【閑話】コナとフラスコ
「コナ、改めてすまなかった」
「…………」
フラスコに、突然お茶会しようと誘われて、ノコノコとサロンに来てみれば、そんな謝罪からスタートした。
とりあえず、だ。
「まず、座っていい?」
「あ、ああ」
正直言って、すでに正式な謝罪も、プライベートな謝罪もされているので、個人的には終わったことだ。
けれど、フラスコはそれをずっと気にしてしまってるのか、顔を合わせるたびに謝ってくる。
「もう謝罪は良いって言ったでしょう?」
「そうなんだが……」
公的な場所ではなく、完全なプライベートの場なので、喋り方はいつも通り。
従者たちもそれを知っているので、咎めてくる人なんていない。
「それなら、フラスコはどうして謝罪してくるの?」
「それは……」
我ながら少し意地の悪い言葉かも知れない。
フラスコの場合、それ以外の方法を知らないから――だと思う。
ようするに、自分の中の罪悪感をどうにかしたいのだ。
けれど、彼は謝る以外の手段が思いつかないから、顔を合わせる度に謝ってくる。
それが続くのは正直鬱陶しいし、何よりフラスコの為にもならない気がする。
「自分が謝罪したという納得感と、罪悪感の解消をしたいだけなら、むしろ不愉快だからやめて欲しいわ。そういう謝罪は相手にも、自分自身にも失礼だと知りなさい」
「…………」
さっきまで真っ直ぐに向けてきた視線が逸らされる。
だいたい当たっていたらしい。
そして徐々に捨てられた仔犬のような表情になっていく。
まったく……ティノと一緒に動くようになって多少マシになったと思ったんだけど、乱暴な面が小動物的な方向へ変わっていくとは思わなかったわ。
「はぁ……」
頭を掻きたいところだけれど、せっかくのセットが乱れるのでグッと我慢して、代わりに大きめの嘆息をする。
「フラスコ。謝罪っていうならね。わたしだってそうなのよ」
「どういうコトだ?」
最近までワガママで乱暴者の面が目立っていたけど、昔から根は素直で真面目な幼馴染みだ。
今回はそこが悪い方向で発揮してしまっているのだろうから、少し解消するような話をするとしよう。
「パーティの時、貴方がわたしと婚約破棄をしてティノを婚約者にするって言ったでしょう?
あの時――驚きはしたし、何言ってんだコイツ? と思った一方で、これはチャンスだ……とも思っていたのよ」
「チャンス?」
「ええ」
軽くうなずき、お茶で喉を湿す。
カップをソーサーに戻してから、続きを口にする。
「わたしね。どこかで貴方と婚約解消するべきだってずっと思ってたから」
「……そう、なのか?」
「そうなのよ。フラスコのコトが嫌いになったというのとはちょっと違うんだけど」
これに関しては難しい感情ではある。
フラスコとは打算とか関係なく仲良くしていたい――幼馴染みとして。
この感情はサイフォンに対しても同じだ。
「ともあれ、あの時に渡りに船だと思って状況を利用した面もあるから、貴方だけが罪悪を感じる必要はないのよ」
親たちは、仲が良いならそれで――と、私たちを婚約させたのだろうけど、いざ婚約関係になってみると、わたしはどうにも居心地が悪かった。
「実際、あれが無くとも近々にお母様かフレン様に相談するつもりではいたしね」
「ん? 父上たちではないのか?」
「契約や経理なんかの政務上の実利が関わる相談内容なら、お父様たちでもいいんだけどね。
こと感情や心理がメインの精神的な実利に関わる相談内容なら断然、お母様たちよ。男親に出番はないから、覚えておきなさい」
「あ、ああ……」
お父様たちの場合、ロクに相談に乗ってくれずに契約結婚なんだから我慢しろ無茶を言うなと、取り合ってくれないのが目に見えてるからね。
感情と現状の関係性の相談をするなら、間違いなくお母様たちだ。
貴族女性として、貴族家当主夫人としての答えと、わたしが出すべき答えの方向性を示してくれるはずだ。
「それに――昔から言ってるけど、わたしはね。強い人が好きなの。結婚するならそういう人が良いって願望はあった」
「訂正しておくなら今だぞ? 筋肉が好きで、次点で強い者……だろう?」
「分かってるじゃない」
「それでいくと、筋肉も強者も、オレとは無縁だろうがな」
自嘲気味に笑うけど、やっぱりコイツは自分のことを分かってない。
「無縁でもないのよ。少なくとも、日課の鍛錬をサボり始めた頃くらいは、まだ悪くなかったわ。間違いなく貴方は魔法の天才で、剣の腕も悪くなかったもの。細いながらも悪くない筋肉してたし」
「そうなのか?」
「そうなのよ。どうしても恋人や夫という方向では見れずとも、その筋肉と強さを磨く――あるいは維持し続けてくれるなら妥協もできるかな……とも思ってたのは間違いないから」
そう。別にフラスコのサボり癖というのは、急に始まったものでもない。
サボりながらでも、最低限の維持に努めてくれれば、妥協ラインとしては悪くはなかったのだけど。
「でも、フラスコは自分の強さに満足して、鍛錬をサボる頻度を増やしたでしょう?
