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彼女の声が聞こえた

作者: 武内順一
掲載日:2020/03/01

 滝沢和馬が、初めて人を殺したのは、3年前のことである。

 彼が家に帰ったとき、彼の婚約者は死んでいた。彼女の白い洋服は、赤く染まっていた。彼の身体から、すっと力が抜けた。手にしていた彼女へのプレゼントが床に落ちた。

 容疑者が特定されるまでに、それほど時間を要しなかった。彼がかつて逮捕した男が容疑者として連行された。

 しかし、容疑者は釈放された。証拠が無かったのだ。

 だから、彼はその男を殺した。その時の手の感覚を、滝沢は忘れられなかった。

 そして、滝沢は、彼に出会った。

 「あなたの仲間です」

 彼は、桑田と名乗り、そう言った。

 「その男は、私が殺す予定でした」

 「…………」

 滝沢は何も言わなかった。いや、言えなかった。

 「しかし、私の代わりにあなたが殺してくれた。感謝します」

 そう言って、桑田は滝沢の手をとり、血を拭った。

 「あなたに会ってもらいたい人がいます、滝沢さん?」

 桑田は笑いながら、言った。

 滝沢は

 (逃げられない……)

と思った。



 滝沢が、桑田に連れられ向かったのは、バーであった。客はいなかった。

 桑田は、バーのマスターに耳打ちした。そして、マスターは滝沢に声をかけた。

 「あなたが逮捕されることはありません」

 「なぜだ?」

 「私が貴方のアリバイを証言しましょう」

 「そんな簡単に警察をだませるとでも?」

 「そのくらい簡単ですよ。あなたと私は、何のつながりもない。誰も疑いやしない」

 マスターは、笑いながら答えた。

 その笑顔をすぐに消えた。

 「ただし、条件があります」

 「条件?」

 「これからも人を殺してください」

 有無を言わせぬ声だった。

 滝沢に拒否権は無かった。



 夜中に電話が鳴った。佐々村は、眠い目をこすりながら、電話に出た。

 「警部、事件です」

 その言葉で、意識がはっきりした。

 「分かった。すぐ行く。場所は?」

 場所をメモした佐々村は、直ぐに着替え、現場に向かった。

 現場に到着するまで、さほど時間はかからなかった。

 「で、被害者は?」

 佐々村は、先に現場に到着していた大滝刑事に聞く。

 「それが……、鑑識によれば、自殺かと……」

 「自殺?」

 「はい。ロープで首を吊っていたそうです」

 「本来なら、我々の出る幕じゃないな」

 「そうなんですが……、自殺したのが、三浦不動産の社長なんです」

 「三浦不動産?脱税疑惑のか?」

 以前、三浦不動産が巨額の脱税を行っているとの、噂があった。国税庁も調査したが、証拠がなく、有耶無耶に終わったようだ。

 「ええ。それともう一つ、遺体は、USBメモリを握っていたそうです」

 「USBメモリ?」

 「ええ。もしかしたら……」

 「ああ。もう少し調べる必要があるかもしれないな」

 佐々村は、少し考えてから、言った。

 


