第34箱
やる気が出たなら、あとは勢いに任せます。
もはや周囲の嫌味の類は右耳から左耳。
時折、箱が叩かれたりもしてましたが、そんなことなど、どうでもよく。
「あ、あの……ッ!」
私が勇気を出して上げた声は、思っていたよりも大きかったようで、皆さん、驚いたように動きを止めました。
チャンスです。
ここを逃してはダメです。
例え『箱』のままであったとしても、あからさまにナメてくる相手に、遅れをとっていていけないはずです。
「み、皆様は……その、私が、誰か……ご存じ、なの……ですか?」
ある意味で、成人会でサイフォン王子が私に問いかけてきた時と同じ質問の仕方です。
その質問のタイミングの関係で、私から名乗らざるを得ませんでした。
では、今回は?
あの時と同じです。実際に私を知っているかどうかは問題ではなく、質問に対して、どう答えるかが問題になってくる話なのです。
一度、大きな声を出したからか、かなり頭がすっきりしてきました。
もちろん怖いは怖いですし、声を出したり喋ったりは、あんまり出来そうにないですけど、だけどそれでも――この場を乗り切るくらいには、思考も舌も滑らかに回転させていかなければなりません。
でも息苦しさは薄れてます。
始まってしまえば、最後まで走りきるしかないのです。
やれる限りのことはやりましょう。
緊張と、恐怖と、不快感と、焦燥感と、そんな色々がごちゃ混ぜになった息苦しさで倒れるのは、この場を乗り切ったあとでも、遅くはないのですから。
皆さんには気づかれぬように、深呼吸を繰り返したあとで、こっそりと周囲の様子を窺えば、答えあぐねた皆さんが困っている様子。
それでも、その辺りの駆け引きが読めない方もいるようで。
「存じ上げておりますわ」
私を囲んでいる一人が、自信満々に答えました。
その方に対してルツーラ嬢は目を眇めましたが、それだけです。
「つまり……私が、誰であるかを……知って、攻撃、した……と」
このように、知っている――と答えた場合、ドリップス公爵家の人間を相手どって囲んでいじめていたことになります。箱を叩いた人もいたのですから、暴力も振るったと取られても不思議ではありません。
「では……ご覚悟を。
当家は、表立って……敵対する、者に……容赦は、しません。
箱の、中からでも……お顔は、見えてます、ので……。
記憶力には、自信があります……よ?」
私はそう断言してみせます。
見たところ、このお茶会には王族も、うちと同格の家格を持つ人もいない様子。つまり、この場においてもっとも家格が上なのは私ということになります。
そうなると、私を知っていると答え、それに同意した人は身分も理解せず目上の相手を自分の機嫌の赴くままに、直接的な攻撃を加える方々、となります。
「え?」
「相手の身分を、知ってなお……躊躇わず、表立って……攻撃をする。
そんな……危険な、相手を――その家を……放っておく、わけ……ありません、でしょう?」
当然、そこまで読めている人たちからすれば、それを不味いと思うのでしょう。
では、知らない――と答えた場合はどうでしょう?
「ところで、他の方々は……私のコト、知らなかったの、ですよ……ね?」
これもこれで問題となります。
なぜならば、彼女たちは――
「つまり、皆さんは……誰とも知れない、女性に対して……嫌味を口にし、時には……暴行を、加える……集団である……と、そういう、コト……ですよ、ね?」
もちろん、このことはお母様たちに報告します。
これから王妃様ともお茶会がありますし、せっかくだからその場で報告するのもありでしょう。
攻撃をするというのは、反撃を受けるリスクと常に隣り合わせである自覚が、彼女たちには足り無さすぎると思います。
そもそも彼女たちの中に「何が起きているのか分からないのではなくて?」と口にした人がいる以上、私の正体が何であれ、状況が分からず困惑している女性が入っている箱を叩いていたことになるんですよね。
「それに、噂が……立っていま、したよね?
私と、殿下の……。しかも……箱に入った、女という……情報も、噂には、あった……はずです」
噂の程度にもよりますけど、婚約は噂になっているのは間違いなく……。
以前、覗き見した時のやりとりを思うと、私が箱入(物理)令嬢だという話は、ある程度広まっているはずです。
「……私が、誰であるかも、想像できない……ほど噂に、疎いだなんて……皆さん、貴族の……女性社会で、生きていけます、か?」
貴族の――とりわけ女性の社交は流行と噂に敏感でなければなりません。なのに彼女たちは私のことを知らないと言うのですから、こう思われても仕方ないですよね。
そんなワケで個人的にはどっちで答えてくれても問題はない質問でした。
「基本……自宅の自室で、しかも箱の、中で、生活している……私より、噂に疎い……って、さすがにちょっと……どうかと、思います、よ?」
箱の中に引きこもっている私が言うのもどうかと思いますけど、この人たち――自分たちが成人会を終えた貴族の一員であるという自覚が少し薄すぎませんか?
人に嫌味や皮肉を言うのはそこまで得意ではありませんが、でもまぁそれも貴族の嗜みだと言うのであれば、がんばります。
それはもう、やるなら徹底的に。とことんまで相手の戦意を削ぎましょう。それがお母様とカチーナからの教えです。
貴族としての戦い方や立ち振る舞いは、一応習ってますからね。
「先ほど、困惑する……私に、『何か……言ったら、どうです、か?』などと、仰った……皆さんらしく、ありませんよ?
お答えを、してくれない方々……は、私を……知っているの、ですか? 知らない……のですか? ただそれだけの、質問に……どうして、それほど悩まれて、いるのでしょう?
もしかして……分かっている、から……答えられ、ないの、ですか?」
ダメ押ししてみました。
これで『分かっているから答えられない=沈黙は肯定と見なす』――ということになりましたので、何も答えない場合、この人たちは私が誰であるか知ってて嫌がらせをしていたことが確定します。
こういう相手をハメるみたいなの、本当に好きじゃないのですけれど、だからと言ってやられっぱなしでいるわけにもいかないので、やるしかありません。
こういう駆け引きがあまり好きじゃないから、引きこもってる身としては、シンドいです……。
でも、やらないのは逆効果なのでやるからにはやり抜きます。
「…………っ」
近場の皆さんは、青ざめたり、歯を食いしばっている様子。
遠巻きに見ている方たちからは……あれ? 若干、退き気味なんですが……。
だ、だいじょぶですよー?
私、怖い箱じゃないですよー?
まぁ、それはそれとして、ルツーラ嬢……。
あくまでも一歩引いた場所にいるのですね。
自分は連れてきただけという言い訳の為、というところでしょうか。
立ち回りとしては悪くはありませんけど、それは現状を傍観者に徹し切れた場合です。
そんなもの、私は許すつもりはありません。せっかくですから魔性式の時の本の恨みを晴らすのも悪くはないですね。
「貴女は私をご存じなのですよね?
ルツーラ・キシカ・メンツァール様?」
引きこもってからの私至上最高に滑らかに詰まることなく淀みなく完璧な発音でそれを言い切れました。
さぁルツーラ嬢?
名指しされた以上、反応は必要です。知らぬ存ぜぬは通用しませんよ?