第18箱
王家からの婚約の打診が届いた日の翌日。その昼下がり――
「モカちゃん、カチーナ、来たわよーッ!」
「…………」
何やら元気の良いお母様と、逆にげっそりしたお父様が、私の部屋へとやってきました。
昨晩からこの時間にかけて、壮絶な話し合いが行われたみたいですが、まぁ敢えてツッコミはしないようにしておきましょう。
それはそれとして、私の許可など気にせず堂々と入ってくる辺り、お母様も馴れてますよね。
許可を取ってなどいたら、いつまで経っても私が部屋に入れないだろうと想定しています。
まさにその想定は正しいのですけれど――
もちろん、カチーナもそれを理解しているので、こういう状況においては、二人へ何か言うつもりもないみたいなのがちょっと不満。
それが必要なことであるならば、後に私から叱られようと、私の為に動くのがカチーナという侍女なわけで。
それはそれでとても代え難い存在ではあるんですけどね。
周囲をイエスマンで固めすぎるのはよくないというのは、見聞箱から得る情報の中に、お手本のようなモノがあったりしますから。
「お嬢様、旦那様と奥様がお見えになりました」
「ん……分かってる」
私が『箱』の中から外の様子を窺っているのを知っている上で、カチーナはそう告げてきます。
それに、私は応じると、お母様が声を掛けてきました。
「回りくどいコトを言う気はないわ。
モカちゃんの情報収集能力があれば、事情は理解してるだろうし。
そもそも、ネルタの思惑も気づいている部分もあるんじゃないかしら?」
「否定、しない……かな」
私の答えに、お母様は満足そうにうなずいてから、真面目な顔で問いかけてきます。
「昨日も聞いたコトだけれど、改めてこの人がいる前で答えてちょうだい。
サイフォン王子からの申し入れ――受けるの? 受けないの?」
「受けたいと、思って、います」
私が即答すると、お母様の横でぐったりしていたお父様が小さなガッツポーズを取ります。
その姿に、お母様はお父様へ鋭い眼光を浴びせてから、私へ向けてすぐに母親の目に戻しました。
「昨日の様子からも分かってはいたけど、一晩で気が変わったりはしていないようね。なら、そういう方向で返答するけど、問題ないのね?」
「はい」
「そう。分かった」
私の短い返答に、お母様は一つうなずきました。
これで、とりあえずの申し入れ騒動は完結――でしょうか。
そう思っていた時、お母様はふと何かに気づいたような顔で――
「ねぇ、モカちゃん。もしかして貴女――……いいえ、いいわ。どっちであれ、結果は変わらないモノね」
――何かを言い掛けて、特に口にしないまま自己完結させました。
まぁお母様の言いたいことはわかります。
なので、私は素直にお母様の言い掛けた言葉を肯定します。
「お母様の推測、たぶん……間違って、ません……」
実際問題、私は周囲の思惑を理解した上で、それに乗っかって利用しました。そこにお母様は気づいたのでしょう。
それは私が自らの意志で王子と出会うことを望んだとも取れます。
なので、偶然であっても狙ったのであっても、結果は変わらないという結論になるわけです。
そこも含めて、私は肯定しました。
「結果が、変わらない……のは、その通り、ですけど……」
私のその言葉に、お母様は目を瞬かせたあとで、小さくうなずきます。
「ふふ。モカちゃん、この人よりも宰相の才能あるんじゃないの?」
「あったと、しても……宰相なんて、できません……から……」
私の言葉に、お母様は肯定と否定が同居したような笑み浮かべる。
『それもそうだ』と『そんなことない』という二つの言葉が同時に脳裏に過ぎったのかもしれません。
横で聞いていたカチーナも、お母様と似たような顔で苦笑しています。
ともあれ、家族会議はこれでお開きなのでしょう。
「さて、貴方。色々と聞きたいコトはまだまだあるから、お部屋に戻って、夕餉の時間までたっぷり聞かせて頂きますからね?」
「いや、ほんと。勘弁してくれないか?」
疲れた様子のお父様に対して、私は援護射撃をしようと思います。
「お父様――というより、陛下の意向が、強いみたい……。
そこに……お父様、も……乗っかった……形、だけど」
「ふーん」
陛下はサイフォン王子の婚約者が見つからないことに焦っていたようで、私の年回りが王子と同じことから、お父様へと相談を持ちかけていたのですよね。
それを私は知っていたからこそ、お父様から『成人会へ出席してくれれば箱のままで構わない』という言葉を引き出せたのですけど。
ともあれ、お父様より陛下がこの騒動の根元ですよ~……という私の援護射撃は逆効果だったみたいです。
「いいわ。その辺り含めて、しっかり聞かせてもらいますからッ!」
そうして、お母様はしっかりお父様をホールドすると、私の部屋を出ていきます。
その光景を、優秀な宰相も奥さんの前では形無しなんですねぇ――と、私は他人事のように見送ります。
二人がやいのやいの言い合う声が遠くへと消えていくのを感じながら、私はカチーナへと告げました。
「今晩の、ご飯は……お父様の、口に、染みないものが……いい、かも?」
この気遣いがお父様に届くかどうかは分かりませんが――
「いくら奥様でもそこまで過激なコトはしないのでは?」
「普段なら、そう……だけど、何やら、興奮……冷めやらぬ……みたいだし?」
お父様、ふぁいと!
二人が出ていったあと、カチーナは少し何かを考えるようにしてから、『箱』へと向きなおりました。
「お嬢様」
「なに?」
「ふと、思ったのですが」
「うん」
「……帰領の準備は取りやめた方が良いかと」
「え?」
カチーナの言葉に、私は思わず目を瞬かせます。
すぐにその意図が読みとれず黙っていると、カチーナが説明してくれました。
「秋にある建国祭ですが……。
サイフォン王子と婚約が正式に結ばれれば、期間中に行われる王家主催のパーティなどに出席が必須となるのではないかと」
「……あ」
言われて、私はカチーナが言わんとしていることに気づきました。
これまで通りであれば、このまま帰領して、あとは領地にある自宅の自室でずっと引きこもっていれば良かったのですが、サイフォン王子と婚約したことでそうもいかなくなったのです。
秋にある建国祭。
そこのパーティに出席が必須というのであれば、ドレス等の準備含めて一月前くらいには王都にいる必要があります。
そうなってくると、夏の終わりには王都へ来る準備をしないといけないわけで……。
「帰っても、一ヶ月とちょっとくらいしか……領地に、いられない?」
「はい。そうなるとこのまま秋のパーティが終わるまで王都にいた方が、準備を含めてやりやすくなるので、帰領しない方が良いかと」
まったく想定してなかった事態に、思わず頭を抱えます。
……引きこもりには祭事なんて無関係だと、そう思っていたのですが……。
この別邸の自室より、領地にある本邸の自室の方が好きなのですが――さすがに、それをもう言ってはいられないようです……。
はぁ……。