【閑話】私の女神サマ
コミカライズ4巻 本日(5/30)より発売しております
そして帯にある通り、シリーズ累計40万部突破だそうです
みなさま、お読みいただきありがとうございます
その記念というワケではありませんが、SSを一つ。
ルツーラちゃんのトリマキーズ……その中でも、熱中症で倒れた緑髪の子のお話です。
少しでも楽しんでいただければ幸いです。
私はビアンザ・キータ・ガッサーマ。
この国の王都に住む男爵令嬢です。
最近、私には尊敬し崇め奉りたくなるほど、入れ込んでいる方がいます。
いえ――その、その人物とは殿方ではないのです。
そして私のこの感情は、懸想だのなんだのという感情とは恐らくは違います。
お姿を見るだけで心の中で緑が萌ゆるような、あるいは尊さのあまりに胸が苦しくなりうずくまりたくなるような――
目で追わずにはいられない。応援せずにはいられない……そう演劇の役者さんを追いかけるような感情に近いモノです。
その女神様のお名前は――モカ・フィルタ・ドリップス様。
ドリップス公爵家のご令嬢にして、サイフォン王子殿下の婚約者である女性です。
箱入り令嬢であると伺ってはいましたが、よもや本当に箱に入っていらっしゃるとは思いませんでした。
とはいえ、先日のお茶会でお会いした時には、良いも悪いも特に感情はなく。一緒にいたルツーラ様が大変敵視している方――程度のモノだったのですが。
まぁそもそも、ルツーラ様と一緒にいることが多かったのは、父がフラスコ王子派閥だからこそなワケでして。
同じくフラスコ王子派閥であったメンツァール伯爵家のルツーラ様と私が一緒にいることは、政治的には意味のあることだったのでしょう。
とはいえ――とはいえ、です。
思い返すと、もっと早く離れていても良かったのでは……と思うことが多々あります。
ルツーラ様のあの自信に満ちた振る舞いと、傲慢とも言える強引さは、ある種の魅力であり信頼に値するモノではありました。
一方で、その自信と傲慢は、時に目上に対しても隠すことをしない為、側にいる私としては大変恐ろしいモノであったとも言えるでしょう。
そして、その目上の方を省みない傲慢さは、モカ様とぶつかったことで木っ端微塵にされてしまいました。
箱に入り、気の弱さを感じるしゃべり方だったモカ様は、それでもやはり公爵令嬢だったのです。
ルツーラ様につられて悪口を放つ私たちに対し、逃げ道を塞ぎつつ糾弾。
我々が怯んだところに、すかさず笑顔と共に箱から顔を出したのです。
あの時の笑顔は忘れられません。
まるで後光が差しているかのように、神々しく、芸術的な彫刻のような、もう言葉では言い表せない美しさを見せつけられたかのようでした。
ただ見目が麗しいというだけではなく、笑顔も素顔も、ここぞという時に効果的に見せる立ち居振る舞いも、なにもかもが自分よりも――ルツーラ様よりも上であると、圧倒的に示された姿だったと思います。
その辺りから、私は自分の体調の悪さを自覚し始めました。
後に、熱中症なる、夏の暑さが体内こもってしまう病気であると知ったワケですが、当時の私はそんなことわかってはいませんでした。
ただただ体調が優れない。
鈍い頭痛と、軽い吐き気が私を苛んでいました。
だけど、貴族として自分の体調を整えられないのは愚かしいので言い出せない。
ですが、その状態で前にでれるワケがなく。
みんなには申し訳ないと思いながらも、一歩退いておりました。
そんな時です。
ルツーラ様はご自身の魔法を使用されました。
効果こそ完全にわかりませんでしたが、『順』という属性と無理矢理順序を守らせるという効果から、精神作用系であることは理解できます。
そして、それはモカ様に通用せず。
そのことを認められないルツーラ様は、一緒にいたマディア様にその魔法を掛け、逆らえなくしてから、モカ様の箱を攻撃させたのです。
その時の光景は、体調が悪かった私の気分をさらにどん底に叩き落とすようでした。
マディア様の手から飛び散る鮮やかな朱。
泣き叫ぶマディア様のお声。涙。
それを見てなおも罵るように命令を続けるルツーラ様。
マディア様が壊れてしまえば、次は自分が指名されるのではないかという恐怖。目の前の光景に対して、目眩がして、立っているのがやっとだったのです。
