【閑話】今のティノを作った人
コミカライズでティノちゃんの本音などが出始めたのでせっかくなので彼女の過去を一つ
いつから、今の工作員のようなことをしていたのか――と問われると難しい。
それでもキッカケがあるとすれば、八歳の時におじさまと出会ったこと。
そして十歳の時に、母の無茶ぶりで途方にくれていたところを、とある娼婦のお姉様に助けてもらったことだろう。
そもそもわたしは八歳の時点で、両親に対して思うところがあった。
父はあまり物事を考えずに振る舞っているように見えるし。
母は表情筋があまり仕事をしない冷静沈着な美しくも冷たい女性――という見た目を保ったまま、内面は怠惰に腐り落ちていっているさなかであると、子供心に感じていたくらいだ。
ある折、父経由で挨拶をすることとなったおじさま――ダンディオッサ侯爵は、わたしにとっては、初めて出会った本当の意味で頼りになりそうな大人だった。
幸いにして、かつて才女と呼ばれていた母の才能は受け継いでいたのか、勉強も運動も魔法も、人よりはうまく出来たし、成果もよかった。
何より勉強も運動もマナーなどの訓練も、それらを苦とは思わず、むしろ楽しんでいたのもよかったのだろう。
そのことについて、おじさまから、「勤勉でよろしい」と褒めてもらい、頭を撫でてもらったことは、両親に褒められたことよりも誇らしい思い出だ。
今になって思えば、あれは侯爵から両親――特に父への当てつけと皮肉だったのかもしれないけれど。
まぁ父には一切通じてなかったので、ただの褒められ案件ということにしておきます。
それもあってか、ダンディオッサ侯爵は、父よりもわたしと話をすることを好んでいたように見える。
侯爵は、父とは立場や仕事の関係上、一応それなりの関係を保っていたようだが、呆れていることも多かったと思う。
実際のところはどうか分からない。
だけど侯爵はわたしのことを気に掛けてくれていたし、聞けば色んなことを教えてくれた。
正直、両親から教わったことよりも、侯爵から教わったことの方が多いくらいだ。
何せお茶会やパーティに両親を呼んだ場合、多くの場合は両親よりも近くにいてくれたのだから、どれだけ気に掛けてくれていたのか分かるというもの。
例えその目的が、成長すれば自分の手駒としてちょうど良くなるだろう――という打算によるものだったとしても、わたしからすれば両親よりもよっぽど信用できる人だった。
人の家の子に対して少しばかり目を掛けすぎでは――と、今になっては思う。
だというのに、当時の両親がそれを違和として感じなかったのは、両親にとってわたしというのは興味の対象からすでに外れていたことの証左だろう。
色々と文句や愚痴は思いつくけれど、それでもこの時まではまだ、両親もまともな部類だったんじゃないかな――と思う。
問題が起きたのは、十歳の時だ。
王子兄弟のどっちを推すかという派閥問題が強く表面化してくるとともに、父があからさまに兄王子過激派に傾倒していくのを間近で見ていた。
数年前の母ならば、もしかしたら父を止めていた可能性もある。けれど、すっかり腑抜けてしまった母は、地獄行きの崖へと全力疾走している父を止める気配が微塵もなかった。
まだその時点では呆れているだけのわたしだったけれど、よもや腑抜けた母の思いつきのせいで、女神の御座を幻視するハメになるとは……。
「私が十歳の頃と言えば、すでに下町に出て下々の生活を学び、自分なりの情報収集手段を確立していました。お前もそれを覚えるのです」
言いたいことは分かる。
七歳の時の魔性式で、あまりにも世間知らずな令嬢が、明らかに格上の令嬢相手に阿呆なイチャモンを付けていたのを見るに、視野を広げるというのは悪くないのだろう。
子供心にそれくらいの理解はある。
理解はあるのだけれど――
「……お母様、正気?」
――まさか着の身着のまま、下町の……それもいわゆる犯罪者などの多い裏街と呼ばれる区画の近くへ、護衛や従者もナシに放り投げられるとは思ってもみなかった。
今、冷静に思い返してみても意味が分からない。
同じ荒らくれ者が多い区画でも、何でも屋や旅人たちが多い区画とかの方がまだ安全だ。
そうでなくても、せめて身なりを下町に合わせて整えてくれ……とか、軍資金くらいよこせとか……今ならいくらでも文句は思いつく。
けれど、当時はそれが初めてのこと。
お忍びだってほとんど経験してなかったのだから、どうして良いのか分からないほど途方にくれた。
もっといえば、途方にくれて動けなくなってしまっていた。
そもそもその区域の危険性だとか、自分の身なりだと色んな意味で格好のターゲットであるだとか、そういうことすら思いつかないくらい無知のまま投げ出されたのだ。
