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2話 『至高の賢者』闇堕ちする

「アギッ、ガガッガ! ガガガガガガガッ!」



 多機能魔導板(ディスプレイ)をにらみながら男が壊れている。


 年代ものの椅子に座り、頭をかきむしり、食い縛った歯のあいだからヨダレを垂らしている。

 まんまるメガネの下の目は血走り、乱暴にまとめた長い黒髪は南国の植物のヘタを思わせる。


 体をあまり締め付けない、ゆるめの部屋着姿の男は、近寄りがたいオーラを醸し出していた。



「なぜ……なぜ魔導郵便(メール)が来ないッ……!?」



 男はメールを待っていた。



「三ヶ月……! 三ヶ月だぞ……! 新しい企画を提出してから、もう、三ヶ月ッ……! 至高の傑作だ! 今度の物語は大ヒット間違いなしッ……! だというのに、『やろう』も『やめよう』も、来ない……!」



 ――三ヶ月間、音信不通。


 男は新人作家であった。


『もりのエルフ文庫』――俗に『もエ文庫』と呼ばれるレーベルから、冒険小説(ライトノベル)を出版している作家である。


 エルフのイメージカラーである緑色の装丁が鮮やかな文庫本を出版するレーベルである。

 レーベルの特色としては恋愛要素とエロ要素強めの冒険小説を出す、ということが挙げられる。


 もとは『冒険者のダンジョンこもりについていった取材の記事を物語化した小説を売るレーベル』だったが……

 昨今、冒険ノウハウの確立による『実際の冒険のドラマ性のなさ』などの問題を解消するために、創作の冒険小説も出版するようになったのであった。


 彼はこのレーベルの新人賞に応募し、見事『白磁賞』――簡単に言ってしまうと上から三番目ぐらいの賞をいただき、そして一シリーズをたしかに出版した、プロ作家なのだった。


 ただし彼は、デビュー作で『コケて』いた。


 冒険小説は『シリーズ』として出すことが多く、売れれば続刊が出る。

 だが、彼の小説は――二冊しか、出なかった。


 それも、売り上げ的には二冊目を出したくないぐらいなのに、編集部の『とった新人には最低二冊出させる』という方針により、二冊目を出させてもらったという立場である。


 だが、彼は希望を捨てなかった。


『次こそは、必ずヒット作を出す』。


 レーベルへの恩を感じていたから。

 編集者への恩を感じていたから。


 だから彼は、渾身の『企画』を提出した。


『企画』というのは、小説を実際に書き始める前に、編集者に提出するものだ。

 編集者はこれを会議にかけ、会議で通れば、作家に本文を書くよう言うのだ。


 彼は精魂を込めた企画書を仕上げた。

 そして担当編集にメールで送り、担当編集はたしかに『会議にかけてみます』と言ったのだ。


 そこから三ヶ月、音信不通。



「……『いい』か……! 『ダメ』かぐらい……! 翌日とは言わないがッ……! せめて……! せめて、一、二週間でどうにかならないのかッ……!」



 彼の精神は限界であった。


 来る日も来る日も『出した企画がどうなったか』の返事を待ち続ける日々!

 最初の数週間はずっと『自信ある』と『やっぱりあの部分がいけないか』と精神のハイ&ローを繰り返し続けた!


 そんなふうに精神を揺さぶっているうちに、もう『通らなくてもいい、せめてダメだったならっさとダメと言ってほしい』というところまで、精神は追い詰められていた!


 だが、来ない!

 三ヶ月、音信、皆無ッ!



「――ご主人様」



 涼やかな声が、背後から聞こえた。


 彼がそちらを見れば、メイド服をまとった美女が立っている。


 人とは思えぬ整いきった美貌(びぼう)と、温度を感じぬ無表情。

 白磁の肌に、彫刻めいた完璧な八頭身の、銀髪の美女――


 ――侍従用自律型機械人形(メイドロボ)


 彼――五〇〇年前、『至高の賢者』と呼ばれた彼が、前世のうちに用意しておいた、身のまわりの世話をさせるための人形であった。



「ご主人様、わたくしが愚考いたしますところ、ご主人様の悩みは一瞬で解決可能なものと判断いたします」

「……解決方法を言ってみろ」

「ご自分から確認のメールを送られればよろしいのでは?」

「アンナ」



 ボサボサ頭の男性は、幽鬼のようにゆらりと椅子から立ち上がった。


 そして、無表情のままこゆるぎもせず直立するメイドロボ――アンナの両肩をつかむ。



「お前の意見、もっともだ。だがな、一つ、重大にして解決不可能な問題が存在する」

「さすが『至高の賢者』と呼ばれしご主人様です。瞳にかつての輝きはなく、見るも無惨な無職小説家に成り下がったところで、その知性のきらめきはわたくしなどには及びもつきません。たかが機械人形が出過ぎたまねをいたしました。お許しください」

「……いや」

「それで、『重大にして解決不可能な問題』というのは、どのようなものなのでしょうか? 蒙昧(もうまい)なる機械人形に、深淵をのぞき見しあなた様の智慧(ちえ)を授けていただけるのでしたら、これ以上の僥倖(ぎょうこう)はないものと存じます」

