2話【友だち】
「ご飯よ、夏生」
姉ちゃんは朝から母ちゃんみたいな忙しい時間をこなし大学に通う。
「夏生、ご飯だってばぁ」
「いただきます」
麦婆と姉ちゃんは俺を大事に育ててくれた。
二人がいたから俺は、母ちゃんのいない寂しさを忘れ、父ちゃんの不出来にも無関心で生きられる。
「聞いてよ、昨日ね、感動したの」
「プロポーズでもされた?」
「もう」
姉ちゃんはふぅと呆れ顔をする。
麦婆が姉ちゃんに代わって話をしようと試みる。
「夏生は感動を知ってるのかい?」
「親と縁を切んだろっ」
「アホが……」
ププッ、と姉ちゃんが笑うと隣で麦婆も笑う。
俺の返事なんかなくても姉ちゃんは続きを語り始める。
朝飯をかき込んでいる俺の許可もなく勝手に脳内に入り記憶された話。
「で? その人はどうしたんだ」
「素早く去って行ったの」
「今どき、いるんだね、あっぱれだ」
「うん、カッコいい人だったわ」
姉ちゃんは昨日、商店街の入り口で自転車に乗った学生にバッグをとられるお婆さんを見かけたらしい。
ヨタヨタッと倒れかけたお婆さんをサッと抱えて立ち上がらせる人がいた。
その人は、いきなり走り出し道路を横切って自転車の先回りをしたと言う。
近くにあったゴミ箱を投げつけて、自転車ごと倒し学生を捕まえた。
姉ちゃんは、商店街のベンチに腰掛けていた気分屋と言うめし屋の要さんに頼んで警察をよんだ。
お巡りさんが来るとその人は右手を上げたと言う。
お巡りさんもつられて右手を上げてハイタッチ。
その人はそのまま姿を消した……
「もう一度だけでも会いたいなぁ」
姉ちゃんはそう言ってブラブラとキーホルダーを揺らした。
「何それ」
「その人が落としていったのよ」
会ってみたい、と思った。
テレビドラマや映画じゃあるまいし、姉ちゃんが大袈裟なんだと思っても、やっぱ、会ってみたい気がする。
学校は相変わらず何もかわらない、と思ったのは、一瞬だった。
涼がいた。
窓際の席から外を見ているだけで写真みたいな奴だ。
「火傷するよーん」
「はぁ?」
教室の入り口に立っていた俺の背後から茶美がそう言った。
「お涼はやめときなよ」
「意味わかんねーしっ」
昨日の約束がある以上、俺は授業をサボれない。
足がリズムを刻む。
イライラ、イライラ、貧乏ゆすり。
と、そのときひらめいた。
「涼、リベンジ、勝負しようぜ」
「麻雀以外なら」
「な、何で麻雀じゃダメなんだよ」
「勝てる勝負はズルイっしょ」
何だかムカついた。
たった一回麻雀しただけで、俺の実力がわかるはずがない。
サクラが話に口を挟む。幼なじみだけあって俺の得意を承知している。
「体育、マラソンだからそれは?」
中学まで毎年、マラソン大会一位を誰にも譲ったことはない。
(サクラ、ナイスだっ)
「おう、俺はマラソンでいいぞ」
「アタシも、いいけど……」
「勝者の願いを叶える、だからなっ」
自信満々の涼が、(けど……)と不安そうな顔をした。これはイケる。
昼飯前の体育にやる気満々で靴を履き替えていると、楓の声がした。
「お涼、何で、勝負受けたの?」
「昨日は受けて貰ったから」
「麻雀ならお涼が勝つの?」
「うん、マラソンも」
(なんだとオイ、ざけんじゃねーぞ)
ヒート全開やばいほど熱くなった。
俺は、人に馬鹿にされたことがない。
体育の時間に……
夏生と春日が、いや、涼って呼ばれてるんだよな、とハセ忠は言いかえて笑う。
ハセ忠が笑うことさえムカついた。
俺は、涼には負けない。
夏生と涼の勝負は男女の体力の差もあるから……
ハセ忠の言う通り、男女は走る距離が違う。多少のリスクは仕方ない。
涼が言った。
「ハセ忠、ハンデは夏生に」
「はぁぁぁ?」
「アタシ、中学は毎年、一位だから」
「お、俺だって一位だから」
「このまま一位でいたらいいのに」
「お、おいハセ忠、早く始めろよ」
話すことはない。本人がいらねぇと言ってるんだハンデもクソもねぇ。
ピストルの音と同時に猛ダッシュした涼は、俺のペースを乱す作戦だ。
その手に乗るような俺なら毎年、一位にはなれない。
自分のペース配分を守りつつ腕時計に目をやる。
俺の位置から涼の姿は見えない。
だからといって焦らない。
折り返し地点を回ろうとしたとき、自転車を走らせた茶美が、何かを言っていた。
「マジ、涼はイカれてる」
