第96箱
急に増したニコラス様の迫力を何と説明すればいいのか。
眼光が鋭くなったワケでもなければ、大きな声を出したわけでもありません。
でも、ニコラス様の存在感が増したというか、大きく見えるようになったというか……。
ですが飲まれるワケにはいきません。
淑女然とした姿勢と態度は崩さずに、耐え抜きます。
「威圧感が増されたようですが、コンティーナ嬢との関係を……お認めになられるので?」
「いいや、まだ足りぬな。
どれだけの情報を得られたのか、それが分からねば判断できぬよ」
私の言葉に小さく頭を振るニコラス様。
威圧感も落ち着いていきます。即座に冷静になれるのは流石です。
「君の言う人物が実在したとしても、疑っているだけでは証拠になるまい。
鍵が掛からずとも扉は扉だ。他人の口の前に付けられたその扉の意味を理解できぬほど、愚かな人物であったのかね?」
「ええ、その人物は決して愚かな方ではありません。
ですが、秘密というのは……閉じこめておけば閉じこめておくほど、自分の内側で……大きくなってしまうもの。
心の中で、パンパンに膨らんでしまった秘密のクローゼットの……整理を協力してくれる相手を、ずっと求められていたようですので」
偶然気づいたこと。
たまたま見てしまったこと。
そういったものが、誰にも打ち明けられない秘密ともなれば、誠実な人ほどずっと抱えてしまい、ストレスの要因になりかねません。
その秘密をかかえた人物という人は存在しませんが、一方で何らかの秘密を抱えた人が、それを吐き出す場所を求めているというのは、決して無い話ではないのです。
それはニコラス様も承知のはず。
だからこそ、情報を出さないまま押し切る為のハッタリが、機能するはずです。
「情報屋ルアクの名は、こういう時に……役に立ちます」
「名を出して信頼でもさせたか?
裏だけでなく、表にも名前は出回り始めておるのだろう?」
その通りです――と、私はうなずきました。
「ルアクの名を出した上で……あなたの明かした、その情報は……情報屋のプライドに、かけて必ず守る。
求めるモノがいれば……適正価格で販売する可能性を、否定できないが……情報提供者があなたであると、絶対に明かさない。
その上で、情報そのものが流出した場合……その原因のすべてはあなたではなく私にある。
そう、語って聞かせただけです。ルアクに扮したカチーナが……ですけど」
「それでも証拠にはなるまい?」
「本当にそう思いますか?」
わざわざルアクであると明かした理由。
それは、こちらが開示する情報の信憑性を高める為です。
「私は、情報屋ルアクですよ?」
仮面の下で営業スマイルを浮かべて告げると、ニコラス様は渋面を作りました。
ニコラス様は何でも屋ニックとしてはもちろん、貴族ニコラスとしても、『ルアクから買った情報』を役立てた経験があるのです。
誰とどんな情報を売買したかをすべて把握できるほど記憶力はよくありませんが、そういうやりとりをしたという情報は、すべて知識箱の中に記録として残してありますからね。
本人が利用してなくても、彼の手の者が利用している証拠そのものはあるんです。
私が提供した情報を精査し、正しいと確信した上で有効利用した経験が何度もある以上、ニコラス様の『ルアクからの情報』への信頼感は高いはず。
そのルアクがたどり着いたというのだから、私が言う情報の信憑性もまた高まってしまうのです。
「あとは、その人の情報から……当時のニックとニコラス様の足跡を、辿っていくだけ、です。
どちらの顔も……女性がお好きで、助かりました。
当時……初恋や片思いを、募らせていた方々は……男性も女性も、当時の思い出語りのように……色々と語ってくださいましたよ」
「男性も?」
何やら妙な勘違いをさせてしまったようです。
「はい。嫉妬したり、羨んだりした……思い出です」
「ああ、そういうコトか」
ニコラス様は大きく息を吐いてから、髭を撫でたまま瞑目します。
やがて思考がまとまったのか、ニコラス様は大きく嘆息してから、私を見ました。
