第25箱
「――それ、から……」
手に取った小箱を両手で持って、サイフォン殿下へと差し出しました。
本当は真っ直ぐに殿下の顔を見られればよかったのですが、顔を直視する勇気がもてなくて、下を向いたままではありますが。
「……これを、渡した……くて」
「これは?」
「箱魔法の、一つ……です」
手のひらよりも少し大きいサイズのこの小箱の名前を『送り箱』。
ハココたちと同じような顔のついた箱ですが、機能はまったく異なります。
例えばサイフォン殿下がこの箱に何かを入れておくと、私がその中身を、自分の箱の元へと手繰り寄せることができるという使い箱です。
もちろんその逆に、私から王子の小箱へとモノを送ることができます。
これを使えば私が帰領したあとも、ほぼ一瞬で手紙のやりとりができる為、使者や冒険者などを利用して手紙を送り合う必要もないものです。
「……恐ろしい能力だな」
この箱の能力に関して、さすがと言うべきかサイフォン王子は色々と思い浮かんだようですね。
でも、そういう使い方はあまりして欲しくないので――
「ですので……基本、的には……私と、殿下……のみが、利用できる、ようにして……あります」
「そうか」
色々と、制約は掛けてあります。
瞬間的に遠距離と手紙がやりとりできるというのは、連絡手段として強力ですから。
サイフォン王子の脳裏には、婚約者とタイムラグなくやりとりできるというロマンチックな使い方だけでなく、政治や戦争での利用方法が即座に過ぎったことでしょう。
それは、私も考えたことのある使い方です。
でも出来ればそんな使い方はしたくはないので――
まぁ最後にはなぁなぁになってしまいそうな言葉ではありますけれども、意志は伝えたいわけで……。
「それ以外に、使うつもり、も……ありません、ので」
「分かった。あくまでも我々の私用のみ、だな」
「基本的に、は……それで」
そう基本的には、二人のやりとりだけに使いたい。
でも、そうも言っていられない状況が発生した場合は、その限りではありません。
緊急手段としての使い方そのものは否定する気はありませんので。
「手紙以外も入るのか?」
「……と、いいます、と……?」
「小物などのアクセサリの類だ」
「えっと……だいじょうぶ、です……。
この箱に、入るモノでしたら……」
「それを聞いて安心した。
できれば贈り物などもすぐに渡したかったからな」
王子とのやりとりで、贈り物を受け取る自分を思わず想像してしまいました。
途端、また全身を朱色に染まっていくのを自覚します。
と、とにかく何か言わないと……!
「……あの、その……あり、が……とう、ござい、ます……」
「まだなにも渡してない。礼を言うには早すぎる」
「あ、えと、そう……です、ね。その……」
私の言葉にサイフォン王子が苦笑する。
た、確かにその通りですよね……えっと、その、えっと……ああ、なんだか言葉が湧きません。口にしたいことが形になってくれません。
そのせいで、どんどん頭が真っ白になって……あうあう。
そんなタイミングで、箱の外のカチーナから、声が掛かった。
ああ、ナイスタイミングなような、とても残念なような……。
『お嬢様。そろそろサイフォン殿下をお戻し頂けないでしょうか。
サイフォン殿下がお帰りになるお時間となりましたので』
だけど、カチーナの声が聞こえたお陰か、少し落ち着いてきました。
「もうちょっと……お話、したかったの、ですが……。
そろそろお時間、の……ようですね……」
「そのようだ。
是非、次の機会には箱の中を案内して欲しい」
「……はい。その時は、是非……」
殿下は私が手渡した小箱を大事そうに抱えると、客間の扉へと向かう。
その扉を開ける前に振り向き、微笑んだ。
「箱のままで構わぬ。
また、茶を飲もう」
「……はい……サイフォン殿下」
その言葉に、私がお辞儀をすると、彼は何を思ったのかこちらへと戻ってきた。