体調の悪さも相まって、今もなお私の心の奥深いところに、あの光景は突き刺さっており、抜けません。
ルツーラ様の命令と泣き叫ぶマディア様。
二人が作り出した光景にみなが騒然とする中、モカ様は冷静に、マディア様を箱へと取り込みました。
どうやら中で、マディア様に掛かっていた魔法を解除したようです。
さらには、逃げようとするルツーラ様を、箱の中から呼び出した人形で攻撃。
ただただ鮮やかに場を納めてしまわれました。
騒動を聞いて駆けつける方々よりも先に、その場から動くことなく。
それだけでも格の違いを見せつけられたというのに――
「そちらの緑の髪の方も」
――モカ様はそう言って私に声を掛けました。
最初に敵対行動をしていた私が、熱中症によって体調を崩しているのを見抜いて応急処置を施してくださったのです。
今、敵対していたとしても将来、味方になってくれるかもしれない。
そう思えば、手当をすることにも意味があると――そう仰ってるのを聞いて、私は自分が完全に敗北したのだと自覚しました。
私ごときでは、格も器も、モカ様の足下にも及ばなかったのです。
その自信に満ちた振る舞いで私たちを引っ張っていたルツーラ様であれ、モカ様の前では塵芥です。
いえ、ルツーラ様が塵芥だとすると、私なんてもはや存在すら希薄な空気の類ではないでしょうか?
そんな私の矮小さに関する考察はさておいて。
その騒動の途中で、私はお城の中の落ち着いて休める涼しい部屋へと寝かされました。
そのまま寝てしまった時に夢を見たのです。
あの神々しい笑みを浮かべられているモカ様のお姿を。
ただただ美しく微笑み掛けて頂くだけの夢でしたが、体調の悪さと、マディア様が泣き叫ぶあの恐ろしい光景によって暗く沈んだ心が、あの笑顔によって癒されていくのを実感したのです。
その時に、私は思いました。
この世界を創りたもうた女神様とは、きっとモカ様のことなのだとッ!
家に帰ると、倒れたことに関してお父様から叱られましたが、ずっと聞き流し続けました。
「よもやメンツァール伯爵令嬢がそのようなことになるとは……!」
まぁ私は盲目的にルツーラ様に従っていたワケではないですし……。
ルツーラ様に対する不安や危うさのようなことは前々からお伝えしていたのに、問題ないの一点張りだったお父様に言うべきことなどありません。
まぁ一応は、義理として言っておく方がいいかもしれませんね。
「ルツーラ様だけでなく、メンツァール一家そのものが危険です。変に連帯責任に巻き込まれる前にとっとと逃げるべきかと。むしろフラスコ王子派閥であった事実などなかったように振る舞わないと当家が没落する可能性もあります」
「ビアンザ。まだまだ小娘のおまえが、政治をわかった風に言うな!」
「ではもうなにも言いません」
お城から戻る前のわずかな時間に集めた情報によれば、モカ様は箱の中にいながらも何らかの形で情報収集と勉強をしており、宰相であるお父君に、集めた情報を提供しているとか。
つまり宰相は、モカ様を政治も知らぬ小娘などと邪険にせず、それどころか有用な情報であれば積極的に利用しているということになります。
上昇志向があるのは良いですが、結局のところ父も器が足りていないのでしょう。
現状の私にとっては、フラスコ王子派閥である我が家において、サイフォン王子派閥のモカ様のことをどのように伝えるかが重要です。
お父様は聞く耳持たないでしょうから、まずはお母様――でしょうか。
「お話が終わりでしたら失礼します」
お父様は何か言っていますが無視して書斎を出ます。
モカ様のすごさ、格、器。
実にサイフォン王子殿下と釣り合うだけの方であったと、お母様には報告しましょう。
「なるほどなるほど。
世間知らずの箱入りのようで独自の情報網で情報を集め、勉強を欠かさない……。
母君であるラテ様に似たのかもしれませんね。あの方も、奔放なようで冷静に情報の収集と分析をされていましたから」
どうやら、モカ様のお母君と同世代である母には納得できるものがあったようです。
「旦那様は頑固でしょうから、まずは外堀から行きましょうか」
「……では、お母様?」
「貴女の話を聞いて確信しました。
令嬢を破滅させるような形で他者を陥れようなどとする派閥に、正当性はありませんからね」
