8話 エゴサーチ! 承認!
なんやかんや(修正した原稿の受理、改稿指示、イラストレーターの選定および決定、イラスト化するシーンの決定、ラフイラストが上がり、カラーイラストおよび完成イラストがあがり、タイトルロゴなどの決定があり、著者校正をして、その他もろもろ)あって、彼の原稿は出版される運びとなった。
原稿を仕上げた作家には二種類いる。
『これ以上ない最高の仕事をした』という光属性の作家と――
いつまでも『まだ直せるところが思いついてしまう』と考える闇属性の作家だ。
彼は光と闇をいったりきたりしている。
おそらく、多くの作家が光と闇を兼ね備えていることだろう。
不安と期待の入り交じる発売日が近付いてくる。
冒険小説の命運が決まるのは、発売後おおよそ一週間ほどとされている。
この期間内の売り上げで続刊が出るかどうかが決まるのだ。
まれに発売前重版という『ちょっとどうしてそうなるのかわからないですね』みたいな事態も起こるようだが、それはファンタジーなので彼には関係がない。
彼は、現実を生きている、冒険小説作家なのだ。
そうして迎えた発売日――
彼は多機能魔導板を目の前に、椅子に縛りつけられていた。
ただ縛りつけられているわけではない。
物理、精神両面から幾重にも封印されている。
なぜ、こんなことになったのか?
それは――
「……見たいッ……! 読者の反応を、見たい……!」
エゴサーチ防止のためであった。
彼は難儀な生き物だ。
自分の本が発売すると、『どうせひどいことしか言われていないに違いない』という気持ちと、『賞賛されているかもしれない』という気持ちがせめぎ合い、精神の錯乱が起こるのだ。
『エゴサーチは傷つくからしない』――幾度そう誓い、幾度その誓いを破ってきたことだろう。
そうして心に消えない傷が残る。
傷の隙間からは血液の代わりに闇が漏れ出し、彼は読者を、編集者を、出版社を――世界を憎悪しかけたこともあった。
ゆえに、今回は己に封印をほどこすことで、エゴサーチしないようにしているのだ。
彼は『エゴサーチは重版が決まってから』と誓っていた。
『売れている』という安心感さえあれば、多少ひどいことを言われても『ひどいこと言ってるやつは見る目ないんだな』と自己防衛ができるからだ。
「アンナッ! アンナッ!」
彼は椅子に縛りつけられたまま、もがき、叫んだ。
彼の背後で、涼やかな美女が応じる。
「なんでしょうか、ご主人様」
「私の本の評判を……私の代わりに……!」
「ご立派です、ご主人様。さすがは『至高の賢者』と呼ばれしお方でございます。『私は絶対にエゴサーチしたくなる。お前に代わりにやってくれと依頼もするだろう。だから、断固として私の言うことを聞くな』とあらかじめ命じられた先見の明には、感服するより他にございません」
「……ぬうう……! い、いやッ! エゴサーチをしてほしいんじゃない! 私は……そう、実は私は、エゴサーチがしたいわけではないのだ!」
「ここでご主人様が本当に求むる答えを当意即妙に発することができたのならば、どれほどの快感なのでしょう。無能なる機械人形のわたくしといたしましては、己の抱いた答えにはなはだ自信がなく、ご主人様の御言葉を待つより他にございません」
「ちなみにお前が『抱いた答え』とはなんなのだ?」
「『エゴサーチはいいから私を褒めている反応だけ拾って教えてくれ』」
「…………」
「わたくしは機械人形でございますれば、『至高の賢者』と呼ばれしご主人様のお考えなどわかりようはずもございません。まして、『それはもうエゴサーチよりもエゴにまみれたエゴエゴサーチだよ』みたいな『褒め言葉だけピックアップして教えて』という、そんな命令がまさかご主人様の――賢き、完璧なる、すべてを知る、ご主人様の口から、出てくるはずがございません。どうぞ、わたくしの想像力のなさをお許しください」
「……ん、あ、その……いや……ん。ん、んんー。……お茶でも淹れてもらおうかな!」
「かしこまりました」
アンナが退出する。
椅子に鎖やら呪符やらタリスマンやらでギチギチに拘束された彼は、多機能魔導板をにらみつけた。
しかし彼の多機能魔導板は視線の動きに反応するタイプではなく、スクリーンセイバーが虚しく映し出されるだけだ。
「……いい、いい。評判など気にならん。私は……今回は、売れ線にかなり沿ったものを書いた……編集さんも『これなら売れそうですよ』と言ってくれた……うむ。重版だな。重版の報せをもって、エゴサーチとすればいい。そうだ、簡単なことじゃあないか」
男性は誰もいない部屋でつぶやき、なんでもないように笑った。
そういうことで納得しようとしたのだ。
しかし――
『……い……おい……おい……!』
何者かの声が、突如として響き渡る。