「ま、まさかもう……」
「スタートした速度でゴールした」
「あ、マ、マジか」
「で、倒れて保健室」
俺は茶美と自転車で学校に向かう。保健室の先生は大丈夫だと言ったが廊下で待った。
「目が覚めたわよ」
先生さんに言われて保健室に入ると寝起き顔した涼が片手を上げた。
「茶美、ヤッホー」
「ヤッホー」
「夏生、ヤッホー」
「ヤ、ヤッホー……」
ヤッホーの意味がわからない。
教室に戻るとハセ忠が涼を心配していた。
「ハセ忠、アイツ何者?」
「愚か者だ」
冗談を言っているようには思えなかった。愚か者と言う言葉があまりにも涼には不似合いな気がした。
保健室から戻った涼は少し元気がない。
「涼、体調が悪いのか?」
「大丈夫」
俺は約束通り授業には出ているが、マラソンで負けたからには、またもや
涼の願いを叶えなきゃならない。
「話は後でなっ……」
毎日寄って帰るみんなのたまり場、結屋と言う茶屋で聞くことにした。
帰りのホームルームが終わりハセ忠が職員室に戻るのと入れ替えに悲鳴が鳴り響いた。
「キャーッ」
「オイ、涼、出てこいよ」
(ドドドーッ、バン)
「オイ、テメェーが涼か?」
「ち、ちがいます」
「アーン? 聞こえねーなぁ」
咲がビビって涼の席を指す。
三年のカオリ先輩とアーちゃん先輩は寄居高等学校初のパンチパーマ女子だ。
「涼ちゃんよー、早よ出て来んかい」
サクラがハセ忠を呼びに走った。
「涼よ、何か言うことあんだろうが」
「ない」
「調子こいてんじゃねーぞ、コラァ」
(バシッ、ガガン、ボンボンバシッ)
涼はボコボコに殴られている。
無抵抗に指一本動かそうともしない。
昨日の多田先輩と素手でやり合った人間と同一人物とは思えない。
「辞めて、涼が死んじゃう」
「カマ野郎が、退け、頭カチ割るぞ」
茶美が涼を庇うように抱きついて代わりに殴られていた。
「あ、イ、イタッ、やめてください」
「カマ野郎はママんとこ帰んな……」
先輩たちは茶美に標的を変えようとしていた。
「は、離せ、その手を離せコラァ」
( ギギギィー)
涼は椅子を引きずりながら近づいてサッと頭上まで持ち上げると、カオリ先輩に投げつけた。
馬乗りになって力任せに左の拳を連打する。
「オイ、離せ、茶美から離れろっ」
アーちゃん先輩は、成す術もなく髪の毛を鷲掴みにされ廊下中を引きずり回された。
カオリ先輩はアーちゃん先輩を離すよう涼に頼む。
「わかったから、やめてくれ頼む」
涼は聞く耳を持たない。
アーちゃん先輩は痛い痛いと悲鳴を上げているが、カオリ先輩はビビって動けなくなっていた。
「やめて、やめてください」
泣き叫んでいるアーちゃん先輩に、涼は耳打ちをする。
「お前は、や・め・た・の・か?」
不敵な笑みを浮かべた涼はイカれていた。
女の喧嘩に男が口を出さないことは暗黙の了解だ。
俺も気持ちが荒れていたが、ベランダからそのようすを見ている奥寺先輩と多田先輩も見るに耐えないと言う顔をしていた。
廊下で腕組みをしてハセ忠が見ていた。
止める気はなさそうだ。
( や、や、やめて……おねが )
「アーン? 聞こえねーなぁ」
涼は先輩たちの台詞を真似て挑発する。
「ご、ごめんなさい」
「なんだぁ? ママを呼ぶか?」
カオリ先輩は涼の前に膝をついて拝むように手をすり合わせた。
「二度とこのクラスに手を出すな」
「は、はい」
「チャンスは二度ないからなっ」
サクラや楓が茶美を保健室に連れて行く。
涼はハセ忠に近づいて言った。
「罰は甘んじて……」
「友情に罰なんかあるか」
ハセ忠は見ていた。
涼は先輩たちに売られた喧嘩を無視していた。指一本動かさずに黙って殴られていた。
茶美がやられるまでは……
「先生、さようなら」
「涼、気をつけて帰れよ」
俺は涼の後を歩いた。
「夏生、勝者の願いだけど」
「ああ、叶えてやるよ」
「大事な物なくしちゃって」
涼はパスケースに入っていた写真を見せた。
小さな子どもと女の人が写っていた。その子どもがランドセルに付けているものを探して欲しいと言った。
「ふっ、なるほどね」
「無理かな?」
涼、犯人はお前か。
朝飯のとき、話に出て来たヒーロー。
「夏生、探してくれるの?」
「ああ、ついて来いよ」
姉ちゃん、ヒーローは友だち思いのイカれた奴だった。
ヒーローの合言葉を教えてやる。
(ヤッホー)だ。