5話 エロとスケベと訴求力
「ぬぅぅぅぅぅぅ…………はぁぁぁぁぁぁぁぁ…………!」
男性がわなわなと震えている。
ボサボサの長髪をまとめた頭部はパイナップルのようになっていた。
血走った目はギョロリと開かれ、見るものすべてを殺意の対象としているかのようである。
鶏ガラでももう少し肉がある、という細すぎる体を包むのはゆったりした部屋着で、それは定期的に洗濯され清潔なはずなのに、この男性が着ているだけで妙に汚らしく見えた。
彼が見つめているのは多機能魔導板だ。
そこに書かれている魔導郵便の文字列を、『この世界にこれほどまで醜悪なものが存在したのか』という、おどろきと憎悪と絶望がにじんだ顔で見ていた。
「ご主人様、おやつにエクレアをお持ちしました」
男性の部屋に現れたのは、美女であった。
彼女がいるだけで、書籍と本棚の中にテーブルと椅子がうずもれているだけの殺風景な部屋が、一気に華やぐ。
この見目麗しい女性は、侍従用自律型機械人形のアンナであった。
「アンナ……私は人を信じていた」
「さすがですご主人様。あなた様の悩みはいつでも深淵をうかがわせます。この世を平穏であると疑いもせぬ愚かなる機械人形には、あなた様ののぞき見る暗い場所がどこにあるのかすら想像もつきません」
「人は……人は、どうしてこうも、醜悪になれる? ……信じられない。我らが命を懸けて守り抜いた人類というのは、どうして、これほどまでに、堕落をッ……!」
「心の目の曇った機械人形では、あなた様を悩ます人心の暗闇を、その端っこさえ認識することかないません。どうか蒙の閉じた愚かなるわたくしにも理解が及ぶよう、賢き御言葉をいただけませんでしょうか?」
「エロシーンをねじこめと言われたのだ!」
男性はテーブルを拳で叩く。
年代物のテーブルは硬く、叩いた男性の拳の方が痛んだ。
だが、かまわず男性は続ける。
「私は冒険譚を描こうとしていた……! 男三人で行った、『世界を滅ぼすモノ』との戦いの記録だ……! それは、たしかに、美少女にしたさ! ライオネルをツンデレ美少女に! オーギュストをゆるふわお姉さん系聖女に! 二人とも主人公のことを大好きな美少女にした! だがッ……だが! 脈絡もないラッキースケベを入れろという指示には、さすがに従えないッ……!」
「ご主人様の苦悩は崇高に過ぎて、わたくしでは片鱗さえつかめません。そもそも『そういったシーン』のためにお二人を美少女にせよ、と担当編集様は述べたのではないかと、愚かなるわたくしは短絡的に推測をしてしまっていたのですが、賢者たるご主人様にはまた違った予想があったようで、このアンナ、考えのいたらなさにただただ恥じ入るばかりです」
「それは……それはそうなのだろうが……! だが、エロシーンのなにが楽しい!?」
「わたくしの人格は女性寄りでございますれば、男性向けのエロシーンの楽しさについて、感性面からの意見を述べることははなはだ難しくございます。しかし『かわいい女の子』の『エロいシーン』に一定の需要があり続けていることは、わたくしのサブカルデーターベースを参照したならば、自明でございます。そこからさらに大きな真実を汲み取ることは、わたくしの演算機能ではとうてい適いませんので、ご主人様の優れた頭脳にお任せするより他にございません」
「エロは……エロはたしかに、需要がある……! しかし、『偶然パンツが見えました!』とか『偶然おっぱい揉みました!』とか、文章でやって、なにが楽しい……!?」
「プロの冒険小説には挿絵もつきますので、絵的な効果を見込んだものではないかという、簡単な発想しかできません」
「それは、そうだが……! 仮に編集者の『こんなエロシーンをねじこめ』をすべて聞いていて、それがすべて絵になるとしたら、挿絵十枚のうち七枚はエロ挿絵になってしまう!」
「それのなにがいけないのか、わたくしの機能では予想ができないようです。どうぞ、あまねくすべてを照らす叡智を持ちしご主人様、この哀れなる機械人形に知性によるお慈悲をいただけませんでしょうか?」
「もっと絵にしてほしい熱いシーンがたくさんあるんだよ! エロよりも!」
男性はテーブルを叩きながら立ち上がった。
ワナワナと肩を震わせて、低い声で続ける。
「最初はいがみ合っていた私とライオネルとの出会いとか! 神殿で祈ればすべてが解決すると思いこんでいたオーギュストを、強引に冒険に連れ出すシーンとか! 三人で初めて力を合わせて強敵に立ち向かうシーンとか! そういうのが!」
「挿絵すべてが十枚としまして、エロシーンが七枚と勘定いたしますと、今述べられた三つのシーンを挿絵にすれば、ちょうど十枚となります。わたくしの計算機能に異常がございましたら、どうぞ修復をお願いいたします」
「ほ、他にもあるんだよ! まあ、その、なんだ……絵にはしにくいかもしれないが! 熱いシーンはたくさんあるんだ!」
「ご主人様の見える景色はすべてが整然とし、あなた様の優れた知能をもってすれば世のすべては簡単にすぎて、いちいち解説をするまでもないのかもしれません。しかしあなた様ほどの知能のない多くの人々は、『説明はできないし絵にもしにくいが、絵にすべきシーンもある』と言われても、首をかしげるより他にございません」
「それはッ……! それはそうなのだが……!」
「世のすべてはご主人様より愚かなものと思われますので、読者、編集者、イラストレーターも当然ながらご主人様にわかっていることがわからないものと思われます。真なる知性をお持ちのご主人様におかれましては、我ら無知蒙昧の徒の知能に合わせていただき、我らにもわかりやすくシーンを構成していただけますと、いっそう、あなた様の素晴らしさが世に広く伝導するのではないかと具申いたします」