男性は拘束されつつも首をめぐらせ、周囲を確認した。
書物にまみれた書斎には、現在、メイドのアンナはいない。
男性一人だけだ。
だから、男性以外の声など聞こえるはずがないのに――
『おい! ケンジヤ!』
その声は時が経つにつれ、ますますハッキリした存在感を伴いながら、脳内でエコーするように聞こえ続ける。
「お、お前は誰だ!? どこから話しかけている!?」
『誰だ? どこからだ? ……おいおい、勘弁してくれよ。長い付き合いじゃねぇか。俺のこと、忘れちまったのかい?』
「わ、私はお前なんか知らない!」
『いいや! 知らないはずはねぇ……なにせ俺は――お前の「承認欲求」だからなぁ!』
最近の承認欲求は話しかけてくるようだった。
承認欲求――それは、『他人に褒められたいと思う気持ち』だ。
評価されたい。賞賛を浴びたい――そういう、人ならば誰しも心に持つ、欲求である。
『クケケッ! さっきから黙って聞いてりゃあ、なにをいい子ちゃんぶってるんだぁ? 自分を縛りつけてみたり、重版の報せをもってエゴサーチとするとかよぉ……!』
「い、いい子ちゃんぶってなどいない! 私は、私は……エゴサーチなどしないぞ! どうせひどいことを言われているに決まっているんだ!」
『だが、褒められているかもしれない』
「それはっ……」
『いいんだ、いいんだ。俺にはぜーんぶ、わかってる……お前はこう思っているはずさ。「今回はかなり売れ線に寄せた。これは読者から評価されていて然るべきだ。なにせ、あんなに心を殺し、苦労を重ねて、売れるようがんばったんだから」ってなあ!』
「う、ぐう……!?」
『がんばったら、報いがあるのは、当然だよなあ? いや、「なきゃおかしい」って、お前は思っているはずさ』
「どうして私の気持ちを断言できる!?」
『俺はお前だからさ! お前の一部――いや、お前の根幹を成す、お前の半分だ!』
「……!?」
『しちまえよ、エゴサ』
「し、しかし……しかし……! そ、そうだ! 私は知っているぞ! 売れ線に寄せたものほど、世間からの評価は厳しい……! 安易な萌えとか言われて、作者の人格にまで言及した罵詈雑言が並んでいるに違いない!」
『へたっぴ』
「なにがだ!?」
『自分を騙すのが、下手っぴさあ。……お前は、売れ線に寄せた部分がどんなに罵倒されても、痛くもかゆくもねぇだろう?』
「!?」
『いいんだよな、そこは別に。だって――そこは「書かされた」ところなんだから! お前が望んで書いた部分じゃないんだからな!』
「い、いや、それは……!」
『お前が知りたいのは、お前の魂への評価! こだわった部分! オリジナリティ! つまり――くどいまでのメイド解説の部分への評価! そうだろう!?』
「ヒギィ!?」
男性は雷に打たれたように全身をビクンと跳ねさせた。
承認欲求は続ける。
『自信あるんだもんなあ? メイドというオリジナリティ……お前がようやく発見した、お前の魂の姿……そこを世間がどう言っているか、気になって気になってたまらねぇはずだ!』
「アヒィ!?」
『しちまえよ、エゴサ。自信、あるんだろ? 大丈夫だって、安心しろよ』
「だが……! だが……! どうせ、傷つくことになる! わかっているんだ! 世間は私が思うより、私に厳しいのだと!」
『そうかい? まあ、口じゃあなんとでも言える。体は正直みたいだがな』
「どういう、意味だ……?」
『――対エゴサ封印、解けかけてるぜ』
男性は己の体を見下ろした。
すると、男性を椅子に縛りつけていた鎖や縄や呪符やタリスマンが、黒い煙を噴きながら自壊していく様子が見えた。
そう――この封印をほどこしたのは、男性自身。
その気になれば、解くのはさほど難しくはないのだ。
『ギャハハハハハ! ほぅら! 心が叫んでるぜ! 「エゴサしたい! 都合のいい褒め言葉だけ見たい!」ってなあ!』
「くっ……それでも……それでも私は、エゴサをしない!」
『傷つくのを恐れてか!?』
「もちろんそれもあるが……他にも理由がある……」
『嘘をつくな! 理由なんかない! 俺はお前だ! 自分自身に嘘が通じるわけねぇだろ!』
「……くっ」
『それにさ、考えてみろって。今回は売れ線に寄せた……つまり、自分の中に「答え」がないことをやってるんだ。売れ線に寄せてみて、本当に寄ったかは、売れてるかどうかでしか判断できない……つまり、読者の反応を見てみるしか、ないんだ』
「……」
『仕事だよ、しーごーと。エゴサーチは職務の範疇さ。仕事、しなよ』
「それでも……それでも私は……!」
男性はもがく。
封印はどんどん解けていく。
「私は屈しない……! 承認欲求の声になんか、屈しないぞ……!」
男性は抵抗を続ける。
その様子を、帰ってきた侍従用自律型機械人形が見守っているのだと気付くまで、あと十分ほどかかるのだった――