3話【言葉のちから】
日直だからと言う理由で早めに学校に来たアタシを見て職員室の先生方は驚いていた。
言葉にするなら(マジか)あるいは(青天の霹靂)といったところか。
担任が不可解な顔を隠すことも出来ないまま近づいて来た。
「涼、どうした?」
「日直です」
「ああ、そうかぁ」
「日誌をください」
「お、おうご苦労さん」
ハセ忠は、転校して来る前の町でもよく見かけたチンピラに似ている。
特に、必要以上に肩を振って歩くところが……。
寄居高等学校はガラの悪い生徒が多い。ハセ忠は、教師サイドの防波堤なのだろうか、とアタシは思っている。
美術室は麻雀室と言うプレートがかけられている。
麻雀、花札、uno。
小銭の音がジャラジャラしている。タバコの煙用に、と空気清浄機が置かれていたのには笑えた。
公認かよ……。
朝夕の校門前では、二人の警備員が仁王立ちして喧嘩防止に他校からの侵入を防いでいる。
渡り廊下を教室に向かって歩いていると手を振る奴が目についた。
アタシの相手が来たようだ。
スラリと高い背丈に負けた気がして気づかれないように爪先立ちをした。
「お涼ごめん、寝坊した」
「おはよう」
「おはよう、俺はベン、よろしくな」
楓の相棒でクラス委員の男子担当、榊原勉だ。つとむだからベンなのか、勉強が出来るからベンなのかは不明。
クラスの女子たちには二つの派閥があるらしい。
転校初日、咲ちゃん、と自分にちゃんをつける系女子が言った。
「お涼は海派、学派?」
「それは何?」
「夏生と港は海派、ベンと秀は学派」
どうやら、イケメン男子のファンクラブみたいなものに派閥と言う枠組みをしているようだ。
「咲ちゃんは?」
「ふふっ、聞いちゃう?」
「別にいいけど」
「あー、聞いて、学派なんだよねー」
「ふーん」
「えっ、話ふくらまないの?」
この話はこれで終わりだ。
アタシの親は転勤族だ。何度目の転校か、なんてある時を境に数えるのをやめた。
どの学校に行っても暗黙の了解、最初の儀式は二つ。
各学校の親分肌の人間に襲われる。小学校の時は口喧嘩や仲間外れと言う内面的なストレスを武器にアタシを倒そうとして来た。
その辺はまだ、図書室に答えがあった。
・何故、人は上に立ちたがるのか。
・威嚇するのは強いと認識された証。
転校生は見せ物パンダ。
テリトリーを荒らさないと認識させれば攻撃はしてこないことを学んだ。
だが、中学生になると口喧嘩のような頭脳戦と言う訳にはいかない。
そもそも、頭脳がお利口な人は、何もわからない新参者に攻撃などして来ない。
脳味噌が空っぽだから、五感をフル稼働して拳を唸らすのだ。
もう図書室では解決しないとわかったアタシは、毎朝、登校前に一時間走り一時間の筋トレをした。
中学生の入学祝いを親に聞かれて習いごとをねだった。
もちろん、親は水泳やダンス、勉強ならば塾だと思い承諾してしまった。
数日後、アタシが親に渡した申込書は、柳ボクシングジム……
約束は守るもの、と教えて来た側としては守る他ない。印を押す。
全ては、泣いて親にすがるのではなく、自分の力で乗り越えるためだ。
そんなこんなのアタシの青春時代からしたら咲ちゃんの言う派閥は一言。
しょうもない……。
その咲ちゃんの派閥のアイドルベンは帰りの日誌をつけながら溜め息をついていた。
「大丈夫?」
「あ、そうだ、お涼たのむ、お願い」
「何?」
「一緒に帰ろう」
ベンの一緒に帰ろうと言う誘いは、帰り道の用事が重要だった。
相棒の楓が休みで今日中に手渡して欲しい物があったが、女の子の家には行きづらい、と言う話しだった。
「お涼、ありがとうな」
「うん」
「結屋でおごるよ」
「金で解決すんな」
「ああ、ごめん」
日本人の悪い癖だ。
お礼の品が登場する。
困っている人を助けられる余裕のある人が助ける。
そこには、何の意図も策略も存在しない。あるのは当たり前の行為とありがとうの言葉だけなのに。
