第26箱
サイフォン王子とのお茶会が終わったあとは、あれよあれよといううちに、お母様はドリップス領の領都にある本邸へ帰っていきました。
そして私は帰らず別邸に逗留決定です。
まぁ領都の本邸にいようと、王都の別邸にいようとも、私がすることは基本的に変わりません。
自室に箱を設置して、その中で過ごすだけです。
――なのですが、ふと思いついたことがあり、一枚の紙を手にします。
どう思われるかはわかりませんが、でも……ちょっとやってみたくて……。
思いついたその日の夜に、早速やってみることにしました。
《殿下はそろそろお休みの時間でしょうか?
今日も一日お疲れさまでした、どうかよい夢を》
何てことのない内容。
わざわざ手紙では送らないだろう内容ではありますが、距離を無視して手紙を送れるのであれば、その時々に合わせた内容を送っても問題ないのではないか――そう考えて、一筆してみました。
それを送り箱に入れて、転送します。
もちろん、送った直後に見てもらわなければあまり意味がないのですけど――
「あ」
そうです。
送ったタイミングで見てもらわなければ意味がないのです。
なので、これに気づかれず明日の朝にでも見られた場合、とても間抜けな手紙が届いてしまうのでは……ッ!?
あまりにも浅はかだった自分の行為に頭を抱えますが、ややして、こちらの送り箱に何かが届きました。
「これは……?」
どうやら王子からの返信が届いたようです。
私の不安をよそに、無事に手紙を読んでもらえたのでしょう。
そのことに安堵しつつも、届いた手紙を恐る恐る開きます。
《突然の手紙に驚いたが、内容には二重に驚いた。
瞬時にやりとりできるというコトはこのような時間に応じた些細な内容のやりとりもできるのだな。
これはなかなかに面白そうだ。これからも気にせずに色々と送って欲しい。
それはそれとして、モカもこれから休むのだろう?
ならばこちらからも言葉を返さなければ非礼というもの。
おやすみ、モカ。そちらも良い夢を》
「~~~~~~っ」
思わず声にならない声が漏れました。
本当に些細なことかもしれませんが、王子から返事がきたのが嬉しくて、思わず手紙を抱きしめます。
改めて、王子に送り箱を手渡せていたのを実感します。
私とサイフォン王子の婚約はまだ正式には成立していません。
基本的には親同士が最終決定をするので、今はまだ私と王子の口約束状態で、仮婚約とも言えない状況ではあります。
お母様曰く、お父様と陛下が色々と動き、王子までそこに乗っかってるのだから、そこまで心配する必要はない――とのことですが……。
でも、お母様がこの婚約に反対している理由通りの懸念はどこまでもついてきます。
それをどう克服していくかを考えていかなければならないところはありますよね。
正直、それがとても難しいこともわかってはいるのですけれど。
加えて、王子の思惑が完全に把握できないのも不安です。
もちろん、婚約者としてサイフォン王子の信頼を勝ち取るための立ち回りのようなものは意識していますが、それが必ずしも効果があるというものでもありません。
サイフォン王子が私のことをどう思っているのか――
そこがなかなか分からないので、もどかしさと不安を感じている面もかなりあります。
彼が私を意識してくれるのか。
私は彼にとって面白い女以上の存在になれるのか。
とはいえ、こちらからアプローチするにも限界はありますし……。
とりあえず、この送り箱でのやりとりをもうちょっと気軽に頻繁にできるようになれば――とは思うのですが……。
……などと考えていた翌日。
朝、目が覚めると送り箱の中に手紙が入っているのに気づきました。
《おはようモカ。
昨晩、君から手紙を貰ったので、是非ともこちらからもと考えて送らせてもらった。
遠く離れた者に対しても気軽に挨拶が送れるという経験は、なかなかに新鮮だ。
それに、君がいつこれに気づいてくれるか、そして返信をしてくれるのか――それを待つのも悪くない。
こんな得難い経験をさせてくれるとは、君が婚約を受け入れてくれたことを嬉しく思う》
「~~~~~~っ」
文脈上、面白い体験をありがとう以上のことが読みとれない部分はありますが、それでも、王子にそう思わせることができたのは大きいです。
……でもやっぱり、サイフォン王子が私をどう思ってくれているのかというのは読みとれるわけではないので、不安そのものは拭えないのですが……。
――そんな私の不安はさておいて。
こうして、いつも通りの日々の中に、サイフォン王子と送り箱でやりとりをするという日常が追加されました。
本来の手紙と異なり、相手に届くまでの時間がほとんどないので、お互いが送り箱の前にいると、まるで会話のようにテンポ良くやりとりできるのがとても楽しいです。
これは夜、寝る前のちょっとしたひととき――まぁ私は、おやすみなさいと言い合ったその後も夜更かししてあれこれやってることが多いですが――になっていて、サイフォン王子も離れながらにして言葉を手早く交わしあえる体験が興味深いと楽しんでくれているようです。
ただ私は楽しいと感じてはいるのですが、王子が文面通り楽しんでくれているかどうかの判断が付かないというのは、やっぱり不安になりますね。
とりあえずは、文面を信じるだけなのですが……。
そんなワケで、お互いにこの一ヶ月の間、寝る前に日課のように、送り箱でお喋りをしています。
これでやりとりしていると、《君は、口よりも文字の方が饒舌なのだな》なんて、褒めてもらったりするのはちょっと嬉しいです。
何より他人の些細な言葉で一喜一憂する感じは、とても久しぶりで、これが人と関わるということか――なんてことをちょっと思ったりもして。
最初は良い紙を使ってやりとりしていた夜の語らいですが、習慣化していくにつれ、お互いになんだか良い紙の無駄遣いをしているような気がしてきた結果、メモの切れ端や、裏紙などを使ってやりとりするようになるのでした。