しかもその頃から、乱暴者とかワガママという印象も強くなっていった」
「そうだな。今思えば、どうかしていた。
周囲にいる者たちは、オレを天才だと、勉強や鍛錬をせずとも、充分にデキる男であると――そう持て囃していたんだ。そしてオレもその気になってしまっていた」
「そうね。全てフラスコが悪いとは言いがたいわ。
それでも、それによって貴方の筋肉と強さに魅力が無くなってしまっていたのは事実。わたし自身も強くなったというのもあるしね」
とはいえ、一番悪いのは大人だ。
お互いの両親も、その歪さに気づくのが遅れてしまったのは大きい。
「そういう意味では、貴方が歪みきる前に、破滅する前に――不敬承知で一喝して正気へと戻してくれたティノには感謝しているのよ」
こんなのでも幼馴染みだ。
鍛錬や勉強を一緒にやってきた相手が、破滅するところを見たい者がいるわけがない。
「そうだな。オレもあそこで少し色々と思い出した気がした」
フラスコがわたしを見る。
不思議な目だ。今まであまり見たことのない表情。
まるで、わたしを通してティノを――いや、ティノを通してわたしを確認しているかのような……。
そこで、気づいた。
こいつ実はとんでもないことしてないか?
わたしがこいつに恋愛感情抱いてたら、とんでもない殺意が湧くようなことしてないか?
うあー……どうしよう。確認するべきか、しないべきか。
一応しとくか。必要なら説教しておかないと、ティノすら被害に遭いかねない。
「フラスコさ、ティノに叱られた時――そのティノの中に、昔のわたしとか見出したりしてた?」
「……言われてみると、もしかしたらあったかもしれない……」
私の従者たちも、フラスコの従者たちも、さすがに表情を取り繕えなくなった。
「そうかそうか。わたしじゃなかったら……お前それ、絶対に刺されてるから発言には気をつけておくように」
「そ、そうなのか……?」
「そうよ。事と次第によっちゃ、ティノにも刺される発言だったからね?」
さすがに驚いたのか瞠目し、しばらく目を瞬いてから神妙にうなずいた。
「そうか……わかった、気をつける」
本当に分かってるか怪しいけどね。
しかし、サボりまくってる自分に対して苦言を呈する今のコナではなく、身分や立場よりも感情を優先してフラスコとぶつかっていた昔のコナを見出した相手と、急に婚約とか言い出したのはどうなんだ……。
懸想なんて感情のないわたしが、この瞬間に気づいたことであっても、感情が複雑骨折してどうにかなりそうなんだけど……。
「と、とりえあずコナ……その殺気を押さえてくれ……馴れてない者たちが、失神しそうだ」
「それは、申し訳ないわ」
いけないいけない。
うちの従者はともかく、フラスコの方はブラーガ以外の従者や使用人たちは、さすがに馴れてないもんね。
この話題は掘り下げると危険な気がするから、放置だ放置。
今さら気にしても仕方のないところだしね。
「話を戻すけど、貴方が本格的にサボりだしたあとも、サイフォンは鍛錬を続けていたでしょう?