 「三浦不動産の社長は、自殺じゃないかもしれない?」

 佐々村の報告を受けた大島課長は、驚いたような声を出した。

 「ええ。今までと同じように、手にUSBメモリを握っていました」

 「それで?」

 「そのUSBメモリの中に、三浦不動産の脱税を証明するデータが入っていました」

 「なるほど。例の殺人犯か?」

 大島課長は、佐々村に揶揄するように言った。

 「私は、そう考えています」

 佐々村は、真剣に言った。

 「君の考えも理解できる。そりゃ、疑惑の目を向けられた人間が、自分の疑惑を証明するものを手に持って、自殺するなんて、どう考えてもおかしい」

 大島課長は言葉を続けた。

 「だけどね、佐々村君。現段階では、殺人を決定付ける証拠がない。それとも、君は何か重要な情報を掴んだのかね?」

 「いいえ」

 「殺人の証拠がなければ、殺人事件として、捜査できんよ」

 佐々村は、引き下がるしかなかった。



 その日、佐々村は、同期の滝沢を昼食に誘った。

滝沢とは、大学来の親友で、佐々村のライバルでもあった。現在は、佐々村と同じく、警部で、殺人事件などを捜査する捜査一課の係長を務めている。

佐々村は、自分の推測を滝沢に話した。

 「俺は課長と同意見だ」

 滝沢は、そう言って、ラーメンを啜った。

 「なぜ?」

 「確かに自殺者が、自分に不利な証拠、それも犯罪を証明するような証拠を、身につけたまま、自殺するのは変だ」

 佐々村は箸を置いた。

 「それで?」

 「だが、殺人だとしても、変だ」

 「変か?」

 「正義感のあふれた人間が、犯罪者を自殺に見せかけて殺している。それがお前の推理だろう?」

 「ああ」

 「しかし、人間がそう簡単に人を殺せるとは、俺には思えん。ネットで批判された政治家や芸能人が実際に殺された例はないだろう?」

 「今回の件と政治家や芸能人の例とは別じゃないか?」

 「一緒だよ。どちらも、実際に会った事がない、テレビや雑誌の中でだけ見る人間だ。被害者の共通点は、何らかの犯罪を行っている、という疑惑が向けられていただけだろう?」

 滝沢は、スープを一口飲んでから、言葉を続けた。

 「逆に言えば、それしか共通点がない。被害者全員と関わりを持っている人間がいれば、話が別だがな」

 「なるほど」

 「頻繁に接している、例えば、俺とお前のような関係とは違う」

 滝沢は、水を一口飲み、言葉を続けた。

 「人間が誰かを殺すのは、もの凄いエネルギーが必要だ。見ず知らずの人間を何人も殺すなんて、特にそうだ」

 佐々村には、それが滝沢自身の経験を語っているように聞こえた。

 


 佐々村が滝沢に自身の推理を話してから、1週間ほど経った。

 滝沢は、バーで飲んでいた。3年前、バーのマスターは、彼のアリバイを証言した男だ。

 滝沢は、その証言のおかげで、疑われずにすんだ。

 「滝沢さん、次の仕事が来ています」

 マスターが、滝沢にカクテルを渡すと同時に小声で言った。他の客には、その声は聞こえなかった。

 「分かった」

 バーが閉店した後も、マスターと滝沢は話し続けていた。

 「早いな」

 滝沢は、苦情の意も込めて、マスターに言った。前回の仕事から、1週間しか経っていない。

 「すいません。どうしても滝沢さんの力が必要なんです」

 マスターは、滝沢の苦情を介さずに、言った。

 「それで、相手は?」

 「島田商事の社長、島田浩二郎。ご存知ですか?」

 「知らんな」

 「普通の専門商社ですが、会社ぐるみで、金塊密輸を行っているようです」

 「証拠は?」

 「もちろん」

 マスターは、USBメモリを滝沢に渡した。

 「いつも通りにお願いします」

 滝沢は、何も言わずに頷いた。



 その日が来た。滝沢は、島田のマンションへと向かった。

 島田の部屋のチャイムを押した。

 「誰だ?」

 島田が警戒している。

 「電話の者です。例のデータを持ってきました」

 滝沢がそう答えると、ドアが開いた。

 「データは?」

 島田が彼を睨みつけながら、言った。

 「ここにあります」

 滝沢は、ポケットからUSBメモリを出した。

バーのマスターから受け取ったものである。

 「入ってくれ。約束の金は用意している」

 滝沢は、何も言わずに、部屋に入った。

 テーブルの上にアタッシュケースが置かれていた。

 「約束の金だ。1000万ある」

 島田が、アタッシュケースを開けた。札束が入っていた。

 「…………」

 滝沢は、何も言わずにUSBメモリを足元に落とした。

 「拾ってください」

 「分かった」

 島田が、USBメモリを拾おうと屈んだ。その瞬間に、滝沢は、桑田から教わった方法で、島田を気絶させた。

 そして、滝沢は、ロープをポケットから、取り出し、島田の首を絞めた。

 「終わった……」

 滝沢は、島田が首を吊ったように見せかけ、部屋を出た。そこには誰もいないはずだった。

 女性と鉢合わせた。

 (見られた……!!)

