2 女神官の躁鬱
アズマリアが最初に授かった《奇跡》は《浄化》、対アンデッド単体特効の効果を発揮する。
だが、この地域ではアンデットの出現頻度は多くない。
夜に森でもうろつけば遭遇することもあるかもしれないが、わざわざそんな危険な事をする冒険者は少ない。
暗闇、悪路、夜行性の魔物や獣。
冒険者達は可能なら日が暮れる前に街に戻ろうとするし、やむを得ない場合は夜営をして安全を確保するのが一般的だ。
『神官一人の為に危険な森の中をうろついて下さい』とは言えるはずもなかった。
それでも彼女は回復役としての将来性を買われてパーティ入りした訳だが、授かった奇跡は《清浄》と《破幻》。
回復役を期待される冒険者業の神官としては落第点。パーティとしてもお荷物を捨てざるを得なかったという判断だった。
彼女にとって《浄化》の奇跡とは神官としての神からの祝福であるとともに、冒険者としての躓きの一歩目という複雑な思いを抱かせるものだったのだ。
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《指名依頼》
募集人員:《浄化》系統を使用できる者1名
依頼内容:アンデット(スケルトン、レイス等)の浄化
報酬:アンデット一体につき銀貨五枚
備考:当方アットホームな依頼です。詳細に関しては応相談いたします。
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そんな《浄化》を必要とされる依頼があれば受けない理由はなかった。しかも銀貨五枚の破格の報酬。
この依頼を他者に取られてなるものかと急いで依頼の受注に走るアズマリア。
『依頼書を剥ぎ取り受付に持っていく速さは正に神速だった』
と、その時の様子を目にした冒険者がのちに語った言葉である。
直前まで絶望で泣きそうだった少女が守銭奴に変わる瞬間だった。
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依頼を受付嬢に渡すとギルドの奥の応接室らしき部屋に通されたアズマリア。
受付嬢の話では簡単な面接があるとの事。
「依頼者は近くの宿に滞在しているので呼んで参ります。
申し訳ありませんがしばらくお待ちください」
丁寧に一礼して退室する受付嬢。パタンと控え目な扉を閉める音がした。
「やった♪ クッキー♪」
待たせる事への気遣いか、お茶とお茶請けのクッキーが用意されてあったので一人になったとたんパクつく。
「サクサク♪ 甘~い♪♪♪♪♪」
しばらく麦粥しか受け付けていなかった体に糖分が染み渡る。久々の甘味に脳が打ち震えた。
砂糖の多い高級品だ。
うまいのう、うまいのうと次々口に放り込まれるクッキー。半分なくなった辺りで、
「でも、半分は依頼者さん用かも、ムグムグ………お皿が空になってたらちょっとみっともないし」
半分と言いつつ七割方食べきるアズマリア。
残ったクッキーを中央に寄せて規則正しく並べ直し、さも『最初からこうでしたよ?』と言わんばかりに整えた。
セコい擬装工作だ。割れ剥がれたクッキーの欠片を指に吸い付けて舐めとり証拠隠滅をはかるあたりかなり手慣れている。
一応彼女の名誉の為に言っておくと、普段からこんなことをしているほどいやしんぼではない。
日頃は節制を心がけているし、孤児院時代の彼女は年下の弟妹に食事を分け与えるような性根の持ち主だ。
ただ、『こいつ金持ってんな』と判断した相手からは少しばかり遠慮がなくなるだけである。
今回の場合、ギルドと好条件を出せる依頼者に金の匂いを嗅ぎとったようだ。
「ん、ふぅ~」
両手でお茶のカップを取り一口。普段は水か白湯しか飲めないので香りを楽しむ。
「少し落ち着きました」
この場合、心と腹具合の二重の意味である。
そうして一息つき心に余裕が生まれる。そうなると今まで気にならなかった事が急に気になってくるのが人というものである。
この状況で考える事はやはり受けた依頼の内容だ。
「アンデットの浄化…討伐とか退治ではないんですかね? よく考えたらアンデットと向き合うって事なのでは…」
闇の中、剣と盾を装備したスケルトンと向き合う自分を想像する。
「……それに一体につき銀貨五枚、破格の報酬につられちゃいましたけど一体に『つき』ってことは………複数が前提?」
同装備のスケルトンが増えて囲まれるアズマリア。想像の中のスケルトンがカタカタと骨を鳴らして笑った。
「その前にどうやってアンデットのいるところまでいくのでしょうか…」
夜の森の中を灯り片手にさ迷う自分。闇の中に浮かぶ真っ赤な目。
「アワワワワワワ………」
今さらになって依頼の内容を思い返しカタカタと歯を鳴らすアズマリア。
その時、先輩冒険者から聞いた話が蘇った。
『おいしそうな話には裏がある。そんな依頼を見つけても飛び付くな』
曰く、
女性の冒険者が高額の報酬につられて護衛依頼を受けた。
ベッドの中まで護衛しろと言われて断ったら依頼を未達成にされた。
依頼書に小さな文字でベッドの中まで入る事の正当性と未達成時の違約金額が書かれていた。
違約金を払えず女性冒険者は奴隷に落とされ娼館で働く事になった。
先日その女と遊んできた。
お前もそうならないように気を付けろ。
そんな風に半ば笑い話として語られる冒険者の心得。
突っ込みどころや多少誇張されている点があるにしても実際に似たような事はあったのだろう。
ちなみにアズマリアが聞いたのは女冒険者版の鉄板で別の例えや男版もあるらしい。
「ど、どうしましょう!?
