親には通用しない。
……私にも効果がない。完全に無効化できてないのかもしれませんが、ほぼ無意味。
私と彼女の両親との共通点……。
「負けを認めるのは貴方ですよ、モカ様。いいえ、モカ。
影で貴方を利用して、私はもっと上に行ってみせましょう」
まあ、出来ないでしょうけどね。そんなこと。
私が完全に操られようとも、そもそもお父様とお母様、サイフォン王子……そして何よりカチーナを敵に回して、全うに生きていけるワケがないんですけど。
「さっきまで強気でいたコトを詫び、その上で婚約破棄を宣言なさい!」
「ヤです」
自信満々に命令してきたルツーラ嬢に対し、私は即答しました。