 殺さなければならない、咄嗟に滝沢は、そう思った。

 滝沢は、女性を島田の部屋に連れ込み、首を絞めた。

 彼女は、必死にもがいていた。助けを呼ぶかのように、誰かの名前を呼んでいた。

 (恋人か……?)

 そう思った瞬間、滝沢の頭に、3年前の情景が浮かんだ。彼の婚約者が殺された日。

女性の助けを呼ぶ声が、殺された彼女の声に重なった。

 その瞬間、すっと滝沢の腕から力が抜けた。

 女性が、どこかへ逃げて行った。

 滝沢は、呆然としたまま、その場を去った。



 部屋に戻ってからも、滝沢は、呆然としたままだった。頭が回らず、何も手を付けられなかった。

 部屋のチャイムが鳴った。

 誰が来たのか、滝沢は分かっていた。

 「……滝沢、お前に話がある」

 佐々村は、神妙な面持ちで言った。

 「入ってくれ」

 滝沢は、佐々村を部屋に入れた。

 「何か飲むか?」

 佐々村は、答えなかった。

 滝沢は、カップを二つ、棚から出し、インスタントコーヒーの粉を入れた。、

 「コーヒーはブラックだったな」

 「ああ」

 部屋を沈黙が包んだ。

 滝沢は、自分の飲むコーヒーにミルクと砂糖を入れようとした。

 「また事件が起きた」

 沈黙を破ったのは、佐々村だった。

 滝沢の手が止まった。佐々村は、そんな滝沢の心を探るように、凝視している。

 「それで?」

 あくまで平常通りに滝沢は振舞う。

 「今回は、間違いなく自殺なんかじゃない」

 「根拠は?」

 「被害者の部屋から出た不審な男を見た女性がいた。そして、その女性は、その男に殺されかけた」

 佐々村の声は、怒りに震えていた。

 「それで、その男は特定できたのか?」

 「女性の証言から、似顔絵が出来た」

 滝沢は、何も言わなかった。

 「見るか?」

 佐々村は、スーツの内ポケットから、似顔絵を取り出そうとした。

 「いや、その必要はない」

 「認めるんだな?」

 「俺が殺した。今までの事件全て、俺の仕業だ」

 「なぜだ?なぜ何人もの人間を殺した?」

 佐々村は、自分の感情を抑えながら、聞いた。

 「彼らは、罪を犯した。だから、俺が裁いた」

 「…………」

 「俺をどうする?」

 佐々村は、滝沢の顔をじっと見つめ、言った。

 「滝沢和馬、殺人容疑で緊急逮捕する」


 

 翌日、取調室で二人は向かい合っていた。

 「一度、お前とは、じっくり話したいと思っていた。3年前からな」

 佐々村が、滝沢の目をじっと見つめて言った。

 「よかったじゃないか。お前の願いが叶って」

 「ああ。最悪の形だがな」

 佐々村は、言葉を続けた。

 「お前に聞きたいことは、山ほどある。3年前、お前のアリバイを証言したバーのマスターの正体、どうやって殺した人間の犯罪の証拠を手に入れたのか」

 滝沢は、何も言わなかった。

 「では、まず第一に、3年前の事件について聞こう。お前の婚約者が殺された。容疑者があがったが、証拠不十分で釈放された」

 「…………」

 「その後、その事件の容疑者が殺された。殺ったのは、お前か?」

 「ああ、俺だ。俺が殺した」

 「では、その事件で、なぜバーのマスターは、嘘の証言をしたんだ?」

 「取引した、そのマスターとな」

 「取引?」

 「奴は俺に言った、これからもあの男のような人間を殺してください、とな」

 「……、今までの事件も、ソイツの差し金か?」

 「そうだ」

 佐々村は、取調べを部下に変わり、部屋を出た。

 大島課長がそこにいた。

 「本当かね?滝沢くんが、殺人を犯したなんて?」

 大島課長は、滝沢が殺人者だとは、到底信じられないようだった。

 「間違いありません。本人も認めています」

 佐々村は、感情を抑えて、答えた。

 「……そうか。残念だ」

 大島課長は、肩を落として、言った。


 