外国人がテレビで言っていた。
日本人は悪いことをしていないのに謝まるし、空いている手を貸しただけで見返り品を渡して来る。ありがとうの言葉の価値を軽んじている、と。
言葉の価値。
確かに、ありがとうと言われるとき嬉しい気持ちがくすぐったくなる。
何かを貰った時点で、かえって悪いなぁ、と恐縮してしまい本来、味わう嬉しいくすぐったい気持ちは消える。
言葉って大事なのに……。
商店街のアーケードに入るとベンが言った。
「あっ、サクラだ」
サクラがぼんやりと書店の前に立っていた。
「ああ、駄目だ」
ベンは走ってサクラに近づく。
「離せ、サクラ……」
「あっ、ベン、アタシ」
「大丈夫、俺に渡して」
ベンはサクラがスカートのポケットに入れている手を出させた。
そして、自分の手をポケットの中に入れた。
普通ならボコられるシュチュエーションだがサクラは静かに震えていた。
ベンは、ポケットからペンを二本取り出して棚に戻す。
「こらっ、何してる」
「ペンが落ちていたので」
ベンは涼しい顔で店の人を誤魔化してその場を立ち去る。
サクラは弁解を始めた。
「お婆ちゃんがアタシを忘れた」
「サクラも辛いよなっ」
ベンはサクラをなだめたあと、独り言のように、静かな口止めをした。
「母親代わりのお婆さんなんだ」
「で?」
「いま、見たことを忘れてくれ」
クラス委員らしいまとめ方だ。
だが、何の解決にもなっていない。
アタシはサクラに言った。
「辛いな」
「お涼……」
「忘れる方が」
「えっ?」
「最後に、何を願ったのかなぁ」
サクラはその場で泣き崩れた。
(あなたはどなた?)これだけはサクラに言わないで済みますように……
そんなこと願ってたんじゃないか。
何故なら今のサクラを容易に想像出来たから。
アタシはそんな気がするよ。
サクラはベンが買って来たミルクティを飲みながら話せるほどには落ち着いたようだ。
(サクラと一緒に笑ってね)
そうアタシの幼なじみたちに手紙を渡したの。
(生まれてくれてありがとう)
アタシにはそう伝えてくれたの。
「願いを叶えてあげなよ」
「お涼」
「みんなとずっーと笑ってなよ」
「お涼もみんなの一人だからね」
ほんの少し肩の力を抜いて前を向けば笑えるほど小さな悩みだったと言うこともある。
無くしたものを数えたところで出る
のは溜め息、後悔、負の連鎖。
今、あるものを数えたら、気づかないところに掘り出し物が……。
言葉には目には見えない力がある。人を傷つける武器になることもある。
人を救うための薬になることもある。
だから怖い、だから有難い……。
ベンは暗くなったからサクラを家まで送ると言い、アタシには……
「お涼、今日はありがとうなっ」
と、手を振って笑った。
結屋に行ってコーヒーを注文する。
それを飲みながらテラスで本を読んでいると邪魔が入る。
「お涼.、ありがとうな」
「お前は保護者かっ」
「まだ、何も言ってねーしっ」
夏生が礼を言ったのは、幼なじみのサクラのことだろう。
「なんでわかった?」
「他にアタシに用がないだろ」
「いや、なんの本かなーとかさっ」
「漫画じゃない」
「チェッ」
この町の商店街にはある意味、一派があると言っても過言ではない。
寄居商店街だけでも、幼なじみが十人以上存在する。
その団結力は凄まじい。
「幼なじみって言うより家族だね」
「ああ、そうかもなっ」
「いいね」
サッサッサ、とサンダルの音か近づいて来る。
ハセ忠、見回りの時間らしい。
「寄り道してんじゃねーぞ」
「読書中ですが、何か?」
「お涼、家でやれ」
「先生、家です」
書店が今の住まいだと聞いて夏生が驚く。
「はぁぁぁ?」
みんなが寄り道する結屋と言う茶屋は、隣の書店と低い塀を境に区切られている。
アタシの父親の実家がこの書店だ。
書店の文太さんはアタシの叔父さん。
アタシは本の匂いが大好き……。
本はいろんな言葉の詰まった宝箱。