第17箱
「確認したいのだけれど――ッ!」
その汗を拭うこともなく、単刀直入とばかりに訊ねてこようとするお母様に、私は一言告げます。
「是非に、と……お返事、したく、思います……」
「正気ッ!?」
本気? ではなく、正気? と訊ねてくる辺り、お母様による私の評価が分かる気がします。あるいは信頼度が高いと言うべきでしょうか。
「……というか、モカちゃんは私が慌ててる理由、分かってるのね?」
「この、箱魔法の……真骨頂は、情報収集で、ある……と、お母様も、ご存じ……ですよ、ね?」
「そう、ね。言われてみればそうだけど――でもやっぱりモカちゃんが冷静なのが、納得いかないわ」
お母様が落ち着きだしたところで、カチーナがタオルを手渡します。
それにお礼を告げながら受け取ると、お母様は顔を拭きながら、『箱』の近くへとやってきます。
「お母様は、お父様から……成人会での、出来事……を、聞いてない、のですか?」
「……それって、コレが来る可能性が生まれるような出来事だったのね?」
婚約の打診が書かれているだろう紙をピラピラと振りながら示してくるお母様に、私は素直に「はい」と答えました。
お母様は額に指を当ててしばらく難しい顔をした後で、真面目な顔をして訊ねてきます。
「もう一度、訊くけど――モカちゃん、正気?
サイフォン殿下が王位を継ごうと継ぐまいと関係なく、王族の妻になるというのがどういうコトが理解している?」
まぁ、そうなりますよね。
どう考えても、私は王族の妻たりうる資質がありません。
「そう……ですね。
家格以外は、微妙……な自覚は、あります」
式典とか、外交とか、政治的な場とか、社交の場とか、箱のままでも良いって言って貰えないと、私には無理ですから。
「そうよ。正式に婚約が結ばれたら引きこもってなんてられないわよ?
だからこそ、ずっと箱の中にいたいなら、思慕があろうとも諦めるべきだと、私は思うわ」
ああ――そうですよね。お母様はそう言うでしょうね。
お母様は、私のことを愛してくれているし、箱魔法の有用性を理解している上で、私の引きこもりを快く思ってはいないのは知ってます。
それでも『諦めるべきだと私は思う』という言い方をして、『諦めなさい』と押しつけてこないのは、ささやかな優しさ――なのかもしれませんね。
だけど、それでも――
箱の中から、顔出す意を決します。
『木箱の中の冒険』の主人公ジャバくんが、最後に自分の父親に謝る時のように。
怒られるかもしれないこと、殴られるかもしれないこと。そういう想定に足を竦ませながらも、それでも自分がするべきことを信じて一歩踏み出すように。
「モカちゃん?」
波打つ箱の上面から顔だけ――いえ上半身まで出した私は、お母様を直接まっすぐに見て、告げました。
「――私は、この機会を……逃したく、ありません……ので……」
私自身、自分の感情が恋愛なのか打算なのか、それ以外の何かなのかがちゃんと分かっているわけではありません。
――それでも、逃したくないと思っているのは間違いなくて……。
いつもの気弱な態度のままだと、お母様は退いてくれそうにない以上は、顔を出してでもしっかりとまっすぐに、お母様と向かい会うべきだと、そう思いました。
「…………」
そんな私の意志を汲んだのか、お母様はただただ黙って私を真っ直ぐ見据えます。
お母様のご実家サテンキーツ家は武人の家系。
こうやって睨まれていると、お母様がその血を引いているのだと実感します。
その視線は恐らく戦場で交わされる類のもの。
鋭い……いえ、鋭すぎる眼光が私を照らしてきます。
見定める――というのとも違う、意志そのものを探られているような感覚。
重圧というのでしょうか。
ただ睨まれているだけなのに、身体が重く、喉の奥から悲鳴が漏れそうで……それでも声を出さず、ただただお母様と見つめ合います。
正直いって怖いです。怖いけど、ここで負けるわけにはいきません。
自分でもどうしてここまで気合いを入れているのか、分かっているわけではありませんけれど……。
「…………」
「…………」
「わざわざ箱から顔を出し、私とにらみ合っても怯まない……か。
いいわ。私の意見は反対のままではあるけれど、モカちゃんの意志を尊重してあげる」
お母様が小さく息を吐きながら、そう言うと、さっきまでの息苦しい重圧のようなものが消えました。
「でもね。本当に結婚する気があるなら、その時までに、私を認めさせなさいね」
「はい」
それが、この場を引く絶対条件だとでも言うようなお母様の言葉に、私はしっかりとうなずきます。
これで今日のお話は終わりでしょう。
私とお母様の話の区切りが生まれたところで、カチーナがお母様に声をかけました。
「奥様、湯浴みの準備が整っているようですので、そのまま浴場へとお向かいください」
「ええ、分かったわ。タオルをありがとう。カチーナ」
一礼しお母様からタオルを受け取るカチーナ。
その時、お母様が不思議そうな顔をしました。
「そういえばカチーナ。どうして湯浴みの準備が出来てるって知ってるのかしら?」
「私が指示を出してきましたので」
「……いつ?」
「お二人がお話をされている時に」
「そんな気配無かったんだけど……」
「お二人の真剣なお話の邪魔をするまいと、気配を消しておりました」
どうにも納得できなさそうな顔しながら、お母様はカチーナへと訊ねます。
「まぁそこは良いわ。ところでカチーナ」
「はい」
「貴女の率直な意見を聞かせて欲しいのだけど――王子とモカちゃんの婚約は賛成? 反対?」
「お嬢様がそれを望む限り賛成でございます」
「そうよね。貴女はモカちゃん至上主義なところあるものね」
変なこと訊いたわ――と肩を竦めると、お母様は「じゃあね」と言って、部屋から出ていきました。
それを見送り、お母様の気配が消えたところで……
「はぁ――……」
私は盛大な息を吐きながら、箱の縁にぐったりともたれかかるのでした。
「お嬢様」
「大丈夫……疲れた、だけ、だから……」
とりあえず婚約そのものは何とかなりそうですが……。
お母様に、箱のままでも問題ないと認めて貰う方法を考えないといけませんね。
□
そしてその日の夜――
家に帰ってきたお父様のお部屋にて――
「どうしてッ、モカちゃんのッ、婚約の話をッ、陛下と勝手にッ、計画してるんですかッ!」
「ま、待てラテッ! 話せば分かるッ!
だからまずッ、その拳をだな――ッ!」
「待ちませんッ! 話されて分かってしまっては拳を振るえないじゃないですかッ!」
「何だその理屈――ッ!?」