4話 賢者、物語冒頭を仕上げる
「ガッ……ガガガ……ガガッ……」
美女が壊れている。
なめらかな白磁色の肌に、均整のとれた八頭身のプロポーションを、オールドスタイルのメイド服につつんだ美女だ。
銀色の髪を持つその女性の美貌は、人とよく似てはいるが、明らかに人を超えている。
そのあまりの美しさに、見る者は感動、あるいは恐怖を覚えることであろう。
美女は侍従用自律型機械人形であった。
さる者――五〇〇年前にあったとされる『世界を滅ぼすモノ』との戦いで、『至高の賢者』と呼ばれし者が作製した、家事用の機械人形であった。
メイドなので戦闘もできるが(メイドならば戦闘ができるのは当たり前すぎて、注釈は必要ないだろう)、この機械人形はとある一つの誓約のうえに機能している。
それは、『主の望みを叶えること』だ。
ゆえに、挙動にバグが出ている。
「どうしたんだアンナ、いきなり目を見開いて喉をかきむしったりして……」
男性は心配そうにアンナの目をのぞきこむ。
外側を見ただけでは、異常らしきものは見当たらない。
脳内を開いて見るか――男性がそう思い、アンナの耳に触れて分解を始めようとした、その時だ。
アンナの、ギョロギョロと動き続けていた眼球が停止した。
「……ご主人様、はしたないところをお見せして申し訳ございません」
「いや、いいんだよ。それより今のは……」
「二つの異なる命令を受け、わたくしの機能に不全が起こっていたようでございます」
「異なる命令?」
「はい。わたくしは、あなた様の望みを叶えるための人形でございます。しかし……同時に、あなた様に嘘を申し上げることもできません」
「それは、そうだね」
「先ほど読ませていただいた、ご主人様がつづられた物語についてでございますが……」
アンナは手に持っていた多機能魔導板を掲げる。
そこには、男性が精魂こめて書き上げた原稿が表示されていた。
「愚かなる機械人形であるわたくしめには、あなた様の『褒めてほしい』という望みを叶えつつ、あなた様に嘘をつかないことが、どうしてもできそうもありませんでした」
「…………」
「なので、命令の再定義に、少々はしたない姿をご覧に入れてしまったのです」
「……そ、そうか……それで、ええと……もう答えは出ているようだけれど、私の原稿はどうだったかな……?」
「あなた様の望みを叶え、あなた様に誠実であるわたくしめから申し上げますと、今回の原稿には『未来』を感じました」
「未来?」
「これ以上悪くなりようがないので、この先には品質の向上以外ないという、明るいきざしです」
「……」
「もちろん、わたくしのデータベースには、サブカルチャーにまつわるいくつかの情報はございますが、なにぶんわたくしは機械人形、人心の機微には疎い者でございますから、人の心を揺さぶる『物語』という媒体に対し、どこまで正確なことを申し上げられるか、それはおおいに疑問の余地がございます」
「まあ……うん……そうかもしれないけれどね」
「すべてをご存じである『至高の賢者』たるあなた様に差し出口かとも思われましたが、これより述べる感想を正確に受け取っていただくための、前提の整理をさせていただきました。機械でありながら不安を抱くわたくしをどうぞお許しください」
「……それで、感想はどうなんだい?」
「こういったことを述べてしまうと、わたくしの言語機能に異常があったのではないかと疑われてしまう可能性も考慮しつつ、ご主人様の物語を拝読したわたくしの正直な感想を述べさせていただきます。『自慰はお一人でどうぞ』」
「……………………」
「まずは、猛烈な文章の読みにくさが際立ちます。『紙面は黒い方が得だと思うか?』という問題を提起し、読者の心に『これはないわ』という答えを抱かせるこの手法は、さすが、賢者様でございます。あなた様の物語を読んだ者のことごとくは、『そうか、小説は文字数ではない。少ない言葉で多くのことを表現し、読者に想像を委ねることが素晴らしいのだ』という真理に気付くでしょう」
「……」
「そして、キャラクターのみずみずしさは、わたくしの拙劣な認識力ではとうてい呑み込めぬほどです。『ツンデレ美少女は積み上げなんだよ!』と豪語なさっていたご主人様でございますから、きっとこのキャラクターたちの掛け合いにもなんらかの積み上げがあるのでございましょうが、文章をどう精査しても、その積み上げがまったく見えてきませんでした。わたくしの想像力のなさを、どうか責められるものならご存分にお責めください」
「そんなに卑下することは……ん? なんだって?」