そこに威圧感などは感じません。
むしろ、身振りこそありませんが、白旗を揚げているようにも思えます。
「自身がルアクであるという情報を、こういう使い方してくるとは思わなんだ。
ただの小娘のハッタリであれば恐るるに足らぬと切り捨てられたが、ルアク本人ともなれば、話は別だ」
ふっ、と小さく笑い、ニコラス様はうなずきました。
「認めよう。コンティーナ・カーネ・ターキッシュは、私の孫で間違いない」
間違っていなかったことに、私は大きく安堵しました。
でも、それを表には出しません。ハッタリがだいぶ混ざっているのをバレるような振る舞いは控えます。
「しかしまぁ、よくぞたどり着いたものだ」
こちらを見ながら、ニコラス様は笑います。そう。笑うのです。本当に楽しそうに。
「たどり着くのに骨を折ったと言うが――常人ならば全身複雑骨折したところでたどり着けぬであろう事実よ。そこへたどり着いたのだ。君はその能力を誇るべきだぞ」
「魔法と、カチーナの……おかげです……」
「なおさらだ。希有な魔法と有能な人材。それは君が君だからこそ得たモノだろう。大切にしなさい」
「……はい」
そうしてニコラス様は楽しそうに笑ったあとで、今度はまるで教師のような顔でそう言うのです。私も思わずうなずいてしまいます。
「あの……ニコラス様」
そのあとで――少し、気になっていたことがあるので、私は訊ねることにします。
「どうしてティノさんを気にかけていたのですか?」
血が繋がっているとはいえ、ちょっと気に掛けすぎな気がするのですよね。
その割にはウラナ様のことは余り気遣ってないようにも思えますし。
「そうさな……その才能を惜しいと感じたから――が一番近い感情かもしれんな」
「才能……ですか?」
「ある日、ダンディオッサ侯爵が彼女を連れて儂のもとに来たのだ。
フラスコ派における非常に優秀な実働員としてな。
ターキッシュ伯爵の娘と紹介された時は、驚いたモノだ。まさか孫が来るなど思っていなかったからな」
そこで話をしているうちに、ティノさんの能力の高さに気づいたそうです。
「儂の気質を受け継いでいるのだろうな。
王家でもやっていけそうなポテンシャルの高さを持ちながらも、ターキッシュ夫妻も、ダンディオッサ侯爵も、それを生かせていなかったのだ」
実際、四方八方をフラスコ殿下の派閥に囲まれる中で、私へと接触してきたのです。
生き延びる為に振るわれたその手腕は確かに、ニコラス様から受け継いだものなのかもしれません。
あるいは、ウラナ様の冷鉄の仮面もまた、ニコラス様の血が成したことだったりするのでしょうか。
「ウラナが堕落してなければ、その才に気づいたかもしれぬ。
だが、すでに堕ちきっているウラナもその才に気づいていなかった。
コンティーナは阿呆な連中に囲まれており、身動きが取れていないようだったのでな……」
ニコラス様はそこまで語っている途中、何かに納得したような表情を浮かべました。
「ああ、そうか。儂は見たかったのかもしれん。
コンティーナが自由に羽ばたいているところを。
かごの鳥よりもひどい状況にいた彼女が、飛び出すところを。
面白そうな孫が、その面白さを発揮できずに縮こまっているのが我慢できなかった」
……あれ? 今、なんかとても聞き覚えのあるフレーズが出てきたような……。
「つまるところ、儂はこの歳になっても、儂を楽しませてくれる女が好きという気質は変わらぬのであろうな。
その対象が孫であっても、同じなのだろう。あるいは孫だからこそ、それを強く感じたのかもしれぬ。
ウラナも面白い女に成長したモノだと思っていたのだが、気が付くと堕落しきってつまらぬ女になってしまっていてな……。
非常に残念だ」
……これ、もしかしなくても、ニコラス様にとっての面白い女枠に含まれてませんか、私?
そんなことを考えていると、ニコラス様は朗らかに笑って告げました。
「そういう意味ではサイフォン殿下は羨ましいですな。
儂がまだ若ければ、モカ嬢をこの場で口説いていたかもしれませぬ」