第24箱
サイフォン王子を箱の中に招いたのには理由があります。
それは、こちらからの誠意を見せ、信頼を勝ち取る一手。あるいは切り札の一つ。
……などと、色んな理由と思惑がごちゃごちゃと入り交じってはいますけど、そういうのを脇に寄せて素直に応えてしまうなら――ようするに、素顔を見せたいから、です。
王子にはどうしても、顔を見せたい。
思惑とかそういうのではなくて、純粋な私の気持ちです。
それに、渡したいものもあるんです。
だけど――どうしても緊張してしまい、ドキドキと心拍数があがっていきます。
正直言ってしまえば怖いです。でも、お母様と相対した時同様に、勇気の出しどころだと思うのです。
とはいえ、怖いものは怖いので、ドキドキしっぱなし。
そんな状態の自分を落ち着けるべく呼吸を整えようとしていると、サイフォン王子が中へとやってきました。
中に入ってきたサイフォン王子は以前同様に、きょろきょろと内部を見渡し、宙を漂うハココをつつきながら、私がいる部屋に近づいてきます。
途中にある本棚を見、何やら少し考え込む素振りを見せましたが、それも僅かな時間だけで。
どんどんこちらに近づいてくる王子に、私の心臓はどんどん激しく動きだします。
……素顔を見せたいという感情と、
……素顔を見られるのが怖いという感情と、
ごちゃ混ぜになって自分でもよく分からなくなってる中、扉がノックされました。
「はい……どうぞ。お入り、くださ、い」
「ああ。失礼する」
許可を出す声は、何とか出ました。
思わず――少し待ってと口にして、延々と待たせてしまいそうな状況だけは回避できたと言えます。
ゆっくりと部屋に入ってくる王子。
だけど、実際の速度以上に、時間の流れがゆっくりと感じます。
思わず、扉に背を向けてしまう。
入ってきたサイフォンは扉を閉め、私の後ろ姿を見た時に、息をのんで動きを止めました。
……?
えーっと、どうしたんでしょう?
でも、おかげで少しだけ余裕が出来た気がします。
だから……ここでッ、勇気をッ、持って――
……動けたら苦労しないワケですが……。
どうしましょう。
ドキドキばっかりが強くなって、身体が動いてくれません。
「モカ嬢?」
さすがに不思議に思ったのか、サイフォン王子が声を掛けてきました。
私は上手く応えられず、その代わりというワケではありませんが、大きく深呼吸をしました。数度ほど。
そして、拳をグッと握って気合いを入れて……
ふ、振り向けませんでした……。
我ながら情けないとは思うのですが、身体が強ばって動いてくれないのですよ……。
このまま振り向かなければ、招き入れたことが無意味になってしまうというのに、この期に及んで私は動けません。
「…………」
「…………」
それでも諦めず、私はもう一度深呼吸をし、準備を整えます。
「よしッ!」
敢えて声に出して、気合いをいれて、あとは振り向くだけです。
……そう、振り向くだけなんです。
…………振り向くだけ、なんです。
………………振り向くだけ、なんです、が。
ダメです。どうしてもダメなんです。ダメダメです。
何だか泣きそうな気持ちになってきます。
……見せたいのに、怖くて、怖いけど、がんばって見せたくて……。
「……ううっ……」
思わず両手で顔を覆います。
ジャバくん勇気をください……! と思っても、やっぱりどうにもなりそうにない……。
木箱の中の冒険のように上手く行くわけが無く、私はこうやって呻くだけしか出来ないのでしょうか……。
そんな時――
「ええいッ、じれったいッ!」
王子の手が、私の肩を掴みました。
「え?」
突然の出来事に反応できず、思わず惚けた声を上げてしまいます。
「覚悟はあれど勇気が足りぬというのなら、手を貸そうッ!」
「殿下、ちょ……」
何をされるのかを理解して、思わず制止の言葉を投げようとしますが、間に合わず……。
そして、その一瞬で――グイッと私は身体を反転させられて……。
正面から……王子と顔を見合わせる形になりました。
ううううっ……恥ずかしい、怖い……でも――
目的が達成できたのは、少し嬉しくて……。
どんなリアクションをされるのか、怖々と待っているものの、王子に動きがありません?
不思議に思って、様子を窺うと――サイフォン王子は、なぜか時間が停止したように硬直していました。
どうして良いのか分からず、私は恐る恐る声を掛けると……
「あ、あの……」
「……!」
王子はハッとしたような様子で、再び動き出しました。
その様子に、私は思わずホッとします。
私が安堵していると、彼にしては珍しく慌てた様子で掴んでいた肩から手を離し、私から少し身体を離しながら手を振りました。
「す、すまない」
そうして彼は些か強引な方法で振り向かせたことを詫びてから――
「想像以上に美しかった君に、見惚れていた」
それこそ想像していなかった素直な言葉を口にしてきました。
「……ッ!」
私は……その、容姿を褒められることに馴れていません。
そもそも、容姿について何か言われたことすら少ないのです。
それを、それを……そんな良い顔で、良い声で、真っ直ぐに口にされたら……ッ!!
恥ずかしさと照れと嬉しさで顔どころか全身を真っ赤になっていく自覚があります。どんな顔をしているのか自分でも分かりませんが、だけど何か顔を見られたくないので、思わず両手で顔を覆い隠してしまいました。
そんな私の姿をサイフォン王子は純粋に可愛いと感じているなど、私はまったく気づかないまま。
そんな私の様子をしばらく眺めていた殿下はややして――
楽しそうに、嬉しそうに、そして見守るような眼差しで、訊ねてきます。
「ところで……被り物はしなくても良いのか?」
「そ、その……」
それを答えるのは、何というか、気恥ずかしくて……
元々人と話をするのが苦手なせいで言葉がうまく纏まらなくて……
だけど、それでも――
こういう場面でハッキリと言葉にしなければ、後々にお母様を納得させることななんてできないでしょう。
だから私は、せっかく勇気と覚悟の後押しをしてくれた殿下の為に、一生懸命に顔を上げて、それを答えます。
「婚約……するの、ですから……。せめて、婚約者……様くらい、には……素顔を、お見せ……する、べきかと……思いまし、て……」
相変わらず全身は真っ赤ですし、両手で顔を覆ったままというのが、なんとも情けないですが、今の私にとってはこれが最大限の勇気です。
「そうか。君の勇気、嬉しく思う」
それを王子は微笑みながら礼を告げられました。
うまく隠しているつもりのようですが本心半分に、空気を読んだのが半分といったような感じです。
あるいは、まだ出会って間もないのにどうしてそこまで自分を信用できるのか――そんな困惑も混ざっているのかもしれません。
ですが、ですけれど……ッ!
その言葉に、勇気を出して良かったと思えるくらいの感動が私の中にありました。
だから私は、女神とジャバくんにもう一歩踏み込む勇気をくださいと祈ってから、顔を覆っていた手を下ろし、用意していた小箱へと手を伸ばします。
「――それ、から……」
手に取った小箱を両手で持って、私はそれをサイフォン殿下へと差し出しました。