「だがそれは、崇高ではない!」
男性の体から黒いオーラが漏れ始める。
世界が震動し、閉めきった部屋には風が吹いた。
アンナはスカートを片手でおさえ、片手のエクレア&ティーセットのバランスを維持しながら、
「わたくしに搭載された情報を総括した結果、おおよその人類は『崇高』ではないように見受けられます」
「そうだ! 与えられるものをただ受け取り! 与えられたものがどのように生み出されているのか、そこにある苦労に目を向けない! 私は……私はそういう、無責任な愚衆に英雄と祭り上げられるのを厭うて、あの時代に生残ることをやめた……! 未来に希望をたくしたのだ! だがッ! 民は善きものになってはいなかった! それどころか、どんどん愚かに、傲慢になるばかりッ……!」
「ご主人様の憤りに共感できない我が身を口惜しく思います。あなた様の抱かれている怒りの具体的な矛先がわかれば、この愚かなる機械人形も次にどう行動すればいいかを判断することが可能と思われます。どうか、あなた様の怒りの矛先を、源を、具体的な御言葉によって示してはいただけませんでしょうか?」
「エロがなくてもッ! 読めッ……!」
ぶぉん、とひときわ強い風が、男性の体から巻き起こった。
「エロ! 派手なタイトル! アオリ文! ……そんなもので……そんなもので、物語を判断するのは間違っている……! 物語の真の良さは、そんな上っ面で判断するものじゃない! もっと、中身を見るべきだッ!」
「素晴らしいお考えです。わたくしに涙を流す機能がございますれば、感涙にむせぶあまり、視覚機能に異常をきたしていたことでしょう。それで蒙昧なるわたくしになにとぞご教授いただきたいのですが、ご主人様の描かれる物語の『中身』はどちらにございますでしょうか?」
「………………」
「わたくしの判断能力では、ご主人様の物語から『中身』『コンセプト』『この物語を読む特別な理由』をまったく発見することが適いませんでした。中身にこだわられるご主人様におかれましては、もちろん、己の物語の面白さを短く、そして鮮烈に語ることができるものと思われますが、どうぞこの機械人形にその紹介をしていただけませんでしょうか?」
「……………………いや、その、なんだ。……ひ、一言で表せないから、小説は十万文字が必要なのだよ」
「なるほど至言です。しかし愚考いたしますところ、世の人々は暮らしに追われ、十万文字をいちいち査読しているほどの時間的余裕がないものと思われます。なので『その十万文字を読むほどの労力を費やす価値があるか?』という判断のため、タイトルやアオリ文などを参考にするのではないかと、独創的な考えのできない愚かなる機械人形の身といたしましては、想像する次第でございます」
「……うむ」
「また、人類はエロいものでございますれば、エロというのは訴求力として強いものと思われますので、編集者の指示にも一定の納得できる要素はございます」
「うむ……だ、だがッ! 脈絡もなくエロシーンをねじこめという指示は、それでも、間違っているッ!」
「脈絡を作るのが作家の腕の見せ所では?」
「…………」
「また、エロに頼らぬ訴求力ある『なにか』があるならば、いかに愚かであり崇高でない編集者といえども、『無理にエロをねじこめ』という指示はしてこないのではないか、とわたくしは考えます」
「……」
「どちらもないから短絡的に『エロ入れといて』という指示が来たのではないかと、わたくしの思考力ではそのように推測するのが限度でございます。機械人形ごときがさしでがましいことを申し上げました。お怒りとあらば、いかような罰も受ける覚悟でございます」
男性から噴き出していた黒いオーラが、みるみるうちに減衰していく。
「……いや。うん……しかし、エロ……エロか……女体化したかつての仲間との、エロ……」
「……」
「たしかに、私の物語には『芯』がなかった……かつての仲間との旅路を、ただ、漫然と、物語化しただけだ……だがね、アンナ、これだけはわかってほしい」
「傾聴いたします」
「『エロを入れるのにふさわしくないが、エロを入れろと言われることもある』――人は、ロジックだけでは発言しないのだ。見るものにはバイアスがかかり、そして、『面白さ』なんていうものは、不安定なものなのだよ。……ある出版社で評価されなかったものが、別な出版社では評価され、おおいに売れる……こういうことも、現実として、起こり得るのだ」
「では、ご主人様、今の編集者に不満があるのでしたら、『別な出版社』に行かれては?」
「……いやッ……! し、しかしだね! この業界には『三年縛り』というものがッ……! 私はまだ出版してから一年と経っていない新人だ! 三年経たねば営業は許されない……!」
「契約書にはそのような内容などなかったものと記録しておりますが」
「たしかに契約書にはないが、なんというのかな……暗黙のルールとしてだね……」
「さすがご主人様です。わたくしにはその暗黙のルールを破ることのデメリットがまったく見つからず、なぜそうも暗黙のルールとやらに盲従するのか、そのことによりなにを得るのかが検討もつきません。知性なき機械人形の限界でございます。申し訳ございません」
「…………」
男性は無言のまま、席に戻った。
そうして「営業……営業か……」とつぶやき、頭を抱えるのだった。