佐々村は、滝沢の取調べを部下に任せ、大滝刑事と山口刑事を例のバーに向かわせた。

 「その男が、一連の事件の黒幕である可能性が高い。見つけたら、殺人教唆の容疑で、緊急逮捕してくれ」

 「分かりました」

 二人の刑事が、同時に答えた。

 バーに向かった大滝刑事と山口刑事からの連絡が来たのは、直ぐだった。

 「自殺?」

 聞き間違いではないかと思い、佐々村は、電話越しに聞こえた言葉を繰り返した。

 「……、分かった、戻ってきてくれ。詳細は、後で聞く」

 戻ってきた大滝刑事と山口刑事の報告は、こうだった。

 自分たち二人が、バーに入ったら、マスターが首を吊っていた。慌てて、救急車を呼ぶも、間に合わなかった。そして、現場を検証した鑑識によれば、マスターが何者かに殺害された可能性は低い、という。

 しかし、問題が一つあった。マスターは、あるリストを握っていた。そのリストには、滝沢が殺した人間の名前が書かれていた。

 「どうなっている……?」

 報告を聞いた佐々村は、頭を抱えた。



 「お前に殺人を命令した男は、死んだ」

 「そうか」

 滝沢は、平然と答えた。佐々村には、滝沢が何も感じていないように、見えた。

 「三島聡という名前で、バーを営んでいたようだが、偽名だった。本名は、斉藤浩輔。そのことは、知っていたか?」

 「知らないな」

 「斉藤という男について、何か気づいたことは?」

 「ないな」

 滝沢は、即答した。

 「俺は、斉藤という男も、何者かに操られていた気がしてならない」

 「……なぜ?」

 「斉藤が、お前を操って、犯罪者を殺していった」

 「ああ」

 「だが、何のために?」

 「正義感が強かったんだろう」

 「お前は、俺の推測に対し、こう言った。人を殺すのには、もの凄いエネルギーがいる、見ず知らずの人間を何人も殺す場合は、特にそうだ、とな」

 「…………」

 「それは、殺人を命令する側にも、同じことがいえるんじゃないか?」

 滝沢は、何も言わなかった。

 しばらく取調室を沈黙が包んだ。

 「……それは、お前の推測だろう?」

 滝沢が、ようやく口を開いた。

 「ああ、今の段階ではな」

 今の段階、という部分を強調して、佐々村は答えた。

 「だが、この事件の俺の推測は、正しかった。自殺に見えたものが、実際は、殺人だった」

 佐々村は、滝沢の目を見つめ、言葉を続けた。

 「斉藤も同じだ。斉藤の手には、お前が殺した人間のリストを持っていた」

 佐々村は、一息ついて、言葉を続けた。

 「お前の証言が必要だ」

 「…………」

 滝沢は、佐々村から目を逸らし、沈黙した。

 「お前の知っていることを全て、話せ」

 滝沢は、何も答えなかった。

 ただ、時間が流れた。

 「警部……」

 取調室に入ってきた山口刑事が、佐々村に声をかけた。

 時間が来た。その日の取調べが終わる。

 佐々村は、滝沢をもう一度見つめた。

 「滝沢、最後に聞きたいことがある」

 滝沢は、答えなかった。佐々村は、それでも言葉を続けた。

 「なぜ目撃者の女性を殺さなかった?」

 「……声が聞こえた」

 滝沢は、弱々しげに答えた。佐々村にとって、初めて聞く声だった。

 「声が聞こえた……?」

 「首を絞めている時に、名前を呼んでいた。それが誰かは知らない」

 「それで?」

 「恋人かもしれない、と思った瞬間に、3年前のあの日を思い出した」

 「…………」

 「3年前、彼女は、誰かの助けを呼んでいたかもしれない。俺の名前を呼んでいたかもしれない、と思った瞬間、抜けた」

 「…………」

 「俺は、中途半端な人間だったんだ。刑事としても……」

 「言うな」

 佐々村は、滝沢の言葉を止めた。何を言いたいか、分かっていた。

 滝沢を見つめる佐々村の目は、昔と同じだった。

 「最後にお前に言いたいことがある」

 「何だ?」

 「お前に逮捕されて良かった」

 そう言って、滝沢は微笑んだ。

 その顔に後悔はなかった。


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