「ここは貴族のお嬢ちゃんがいる場所じゃないわよ?」
そこへ、最初に声を掛けてきた人が、わたしの大恩人といっても差し支えない女性――サンドラ・アレンキス。
彼女が最初に私に声を掛けてくれたからこそ、わたしは生き延びれたし、今のわたしが形成されたといっても過言じゃないと思う。
「そんな警戒しないで。ほかの連中と違って、あたしはアンタを取って食ったりする気はないんだから」
「…………」
わたしは何も答えられず、瞳に涙を湛えていた。
そんなわたしを見て、彼女は何かを悟ったような顔をして、小さくうなずいた。
「ワケアリってコトね。いいわ。場所を変えましょう。ここはね、アンタみたいな綺麗な女の子をお金に換えるのが好きな怖い人たちが多いの。
あいつらに捕まったなら最後、アンタはまともな人生を歩めない。死ぬ自由すら無い中でオモチャにされて生きていくだけになる」
その言葉に怯えたわたしは思わず、彼女に抱きついた。
まぁ冷静になってみると、別に誘拐魔って男性だけとは限らないんだけど……まぁ何というか、不思議と彼女のことは信用できると思ったのだ。
「あたしはサンドラ・アレンキス。サンディって愛称で呼び捨ててくれていいわよ」
「サンディ……わたしは、えーっとコンティーナ」
「長いわね。ティーナって呼ばせて貰っても?」
「それならティノがいい」
「わかった。じゃあティノ。とりあえず今はわたしにくっついてて」
歩きながら周囲を警戒するように見渡すサンディ。
その仕草は、よく護衛をしてくれる騎士の人の仕草に似ていたからすぐに気がついた。
恐らく、今は割と危機的状況だ、と。
どうやらわたしは、すでに獲物として注目を浴びていたらしい。
それを運良く獲得したのがサンディというワケだ。
そしてサンディから獲物を横取りしようという輩が、周囲にいてこちらの様子を伺っている。
「ったく、了見狭いくせに欲だけはビンビンのバカどもが」
サンディは面倒そうにうめくと、わたしに告げた。
「しっかりあたしに掴まっててよ。絶対に手を離しちゃダメだ」
「う、うん……!」
掲げた左手の中に本が出てくる。
何もないところから出てきたことから魔法なのだろう。
わたしの目からは中身が見えない本だけど、表紙だけみると全体的にピンク色で――今のわたしからすると何も感じないモノだけれど……まぁ一般的な貴族からすれば破廉恥と騒ぎたくなるような、露出度が高く薄い生地の服を纏った艶めかしいポーズのサンディ本人の絵が表紙になっている――いささか、子供が見るには過激なものが描かれていた。
彼女の『本』魔法に関することは、今も何も分かってないままだけど、けれどその時のサンディの姿は、強く印象に残ってる。
呼び出した本を開いて、中を撫でるようにしながら何かを口にする。
「ルックアップ、『煙』」
キリっとした顔のサンディをわたしは下から見上げていた。
綺麗な黒髪に、新雪のように白く柔らかな肌をした美人のサンディの横顔が、下手な男性よりもカッコ良くて凜々しくて頼もしく見えた記憶は今も脳裏に強く焼き付いている。
「ドロー『スモークジャマー』」
言葉と共に、本の中から青く輝くカードを取り出す。
そして、そのカードを握りしめながら、サンディは低く告げる。
「セット、レディ」
サンディの手の中でカードが砕け散ると、そこから視界を遮る煙が広がり出して、周囲を一気に包み込んでいく。
あっという間に煙に包まれて、サンディ以外のものが何も見えなくなった。
あの時は怖かったけど、それでもサンディが横にいるというだけで、不思議と安心できたのを覚えている。
「ルックアップ、『風』」
続けて、サンディが開いた本を撫でる。
バサバサとページが動き、それが止まると、サンディは言葉を続けた。
「ドロー『エアステップ』」
再び青いカードを取り出したサンディは、こちらを見て安心させるような笑みを浮かべながら訊ねてくる。
「しっかり掴まってるね?」
「うん」
改めてギュっとサンディに抱きつくと、彼女は良い子だ――と笑って、二枚目のカードを握り砕いた。
「セット、レディ」
そして、サンディは地面を蹴った。
風を纏った大きなジャンプで、サンディは掴まっているわたしごと立ちこめる煙から飛び出す。
わたしがたなびく煙を眼下に見ながら驚いていると、サンディは近くの建物の屋根の上へと着地する。
眼下では煙の中で怖そうな人たちが大騒ぎしていた。
どこだ! 探せ! 逃がすな! 金づるだ! とかそんな声が響く。
「歩きづらいけどついてくるんだよ?」
本を閉じて、手元から消したサンディが、ゆっくりと歩きだす。
それに遅れないように歩きながら、わたしは訊ねた。