あちこちが破綻し始めている泥船に、これ以上は乗船してられないとお母様は決断しました。
「ビアンザ、お互いに積極的にお茶会に出ましょう。
旦那様がフラスコ王子派閥の為、大手を振ってアピールはできないものの、私たち母子はサイフォン王子に寄っているのだというコトを密かに示し続けるのです」
「それでしたら、早速お茶会を開きたいのですけどよろしいですか?」
「どういう意図があるのかしら?」
「少々形式から外れますが、とある子爵令嬢と小さなお茶会がしたいのです」
「マディア様ね」
お母様が挙げた名前に私はうなずきます。
「あちらの子爵もフラスコ王子派閥。
ですがマディア様は間違いなく、モカ様を意識されるようになっています。
ルツーラ様から鞍替えも視野に入れているコトでしょう」
「そもそもルツーラ様――というよりメンツァール家は、終わりでしょうからね。我が家を含めて懇意にしていた面々は早急に立ち位置を示す必要があるでしょう」
そうなのです。
ですが、家の主たる父がフラスコ王子派閥という状況は、大変よろしくない。
それはマディア様も同様でしょう。
今のままでは、派閥のやらかしによる連座などで、私やお母様も処分されてしまう可能性があるのです。
今回だって、モカ様とサイフォン殿下が見逃してくれたからこそ、なんのお咎めもなかっただけなのですから。
「マディア様とは逆に、ダーリィ様は呼びません」
「それは……」
ダーリィ・ナーゴ・ルゴダーナ子爵令嬢。
ルツーラ様が倒れたあとも、最後までモカ様に食ってかかっていた方です。
あの方は、純粋にルツーラ様に憧れを抱きつき従っておりましたから、現状には納得できていないことでしょう。
今回のお茶会の目的を考えると、足並みを乱されるどころか、フラスコ派閥の危険域にいる方々へと告げ口をされかねません。
「ビアンザ、お茶会でなにがあったのか……あとでもっと詳しく話してちょうだい」
「わかりました。では夜にでも」
「ええ」
その夜、お母様の寝室で、モカ様についていっぱい語ってしまいました。
すごい目がキラキラしてた――というお母様の言葉は、ちょっと恥ずかしかったです。
そんなこんなで、私と母は密かにサイフォン王子派閥に受け入れていってもらいました。
ある程度まで根回しを終えたところで、父には過激な行いをするフラスコ派閥の方々と距離をとり、穏健派であることをアピールしてもらえるようになったのは前進でしょう。
そして、私のモカ様に対する強い思いはいつまでも曇ることはなく――マディア様と一緒に、『モカ様のすばらしさを語る会』を結成。定期的に会が主催のお茶会を開催しては、様々な箱グッズを見せ合っています。
布教活動も実を結んで、会員も結構増えました。
……まぁマディア様は、私のような憧れや崇拝と違って、どこか懸想に近いモノのようなので、少々危うさを感じなくもないですが……。
片思いでしかなくとも、遠くから愛でられればそれでいいと本人は納得しているようなので、そういうことにしておきます。
ともあれ、ルツーラ様の暴走から始まった我が家の危機は、モカ様の素晴らしさによって回避されたといっても過言ではないでしょう。
ある意味で、平穏な日々が――モカ様の存在によってより充実した感じになって戻ってきたのです。
それからしばらくして――あの時のお茶会の出来事をお芝居にしたいというので、詳細を知っているなら教えて欲しいとサイフォン殿下に声を掛けて頂きました。
なので、全力で語れるその機会。
私もついつい熱が籠もってしまうほど。
脚本家の方も同席されており、様々な質問をされたので、覚えている範囲で答えたのです。それはもう全力全開で。
どういうワケか、殿下も脚本家の方も若干引き気味だったきもしますが。
それでも、十分に参考になったと言われました。良いモノが出来そうだとも。
あの瞬間の、脚本家の方のキラキラしたお顔は忘れられそうにありません。
ああ――どんなお芝居になるか、楽しみですね。
お芝居の内容は
書籍版2巻『引きこもり箱入令嬢の結婚』にて、
巻末の書き下ろしに登場しております。
サイフォンがモカと観劇デートしつつ、
当時のサイフォンの気持ちを語るという内容となっております。
ご興味がありましたら、
書籍もお読みいただけると幸いです。