そして、どこか真面目な顔をして告げる。
「サイフォンだ」
「はい?」
「公の場では仕方がないが、箱の中や手紙など、人目のないところでは、敬称はいらぬ。
私も――俺も、モカと呼ばせてもらいたい」
それはとても戸惑う言葉で、だけど少し嬉しくて。
なんて返答するべきか――なんて考える前に、私は自分の感情に従うように、彼の名前を……口にしました。
「で、では……サイ、フォン……。
また、お会い……しましょう」
「ああ。モカ。またな」
それを口にすると、サイフォン王子は颯爽と客間を後にしていきます。
その背中はとても格好良くて、客間から出たあとも、そのまま箱の外へと完全に出るまで、私はずっと小さく手を振り続けるのでした。
王子たちが屋敷を出て、彼らの乗った馬車が見えなくなった頃、カチーナが部屋に戻ってきました。
私は少し大きめな声で、カチーナに声を掛けます。
「カチーナ……その、入ってきて……くれる?」
『かしこまりました』
すると、カチーナは馴れた様子で箱へと触れ、中へと踏み込んできます。
「カチーナッ!」
「どうされました?」
不思議そうな顔をするカチーナに、私は待ってましたと言わんばかりに抱きつきます。
「お嬢様?」
不安そうな声のカチーナに、私は自分の心情を口にしました。
それに、彼女は優しく相づちを打ってくれます。
「ドキドキした……」
「そうでしたか」
「顔を見せるの、怖かった……」
「はい」
「少しだけ、このまま……いさせ、て」
「お好きなだけどうぞ」
カチーナに抱きつき、その胸に顔を埋めるような形のまま私は動きを止めます。
抱きついていると、自分の身体が小刻みに震えていることを自覚しました。
ああ、本当に、限界だったのかもしれません。
勇気を出す、覚悟をするというのは、こんなにも大変だとは思いませんでした。
「それにしても……」
こちらの震えが落ち着いてきたあたりで、カチーナが問いかけてきます。
私はカチーナに抱きついたまま、顔を上げました。
「よろしかったのですか? 素顔をお晒しになって」
その問いに、私はうなずいた上で、私自身の考えと意図を答えます。
「……サイフォン殿下は……たぶん、一定の距離……を、越えさせて……くれない、タイプ……だから」
「――と、いいますと?」
「こちら、が……信用と、信頼を……見せて、距離を詰めて、いく必要が……あるかな、って」
だからこそ、魔法の一つをサイフォン王子に提供したんです。
「人と、一定の……距離を保つ、みたいな人だけど……誠実さは、ある……から。
信用や、信頼を……必要である限り、裏切らない、かな……って」
だからこそ、勇気を出して素顔を晒すことを選びました。
素顔を晒し、手の内の一つを見せる。
それはある種の誠意ある行いとして、サイフォン王子は受け取ることでしょう。
ただ単純な婚約というモノではないのは、貴族の――それも王族と上位貴族によるものなのだから仕方がないことですしね。
「ただ……本心を、見せずに……取り繕える人、でもあるから……」
こちらの行いに対してどう思ったのかは分からないけれど――
向こうにも思惑があっての婚約だというのも理解しています。
だけど、こちらにも思惑はあるのです。
その為には勇気を出す必要があったのだから、仕方がありません。
お互いの関係は婚約者であると同時に、互いの思惑の為に利害を一致させた関係というものでありますから。
お互いがお互いの思惑の内容を読み切れずとも、婚約することそのものを利用できると判断してのことなわけで……。
「だけどそれでも――」
「お嬢様?」
「美しかった……って褒めてくれたの……。私、を」
嬉しくて、照れくさくて、恥ずかしくて……。
だけど間違いなく、私の胸は感じたことのない感覚で高鳴っていて……。
だからこそ――
私はあの瞬間に対して、願わずにはいられない。
「あの言葉は……本心で、あって……欲しい、な……」
――と。