サボリ始めた頃はともかく、今じゃあサイフォンの腕前は、今の貴方と同じくらいまでいってるわよ。筋肉としても強さとしても、魅力は間違いなくサイフォンの方が貴方の上をいった」
「だろうな。以前のオレは認めなかっただろうが、今はそれに気づいているし理解しているよ」
確かに、最近はフラスコもちゃんと鍛錬に顔を出すようになってるしね。
余計にわたしやサイフォンと比べてしまうのだろう。
以前までと違って、そこでわたしたちと自分を比べても腐らなくなったのは良い傾向だ。
「ようするに、お前が婚約解消を願っていたのは、オレに愛想を尽かしたというコトだろう?」
「うーん……分類するとそうなるかもしれないけど、細かいところは違うわね」
「どういうコトだ?」
問われて、わたしは少し考える。
「『仲良し』って言葉があるでしょ?」
確認のためにそう口にすれば、フラスコがうなずく。
その首肯を見てから、わたしは続けた。
「その仲良しにも分類があってさ、友人として仲が良いのか、恋人や夫婦として仲が良いのかって感じで。
どっちの関係でも上手く行く相手もいれば、片方の関係性でしか仲良くなれないコトもある。
わたしとフラスコの関係は、前者だけなんじゃないかなかって。思ったのよ」
「オレたちは恋人や夫婦としては上手く行かず、友人としてのみ仲良しでいられる……というコトか」
「ええ」
聞き返してくるフラスコにうなずくと、そうか――と彼は小さく呟いて、少し考える素振りを見せた。
「そう言われると、そうかもしれないな。
婚約者らしく――とか、婚約者として振る舞え、扱え……そういうのが、煩わしかったのは確かだ。コナはコナでしかないはずなのにな」
「そういうコト。ポーズですら、そういう扱いをしたりされたりって、お互いに面倒だったでしょう?」
「違いない。婚約者としてもっとコナを守るようなアピールをしろ……などと言われてもな。守る必要のある女か? などと思っていた」
「そこは守って欲しかったけれども……でも、たぶんわたしとフラスコにとっての、『守る』という行為と、それを口さがなく言ってくる連中の『守る』の在り方も違ってるのでしょうね」
「そうだな。そのズレが腹立たしかったし、そのズレを理解してくれない周囲にも腹立たしかった。
そうして、気がつけば……その怒りやわだかまりを、お前にだけ向けてしまっていたのかもしれないな」
そう答えてから、フラスコは目を伏た。
そのまま僅かに思案する素振りをみせて、ゆっくりとわたしを見つめながら目を開く。
「改めてすまなかったな。オレは知らず知らずのうちに、お前をだいぶ傷つけていた。
それは間違いなくオレが謝罪するべきコトで、反省すべきコトだ」
「その謝罪は受け入れるわ。実際にダメージは大してなかったけど、貴方がわたしにやらかしたコトの一つなのは間違いないし」
加えて、実はわたしとしては大して気にしてないのだけど、ここでの謝罪はちゃんと受けておかないと、フラスコに変な学習させちゃうかもだし。
こういう時、ティノかピオーウェンがいて欲しいな。
二人なら色々とフォローしてくれただろうし。
「まぁ反省しているならそれでいいわ。
必要以上に謝罪されても困るから、この件の謝罪はこれで終わりにしてね」
「ああ」
うなずくフラスコの顔はどこか寂しそうだ。
こいつ、また何か勝手に思い込んで誤解してそうだ……。
仕方ない。ちゃんと口にしておこう。
「あ、そうそう。これは言っておきたかったんだけど
婚約は解消したけどさ、幼馴染みとして友人としての、そういう関係を解消したつもりはないから」
分かりやすいくらい顔を明るくするんだから。
そういうところ、憎めないと思っちゃう時点で色々負けなのよね。きっと。
「だから、今後ともこうやってお茶したり、剣や魔法で手合わせしたりっていうのは続けるからね」
「ああ。今後ともよろしく頼む」
嬉しそうにそううなずいたフラスコ。
こっちまで嬉しくなるような様子だ。
「ほんと、手の掛かる弟みたいなんだからフラスコは」
思わずそう漏らすと、彼はとても不思議そうな不満そうな顔で訊ねてくる。
「……弟? オレが?」
「そうだけど?」
「……サイフォンは?」
「手の掛かる弟ね。両方とも」
「……サイフォンはともかく、お前とオレは同い年だぞ」
「でも弟感覚かな」
「誕生季はオレの方が先だぞ」
「でも弟感覚かな」
ひたすら弟感覚だと返答していると、フラスコは何か言いたそうに顔を歪めたあと、結局なにも言葉を発することなく、テーブルに突っ伏す。
「……弟、か……」
テーブルに突っ伏したまま、何か漏らしている。
聞こえないふりをしてあげた方がいいのかな?
「……まぁ、コナの弟というなら、そう悪くはない、か……」
ちょっと嬉しそうだし、ツッコミは入れないでおくとしようか。
結局、わたしたちにとっては婚約だの恋人だのより、こういう友人のような気の置けない関係が一番合ってるのよね。