「なによりシーン一つ一つに、『今は意味もわからずおもしろみもないが、きっと、いずれ活きてくるのだろう』という期待を抱かせつつ、最後まで読んだ者の抱いた期待に応えないという構造には意表を突かれました。わたくしは機械人形でございますが、『あの伏線、伏線じゃなかったんかい!』と声を荒げかけました。ご主人様の文章は、心なきわたくしに、心を与えてくださったのです。ありがとうございます」
「……」
「他にも気付いた点はございますが、それはもう一行ごとの解説になり、ご主人様の貴重なお時間を費やさせてしまうばかりか、わたくしの愚鈍な思考力では、そのような細々した指摘を役立てることができるようには、どうしたって想像が及びませんので、まずは人が読めるものを書き直すことが先決ではないかなと予想する次第でございます」
「…………いいところはどこかな!? なるほど、お前の語る問題点は、聞けば聞くほど、心に突き刺さるばかりだ! しかし、いいところはどこだろう!? あったよね、一つぐらい、私の物語に、褒めるべきところが!」
「ご主人様、わたくし、壊れちゃう」
「どういうことだ!?」
「ご主人様の望みを叶えつつ、誠実であるわたくしでございますので、ここで『いいところを語れ』と命令されれば、きっと抱えきれぬ矛盾のせいで、わたくしの脆弱なる機能は完膚なきまでに破壊されてしまうことでしょう」
「ぐぬぬぬぬ……!」
男性の体から黒いオーラが噴き出す。
「お前たち読者はいつもそうだ! けなすだけ! 文句を言うだけ! 物語に内包された深淵に想像を巡らせることもなく! ただ、『読み辞める理由』を探すばかり!」
「ご主人様、オーラが漏れておいでですが」
「いつもそうだ……! エゴサーチの結果も、文句ばかり! コネ受賞だとか……! あるかッ……! そんなものッ……! コネで小説家になれたら、なんの苦労もないッ……! 私は……私は、認められたんだ! 白磁賞を、実力でとったんだ!」
「なるほど、ごもっともでございます。『他のあらゆる可能性があり得ないならば、どんなに起こりそうもないことでも、残ったものが真実』でございます。たしかにご主人様にコネはなく、他の要因もわたくしの演算能力では捻出できませんので、きっと『実力の受賞だ』と思うより他にございません」
「だというのにッ……! 編集者さえ、私の『いいところ』がわからない!」
「ご主人様自身は、ご自分の『いいところ』をどのように認識されておいでなのですか?」
「自分の『いいところ』が自分でわかるかァッ!? 自分のことなんか、見えるわけがないだろう!」
「『自分のことなんか見えるわけがない』……至言でございます。わたくし、感銘を受けました。ご主人様はたしかに、その御言葉を体現してございます」
「だ、だいたい、だいたい……! 私の物語は……私の物語は、本当に、面白いのか……? ……そうだ、面白さとは、なんなんだ? 私は……私は、なぜ、作家なんかやろうと……? 私が面白いと感じたものとは、いったい……」
「賢者たるご主人様にわからないことが、この愚昧なる機械人形に理解できているとはとても思えませんが、わたくしの記憶を頼りに意見を述べさせていただくのであれば、ご主人様は『物語をつづることが好きだから』作家になったのだというデータがございます」
「……」
「であれば愚かなる読者のことなど、一顧だにせず、ご自分のなさりたいようになさるのが、よろしいのではないかと」
「……しかし、アンナよ……私は……私はね、たしかに、書きたくて、書いている……」
「はい」
「……だがね、評価も、ほしいんだ……」
「……」
「もちろん、評価は、一番の目的じゃあない。けれどねアンナ……私は、好きで書いている。好きで書いたものが、評価されたら、それはとても嬉しいことじゃないか?」
「ごもっともでございます。この愚かなる機械人形、反論の余地もございません」
「だろう?」
「商業ベースでやっていないのでしたら、評価を気にせず好きになさったらよろしいかと」
「出版もしたいんだよ!」
「であれば、わたくしから申し上げられることはもはや一つきりです。『読者を見てください』と。これ以外の進言ができないわたくしをどうぞお許しください」
「……少し考えてみる。『わかりやすい文章』『積み上げが見える掛け合い』『きちんと伏線を拾う、思わせぶりなだけではないシーン構成』……お前の言ったのは、この三つだったな」
「その通りでございます」
「熱いお茶を淹れてくれ。気分を変える必要がありそうだ」
「ただいま。あと、もう一つだけ申し上げるならば……」
「なんだ?」
アンナはスカートの裾を持ち上げ一礼し、述べた。
「セリフが続きすぎで読みにくいというのも、ございました」




