第33箱
「いくら人嫌いの箱入りとはいえ、お礼くらいは言えませんの?」
このまま黙ってても良くないですよねぇ……。
ルツーラ嬢は、口を開かずけれども意地悪そうな顔でニヤニヤしてますけど。
そういえば、ここへ連れてきた経緯を説明して以降、ルツーラ嬢は喋っていませんね。
私をドリップス公爵令嬢であると理解しているからこそ、あとで揚げ足を取られかねない迂闊な発言は控えている――と、いったところでしょうか。
だとしたら、逆に好き勝手言ってくる方々は、相手の身分を気にせず体の良いサンドバッグがやってきたとでも思っているのでしょう。
んー……まぁ録画はしておきましょう。
サイフォン王子は好きそうですし、こういうの。
それと、送り箱でメッセージですね。
《何故か、令嬢たちがお茶会をしている一般開放サロンへと運ばれてしまいました》
――と。
サイフォン王子が気づいてくれれば良いのですが。
「極度の人見知りで、お話をするのが苦手だとは伺っております。
ですが、せめてお顔を見せていただけませんこと?
それとも、それすらできないほどに、人嫌いなのですか?」
私が箱の中であれこれとやっているうちに、業を煮やしたのかルツーラ嬢がそんなことを言ってきます。
気遣うような言い方ですが、明らかにこちらに瑕疵を付ける気まんまんですよね?
顔を出さず、名乗らなかった場合、そんな礼儀が出来ない奴が王子の婚約者なのか――と、その手の嫌味と噂が広がっていくことでしょう。
まぁ顔を出したところで、ロクに喋れなければ結果は同じでしょうけれど……。
さて、現実に向き合うとなると、対応が必要なんですけれど――
困りました。
何か反応するべきなんでしょうけど、反応しようとすると、心臓が嫌な感じにバクバクと言い始めます。
サイフォン王子に素顔を見せようとした時とは全然違う――心臓が早鐘を打つことで、まるで私自身を追いつめていくようです。
それでも何とかしないと――と、考えるのに、思考が全くまとまってくれません。
どんどん悪化していくように、何も考えられなくなっていきます。
「……ぁ」
それでも何とか声を出そうとして無理して喉を震わせてみたものの、出て来るのは掠れたような吐息だけ。
嫌な汗が流れはじめます。
反応しなければならないという強迫感にも似た感覚。
反応しようとするものの声が出てくれない焦燥感。
「……ぁ……っ……」
バン! と誰かが箱を叩きました。
普段なら気にも止めないはずなのに、今のものにはビクンと身体が大きく反応してしまいます。
どうにか……どうにかしないと……。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
無自覚に呼吸が荒くなっていて。
無意識に両手の拳を握り込んでいて。
怖い……辛い……吐きそう……泣きたい……。
元々人と話をするのが苦手で、魔性式の時に本を取られたのが引き金となって引きこもるような生活を始めたのに。
また、ルツーラ嬢の嫌がらせで、こんな気持ちになるなんて……。
あの時は、身分を明かせない場で、彼女は調子に乗っていただけだけど。
ここではそれも明かされている状態で嫌がらせを……。
……て、あれ?
嫌な記憶を思い返していた時、ふと何かが引っかかりました。
……皆さん、私が誰か分かっているのでしょうか?
そんなささやかな疑問が沸いた瞬間に、視界が開けた気がします。
反応しなきゃ反応しなきゃという言葉ばかりで、どんな反応をすれば良いのか不明瞭で、だからこそ何も出来てなかったのかもしれませんね。
声を出すのは勇気がいりますけど、だけど、それでも――
思い出すのは大好きな物語。『木箱の中の冒険』の主人公であるジャバくんは、悪い国の兵士たちに囲まれてピンチの時も、一筋の光明を見つけた時、一歩踏み込む勇気を持ってそこへと飛び込んでいきました。
……私も、今この瞬間、その勇気を少しでも分けてもらうべき場面かもしれません。
それに、お母様から「この程度を捌けないで、どうするの」なんて言われてしまう場面である以上、乗り越えなければなりませんしね。
何より、サイフォン王子やカチーナが助けにくるのを待っているだけでは、王族の妻らしくないと言われるネタとなってしまいます。
いつの間にか、きつく握り締めていた拳をゆっくりと開いていきます。
その汗ばんだ手を片方、胸に当てて大きく深呼吸。
カチーナは言っていました。絶やさぬ微笑は武器になると。
どんな時でも、優雅な笑みを。例え相手が私の顔を見えずとも。
この程度の嫌みや嫌がらせ、引きこもる前なら躱せていましたから。
今からそれを、思い出すだけです。当時よりも頭と知恵の巡りは良くなっているはずですしねッ!
さぁこの顔に、武器を携えたなら――
主人公のような勇気を少し抱えて、一筋の光へと踏み出しましょうッ!