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創作怪談――創怪

ニオイのもと――人を不健全にする何か

作者: ユージーン


 Jさんは取引先の担当者として知り合い、違う部署に移ってからも親しくさせてもらっている。奥さんもたまたま趣味が同じということで、どちらとも友人という事になる。


 半年前、お二人の家を訪ねたのだが家の中が臭う。

 とても素敵な戸建て住宅で洗練されたインテリアで居心地がいい。夫婦ともに室内装飾が好きで家具などもいろいろと話し合っ時間をかけてて良いものを選ぶ。それ自体が趣味の一部になっている。

 だから当然、今までそんな事は一度もなかったし、とても不思議だった。

 しかし夫妻は気づいていない様子で、私も少し迷ったものの気にしないことにした。

 もしかしたら、たまたま何か珍しい匂いのある食品を買ったりしたのかもしれないし、変わった品種の鉢植えの花が咲いたとか、きっと理由があるのだろうと考えた。

 ただ、それにしても、どこか生理的な嫌悪感が湧き上がってくる臭いで、何か良くないもののような気がした。単に私自身の勝手な印象に過ぎないのだけれど。


 それから数日後、Jさんにコーヒーショップに呼び出されて話をすることになった。

 やはりあの嫌な臭いがする。

 散々迷った末に、帰り際にその事を話すことにした。

 ただの他人なら顔を背けて通り過ぎればいい話ではあるけれど、やはり見て見ぬふりをするのは友人として不誠実ではないかと思って黙っていられなくなった。今までそのようなことは一度もなかったし、日常生活にありがちなものとは全く違う、なにか、どこかおかしいという、理由のわからない奇妙な確信があった。


 Jさんは「え? そうかい?」とコートをめくって内側に鼻を押し付けて息を吸い込む。

 その時、臭いが一層キツくなった気がした。

「もしかするとコートでしょうか」

 思ったことを指摘した。コートはその時に初めて見るものだった。

「どうだろう」と言って脱ぐと、確かにそのコートのようだ。

 Jさんは苦笑いしながら帰っていった。

 この寒さでコートなしでは帰れないからそのままゴミ箱に捨てて帰る訳にもいかなかった。


 翌日、電話があった。

 Jさんは奥さんがどこからかコートを買ってきたのだろうと思っていた。

 新品でないのはすぐにわかったが、くたびれてだらしないということはないし、むしろ買ったばかりのように見え、新品にありがちな硬さがなくソフトな風合いで身体にフィットする。クリーニングにも出してあって清潔にしてある。

 奥さんの方はJさんが買ったものと思っていた。

 クリーニング店から取ってきた中にあったので、そのままクローゼットに入れたとの事だった。

 クリーニング店に問い合わせると、紛失したコートはないし、他の客からの問い合わせなどもなかったと言われたという。引き渡そうとしたが手元に引き換え券は残ってないし、あちらとしても引き渡した時にコートに付いている引き換え証と確認しているはずだから受け取る理由が見当たらないと。

 Jさんは少し戸惑った様子だったが、他にどうすることもできないよねという事になった。

 これでこの話は終わりだと思っていた。




 3ヶ月後、Jさんの奥さんと私の共通の知人から夫妻が離婚したと聞かされた。

 驚いて直ぐに電話をすると事情を聞かせてくれた。

 Jさんの説明によると、例のコートを処分しようとした所、奥さんがなぜか強く反対したという。

 理由が全く意味不明で「あれは大切なもの」だとか「手放すと大変なことが起きる」など要領を得ないものだったらしい。

 それから奇行が目立つようになり、深夜に大音量で音楽を聞き始めたり、近所の路上で涙を流しながら大声で叫んでいるのが目撃された。

 怖くなったJさんはコートを勝手に処分したけれど奥さんに気づかれた。奥さんはそのまま実家に帰ってしまい、後で署名捺印済みの離婚届が送られてきた。


 共通の知人は奥さんと高校時代の同級生だった。実家を訪ねた所、やはり彼女に会うのを断られてしまったという。

 資産家で地元では有名だったのが災いして、彼女の奇行もまた多くの人に知られることとなり、そのまま行先を誰にも告げずにどこかへ引っ越してしまった。




 数日前、たまたまJさんの家の近くに用事があり前を通りかかった。

 挨拶でもしようかと思ったが急に訪ねては迷惑かもしれない。

 立ち止まってスマホを取り出すと、すぐ横を女性が通り過ぎた。

 その人は頬を涙で濡らし、真っ赤な目をして「こんなはずじゃなかった、こんなはずじゃなかった、なんでこんな事をするの、なんでこんな事をするの……」といった感じのことを繰り返している。

 私にはっきりと聞こえたぐらいだから小声とは言えない。

 前から来た人が驚いた顔で彼女を避けて通る。

 女性はそのまま歩いていき、Jさんの家へと入っていった。




 気づくと真っ暗な自分の部屋の真ん中で正座していた。

 どうやって帰宅したのかまったく覚えていなかった。

 奥さんと離婚してから別の女性と付き合い始めていると噂では聞いていたが、それがあの人なのだろうか。

 だとすると、もしかするとJさんはコートを処分などしていないのではないだろうか。

 処分に強硬に反対したのはJさんの方で、奥さんの奇行がはじまってからもクローゼットに隠し、今もまだそこにあるとしたら。

 私の横を通った女性から、確かにあの吐気がするような臭いがしていた。

 そしてコートのことを知っているのは前の奥さんと私という事になる。

 あの女性を救えるのは私で、Jさんもそれを知っている。

 見ず知らずの相手なら臭いがしても気づかなかった顔をして通り過ぎればいい。

 けれどJさんは臭いのことを知っていて、私が気づいていることも知っている。たとえ自分の妻に異常が起きても絶対に手放さないと決めている。

 彼がコートの秘密を絶対に守ると考えているのなら、奥さんの実家が引っ越ししたのも単に出戻ってきた娘の奇行以外にも逃げ出したくなるような理由があったのではないのか。


 今にもあの臭いが玄関の方から漂ってくるような気がしてくる。

 私もどこかへ引っ越すべきかもしれない。

 Jさんの家の中で何が起きているのか知りようもないが、きっとそれは人を狂わせるなにかとしか考えられない。


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