「よかろう。アンナ、心して聞け。あるいはこの問題は、機械人形であるお前には難しいものかもしれないが……」

「このアンナ、心はございませんが、心より傾聴いたします」

「確認のメールを送るとするな」

「はい」

「すると――編集さんはどう思う?」

「わたくしにはさらにもう一段階の啓蒙(けいもう)が必要なようです。どうぞ、知性のめしいた(・・・・)機械人形に、お慈悲を」

「『あの時の企画どうなりましたか?』というメールを送るな? すると……編集さんは、イヤな思いをするだろう?」

「ご主人様の発言はいつでもわたくしの演算機能の先をいかれます。わたくしごときでは、『確認のメールを送る』『確認された編集者が機嫌を損ねる』のあいだに橋をかけるロジックの手がかりすらつかめません。どうぞ愚かなる機械人形に、さらなるお慈悲をいただけませんでしょうか?」

「アンナ、人はな、急かされると、気分が悪くなるものだ」

「ご主人様、わたくしの時計機能に異常が生じている可能性がございます。ご主人様はすでに三ヶ月という時間、放置プレイをくらっていると、わたくしは認識しておりました。三ヶ月待たされておいて、『急かされると気分が悪くなるからメールも送れない』というのはいかにもバカみたいな発言で、忠実な機械人形ともあろうものが、『はぁ?』と柳眉(りゅうび)を逆立てそうになりました。時計機能の異常を修復していただければ、この機械人形でも正常な働きができるものと存じます」

「いいや、いいや、お前の時計機能は正常だ」

「では、狂っているのはご主人様なのでは?」



 アンナは首をかしげた。


 男性は乱暴にまとめた黒髪をボリボリと掻く。



「そうじゃない。そうじゃあ、ないんだ。……そうじゃないんだよ、アンナ。狂ってるのは私ではない……そうだ、世界だ。世界が狂っているんだ……」

「なるほど、その発想、さすがはかつて『真実にたどり着きし者』と呼ばれたご主人様です。この機械人形、心を搭載せぬ身でありながら、感銘を覚えました。世界は己を通して見えるものであれば、なるほど、ご主人様から見た世界はさぞや狂い、歪んでいるのでしょう」

「だって……だって……! どうすればいいんだ!? 音信はない! 『いい』か『悪い』かさえわからない……! くそお……! くそお……! ふざけるな……! 二択だろう!? 『いい』か『悪い』かだろう!? そのぐらい、すぐに判断できるだろうが……! なのに、なのに……! クソ! クソ! クソぅ! どうしてだ!? どうして世界はこんなにも、私に不都合にまわっていく!? 許せない……! 許せない……!」



 男性の体から黒いオーラがあふれ出す。


 呼応するように大地が揺れ、閉めきった室内に風が吹き荒れる。


 アンナは揺れるロングスカートをおさえながら、無表情で言う。



「ご主人様、そのまま力を解放していくと、世界によからぬ影響が出る可能性がありますが」

「こんな世界……! こんな、間違った世界ッ……! 『はい』『いいえ』で答えられるはずのことに、三ヶ月もかける世界なんか……! それを許容する出版社なんか……! 滅んでしまえばいいんだッ……!」

「さすがですご主人様。無知なる機械人形の身ではあなた様の私怨に世界が巻きこまれるいわれが一切思い浮かびません。しかしわたくしはあなた様の忠実なる機械人形。滅びをお望みならば『いけ』か『やめよう』で素早くお答えください」

「アンナ……我が忠実なる機械人形よ。この腐った世界を私とともに――」



 その時であった。


 古びた机の上にある多機能魔導板(ディスプレイ)から、『ピコーン』という軽快な音が鳴り響いた。


 男性は黒いオーラの噴出を止めて、素早く机に戻る。

 そして、多機能魔導板(ディスプレイ)を操作し――


 アンナへと振り返った。



「アンナ! メール来たよ!」

「おめでとうございますご主人様」

「ああ! ありがとう! ……お? おお? おおおお!? あ、アンナ! アンナ!」

「ご主人様、わたくしは古い機械人形でございますから、聴覚機能の劣化を心配していただけることには深く感謝いたします。しかしセルフメンテナンス機能もございますので、この距離であれば、もう少々小さな声でも聞こえるということを具申いたします」

「通ったって! 会議! とりあえず冒頭の文章もらえるかだってさ!」

「それはたいそうめでたいことです。お慶び申し上げます。葡萄酒庫(ワインセラー)の管理も万全でございますれば、五〇〇年もののアルコールたちが、ご主人様にそのコルクを抜いていただく時を心待ちにしているものと存じます」

「ああ、さっそく――いや、いやいや! 私には大作の冒頭を書き始めるという重大な役割があるからね。葡萄酒の開栓は、出版が決まってから……いや、出版されてから……いやいや! 重版が決まってからにしよう!」

「心得ました」

「よぅし! 最高の冒頭を書くぞ!」



 男性はさっそく、多機能魔導板(ディスプレイ)の前に着き、キーボードを叩き始めた。


 その様子を後ろから見て、感情なき機械人形が、ふう、と小さくため息をつくのだった。

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