「下の人たちはいいの?」
「ここから攻撃したらせっかく逃げたのに居場所を教えちゃうでしょ。
あのまま混乱してあたしたちを見失って貰わないと危ないじゃん」
「……そうか。そうですよね。うん」
言われてみれば納得だ。
そのまま屋根伝いに、歩き出す。
足早に、だけどわたしを気遣うように歩くサンディの姿を、わたしは素直にカッコいいなって思った。
漠然と――こういうカッコいい女性になりたいな……とも。
近隣の中でも一番豪華そうな建物へと向かっていく。
その豪華そうな建物の屋根に飛び移ると、屋根に付いている窓を開けた。
どうやら屋根裏部屋の窓らしい。
屋根裏部屋には女性がいて、こちらを見上げながら呆れた顔をしている。
「サンディ、また屋根伝いに~……って、その子はぁ?」
「ワケアリ。すぐに匿いたいから、そこ退いて」
「おっけー」
それだけで何か察することがあったのだろう。
「ハシゴがあるからそれで降りてって。足下気をつけなよ」
「うん」
窓から中に入って、ハシゴで部屋に降りていく。
屋根の上を歩くのも含めて、十歳までの人生で初めての経験ばかりだ。
……いやまぁそうそうある経験でもない気はする――と、当時は思っていたけれど。
案外、屋根伝いに歩くこと、それなりに多い人生を歩んでる気もする。
未来のことはともあれ。
わたしがハシゴを降りきって、すぐに横へとズレると、サンディはハシゴを使わずに飛び降りてくる。
同時に窓がバタンとしまったので、ここから良く出入りをしているのだろう。
「サンディ、あの人たち……もう追ってこないんですか?」
「アンタはあの時点だと景品みたいなモンだったからね。あたしが自分の店へと連れ込んだ時点で、裏社会的にはあたしの所有物になったみたいなモンだ」
「それだって、迂闊にフラフラしてればさらわれるだろうから、変なマネしないんだよー」
サンディの言葉を、部屋にいた女性が間延びした調子で補足する。
それにうなずいた時、わたしはようやく自分が危なかったことと、お母様のあまりにもあまりなやり方への恐怖心が湧いてきて、ペタリと床に腰を落とす。
「……あ、あれ……」
自分でも無自覚に腰を抜かし、ポロポロと涙が零れてきた。
「緊張や恐怖とか諸々の実感がここへ来て湧いて来ちゃったか」
「事情はよくわかんないけど~、とりあえずココは安全だからぁ、好きなだけ泣きなね~」
情けなくもわんわん泣き始めてしまったわたしを、部屋にいた女性は、事情も知らないはずなのに、泣き止むまで優しく撫でてくれたのだった。
これが、今も付き合いのある、今のわたしを形作った、頼りになる二人のお姉様との出会い。
この二人に出会わなければ、モカ様を筆頭とした化け物みたいな貴族達と渡り合うことなんて不可能だったことだろう。
色仕掛けも、諜報も、家では教えて貰えない裏マナーのようなものや、それ以外に平民の常識や考え方などなど。
サンディは貴族事情にも明るかったので、家庭教師たちよりも詳細に、丁寧に抜けているところを教えてくれたりもした。
とにもかくにも、わたしはこの二人から色々と教えてもらった。
それが今も生きているし、敵だらけの環境で生き延びる為の武器となったのだ。
……ちなみに。
モカ様たちに手を伸ばしてもらえず、奴隷堕ちないし娼婦堕ちとかした場合は、この二人やここのお店の楼主とかに買って貰う気まんまんだった。
そういう意味では生きていく手段は、最低限確保してたともいえるんだけど。
なんて話を、旅立ち前に顔を出して二人に言ってみたところ――
「真っ当なままに平民堕ちして良かったじゃないか」
「そーそー。ティノにはお土産もってこうやって顔を出してくれるのが~、一番ちょうどいいって~」
「諸国漫遊に付き合うとはいえ、時々は帰ってくるんでしょう? なら、色んな国のお土産期待してるからね」
「たのしみ~」
――なんというか、本当に良い人たち。
今度顔を出す時は、外国のお土産をいっぱい持って帰ってこないとね。
【サンディの『本』属性魔法】
サンディが特定の条件を満たした他人の魔法を本に仮登録する。同じ条件を繰り返すと完全登録される。
本に登録された魔法を呼び出して使える。
それが仮登録の魔法の場合は消滅してしまうので、もう一度条件を満たして登録しなおす必要がある。
知識を蒐集する『本』魔法が、娼婦を天職としたことで、変化した魔法。
知識の蒐集と今の仕事を両立させつつ、同僚やお店を守りたいという意思が、蒐集した知識を使用するという今の形になった。
ティノの水魔法については知っているモノの条件を満たせていないので、未登録。
羽振りの良い冒険者や何でも屋、商人の持つ魔法が多く登録されている。