《浄化》の奇跡が役に立つって思っただけで勢いで動いてしまいました!! あとお金!!」
現状に不安を覚え挙動不審になる。
「で、でもまだ依頼を受けるって決まった訳じゃないですよね? これから面接だし、備考に応相談ってありましたし………でも受付に依頼書渡しちゃったし………」
普段は依頼書を受付に出すだけで受注扱いになる。そんな当たり前の事が急に恐ろしくなった。
ここ数ヵ月の荒んだ生活環境が彼女を悲観的にさせていた。
さらにお茶請けのクッキーが圧倒的存在感を主張し始める。
『お前、食ったよな? このご時世お茶請けだってタダじゃねえんだぜ!? この依頼受けるんだよなぁ~?』
サク…サク… サク…サク… サク…
…サク…サク… サク…サク
サク…サク… サク…ザワ…
「ひぃ!?」
先ほど食べたクッキーがただならぬ雰囲気を発し始めた。サクサクの食感が質量を伴って脅迫してくる気がする
無論アズマリアの幻覚である。
人知れず追い込まれる女神官。
「…これは幻覚…これは幻覚…
はっ!! そうですワタシにはこんな時に頼れる奇跡が!!」
短い間に絶望→希望→絶望を体験した彼女の精神は非常に不安定になっていた。
要は軽い錯乱状態に陥ったのだ。
「光を以て迷いたる霧を…」
クッキーに向けて《奇跡》の顕現を願う暴走女神官。
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一方、応接室がそんなことになっているとは露知らない受付嬢。
「ご足労かけて申し訳ありません」
「いえいえ、依頼を受けてもらっているのはこちらですから」
ギルド内の廊下を依頼人を伴って案内しているところだった。
金髪碧眼、少し軽めの口調だが育ちの良さそうな雰囲気。どこぞの貴族の子弟といったところか。
受付嬢も依頼に目を通しているので彼がアンデットの浄化を頼んでいる事は知っている。
大方、彼の領地でアンデット関係の問題でも持ち上がったのではないだろうか。
「しかし、初日で見つかるとは思いませんでしたよ」
「先に言っておきますと第九等級の神官さんですので…条件の《浄化》の行使については問題ありませんが、その他の力量に関しては相応に…」
「そこは構いません。こちらも支援しますよ。
奇跡を行使できる者『だけ』は、どうしても都合がつかなくて」
なにかしら柵でもあるのだろうが詮索はマナー違反。
とは言え依頼書の内容から、彼女の力量ではどうなのかと心配はしていたのだ。
「そうですか、余計な事を申しました」
「いえいえ、冒険者の事を考えていらっしゃるんでしょう? その…なんというか良い事だと思いますよ」
社交辞令に過ぎないかもしれないが少し安心した受付嬢は目的の部屋へ到着する。
職務に忠実に。
「お待たせしました、依頼人の方をご案内…」
「祓いたまえ!! 《破幻》!!」
光が放たれる。
《破幻》、外的要因による幻覚、幻聴、幻視を無効化する《奇跡》。その光に照らされた魔術や技能による変装や擬装、魔物の擬態はたちまちに効果を失う。
「きゃっ!?」
無論殺傷力はなく一般人の受付嬢には眩しいだけだ。
しかし、
「………おいおい、マジかよ…」
受付嬢が伴ってきた依頼人は違う。
先刻までの容姿が激変している。
銀髪、白皙の肌、深紅の瞳、なにより口元から伸びる二本の牙。
それは風聞に聞く吸血鬼の容貌と相違ないものだった。