第94箱
「なぜ、そのような被りモノを?」
「まだ衆目の前に、顔を出すのが……怖いのです」
「ならば、顔を出す必要はなかったのではないかね?」
「それでも、貴方と向かい合うなら……せめて箱から顔を出そうと、思ったので。これが、今の私の……精一杯です」
告げると、ニコラス様の顔が些か緩みました。
その様子に、私は改めて安堵します。
これなら、ちゃんと話ができそうです。
私は被りモノこそ被っていますが、背筋を伸ばし真っ直ぐにニコラス様を見つめます。
「改めて、自己紹介を……させてください。道楽屋の、ニックさん」
「はて何のコトやら?」
「本来と、逆の変装をしていた……のでしょう?
いつから……そうしていたのかは、わかりませんが。
ニックの方が素顔で、ニコラス様の方が、付け髭などを使った……変装した姿。違いますか?」
私が変装についての答えを口にすれば、それを認めるように肩を竦めました。
「ニックとして、君と出会ったコトはなかったはずだが?」
その返答の代わりに私がカチーナを一瞥すると、彼女はその意味を察して、ニコラス様へと一礼します。
「モカお嬢様の侍女カチーナです。またの名を、カーシーと申します。
フォンと共に市場を回らせて頂きましたが、覚えていらっしゃいますか?」
「参ったな。フォンがサイフォン殿下だとは気づいていたが、一緒にいた女性が貴女だとは気づかなかった」
これは一本取られたと、笑うニコラス様。
素直にカチーナの変装について褒めているようです。
そこへ私が、もう一つの種明かしを口にしました。
「実は私にも、もう一つの……名前がありまして」
「君が? こう言っては何だが、お忍びなど出来るのかね?」
「できません」
ニコラス様の当然の疑問に対して、私はキッパリと答えます。するとニコラス様が何言ってるんだコイツみたいな顔をします。
そんな顔をされても――実際、外へ出ているわけではありませんし。
「必要がある時は……カチーナに、その名を……名乗ってもらって、いますので」
「ほう? それで、もう一つの名とは?」
「情報屋ルアクと申します」
その名を告げると、ニコラス様はポカンとした表情を浮かべました。ややして、頭に理解が染み渡たったのでしょう。先ほどカチーナに向けた時以上の大笑いをしはじめました。
「かっかっかっかっか! これはこれは……ッ!
いや、想定外にもほどがあるッ! 何でも屋をしてれば耳にする、かの情報屋が! よもや、このような箱入り娘だったとはなッ!」
結界に包まれてから二度目の大笑いに、ギャラリーたちが不思議そうにこちらを見ています。
確かに、声が聞こえないせいで気になるでしょうね。
「だが、それを明かす意味はあったのかね?」
「明かした方が、先ほどのメモの内容がただのハッタリではないと、理解して頂けるのではありませんか?」
「なるほどな。確かにその通りだ」
豊かな付け髭を撫でながら、ニコラス様はうなずきます。
「だが分からぬ。どのような手段で情報を集めている?」
「カチーナを通じて、人の話を……聞いたり資料を、探したりは……もちろんですが……一番は魔法です」
「魔法か」
「ニコラス様や、お父様も……やっているではありませんか」
「だが、それよりも目も耳も大きいのではないのかね?」
その言葉に私はうなずき、被りモノの下で笑みを深めました。
「ニコラス様は、魔剣はご存じですか?」
「マイナーな魔法の操作技術の一つだな。自分の属性を剣あるいは武器などの形に変化させて使用する技術だったはずだが……それが君の魔法に関係が?」
「私が、やっているコトは……それです。属性を物質化し形を与える。分類すれば、魔剣と呼べるかも……しれません」
実際の理論でいくと魔剣とは異なる面が多々ありますが、詳細を語る気はないので、そういうことにしておきます。
「どんな形をしているのかね?」
「目の前に、ある通りです。『箱』ですよ。
何を作ろうと……しても、どんな性能のモノに、しようと……しても『箱』の形状になって、しまうのです。
心当たり、ありませんか? 私の魔剣の一つは、ダンディオッサ侯爵を通して……ニコラス様――貴方の、手元にある……はずですから」
「なるほど。この瞬間ほど老いを感じたコトはない。なぜ、そこに気づけなかったのか……。
あの謎の箱――箱の時点で君と結びつけるべきだった」
思わずといった様子でニコラス様は天を仰ぎました。
「もっと言うなら、コンティーナ嬢が……さも、パーティ会場で……見つけたかのように、ダンディオッサ侯爵の……ところへ、持ち込みました」
「そこからして、既に君の手の内だったのか。面白い」
参った参ったと頭を撫でるニコラス様は、大変楽しそうです。
本来あの時点だと、ただティノさんの仕掛けであって、私の意志ではないのですが、敢えて言う必要はないので、そういうことにしておきます。
「君は魔剣をどれだけ仕掛けてある?」
「さぁ? ざっと、百はあるはず……です。ただ、数はあまり数えてない、ので……」
「ルアクがどうやって情報を集めているかと思ったが……」
このような方法分かるはずがない――と、楽しそうにも呆れているようにも見える様子で、ニコラス様は嘆息しました。
「箱ブームはルアクにとっては追い風かね?」
「そう、ですね……街中に魔剣が転がって、いても怪しまれない……という点では、そうかもしれません」
「そうでなくても、魔剣に気づけてない者が多い以上、あらゆる情報が君に筒抜けだったワケだ」
「全て、ではありませんよ?
それに……メモの内容――それにたどり着くのに……さすがに骨が折れました……」
実際は本当の意味でたどり着いてなどいないのですけどね。
ただの推測を、さもそれっぽく振る舞って見せてるだけなのですが――でもそこに妥協しては、彼は認めてくれません。
だから――
「ニコラス様。コンティーナさんは、貴方のお孫さん……ですよね?」
――まっすぐに、堂々と、私はその手札を切りました。