2 メンタル激弱、青柳良馬 -3-
ということで、氏原さんは存在がセクハラだと思います、まる。送信。よし係長への報告終わり。氏原、思い知れ。
さてチクりメッセも書き終わったし、これからどうしよう。あ、そういえば先生は。呼吸音が最初に比べてだいぶ静かになったような?
「西浦さん」
いきなり耳元で甘い声がして、すごくびっくりした。
反射的に振り返ると青柳先生が身を起こしていて、その顔がすごく近くにある。
近い。ホントに近い。三十センチない。これじゃ昨日の再現だ。勝手に心拍数が上がって顔が赤くなる。
「あの……氏原さんと僕の……SNS……見たって……」
この距離でその話始めるの? えっ、ちょっと離れるとかないの?
そしてどうでもいいけど、あんなことされて『さん』付けやめない青柳先生は律儀だな。呼び捨てでいいよ氏原は。
「あっ、はあ……見たというか見せられたというか……」
後ろに下がりたいんだけど、体が固まっちゃって動かない。
何だコレ。まさか青柳先生は人を呪縛する能力者か何かか? 私がビビって腰を抜かしてるだけか。
「その……」
先生は恥ずかしそうに目をそらして、顔を赤くした。
「あれ……僕……かなり酔っていたみたいで……ちゃんと覚えてなくて……」
「氏原からそれは聞いてますので。あの、大丈夫ですので」
誤解とかしないから。もう少し離れて。
「氏原さんから……君に見せたって電話もらって……あわてて読み返して……一瞬目の前が真っ暗になりました……」
それはまあ大体、予想つく。
「その……何と言うか……ごめんなさい……」
がっくりと頭を下げられた。
「いえ、あの。こちらこそ社員が申し訳ありません」
何で氏原の蛮行を私があやまらないといけないのかすごく納得がいかないが、バカ社員が帰ってしまったので私があやまるしかない。氏原、今度焼肉おごれ。
「西浦さんがあやまらなくてもっ」
目を泳がせていた先生が急にぐいんっと目を合わせてきた。そして同時に顔が更に近付く。近いっ、ホント近いから、もう息かかってるから。
「その……あんな風に見られてると思ったら、女の人は気持ち悪いですよね。ホントにごめんなさい……」
それはいいから。それより距離! 距離!
「き、気にしてませんから。私こそ読んじゃってごめんなさい」
私の方が目を泳がせることになった。だってこの距離で目を合わせてたら落ち着いて話せない。
「ほ、本当に? 本当に気にしてないですか?」
ますます顔を寄せてくるのやめて、ヤバいこれ本当にヤバいから。
「あ、あの僕……! おかしな意味じゃなくて、本当に前から西浦さんのこと気になってて……あ、その、下心もなかったわけじゃないですけど、普通に西浦さんいいなあって……」
先生落ち着いて。余計なことまでカミングアウトしなくていいから。
「その、だから昨夜はちょっと……舞い上がっちゃって……酔って変なこと書いて……ホントごめんなさい……」
ホント落ち着いて先生。氏原との男の欲望丸出し深夜テンション酔っ払いSNSより、今の状況の方がヤバいから。お願い、あと二センチでいいから距離置いて。
「あの、だから……西浦さんが僕の曲聴いてくれてるって知って、それはすごく嬉しくて……」
曲! それだ! そっちに話を持って行こう。
「そ、そうなんです。私、ずっと前から大ファンで……」
私は早口に言う。焦って舌がもつれるけど、とにかくしゃべらないと。
「十六の時『Nobody knows my name』を初めて聴いて、すごく衝撃で。それから発表されてる曲は全部探して聴きました。チャンネル登録もしてます。大好きです」
十分ほてっていた青柳先生の顔が、さらに真っ赤になった。また私から目をそらす。
「あれは……僕が十六の時に作った曲だから……今聴くと正直、恥ずかしいんです。でも初めてバズった曲だし思い入れはあって……それに十六の時の僕の気持ちに、同じ十六歳の時の西浦さんが共感してくれたのかと思うと……それはとても嬉しいです……」
そ、そうなのか。私にとってはソウルソングなんだけど、作った本人の先生には青春の黒歴史的なアレなのか。
よりによって一番ダメなところを突いてしまったようだ。えっとそうだ新曲、新曲の話をしよう。
「あっあの、新曲の『風の凶歌』もすごく良かったです。間奏のバイオリンが走るところが特に好きで!」
「あ、ありがとうございます……」
先生は耳まで赤くなって、片手で顔を隠してしまった。大丈夫か先生。さっきは過呼吸だったけど、今度は頭に血が昇って倒れるんじゃないか。いちいち心配でたまらない。
「西浦さん、あの……僕、本気です……」
ハイ?
「本気で……付き合いたいです……。あの……僕と……結婚を前提にお付き合いを……」
いきなり告白されてる!
私の人生で初めての、異性からのマトモな告白! ……マトモなのかなこれ。何だか重いぞ。
焦っちゃって返事できないでいると、
「あ、あの……ダメですか……?」
先生が急速に憔悴した表情になった。
あ、あれ、もしかしてアレか? 先生的には『いける』って思ってたのか?
……そう思われてもおかしくないのか。私、部屋まで上がり込んじゃってるし。
あんなこと(脚立とか)あっても、あんなもの(エロトーク)読まされても『平気です』って言ってるし。曲のこととはいえ、『大好きです』とまで……。
あれ。もしかして今の私、自分から『食べてね』状態?
完全にお皿に乗った状態だから、ビビりチキンの青柳先生も攻め攻めで来たの?
えっ、ちょっとそれ……ものすごく恥ずかしいんですけど。そんなつもりじゃなかったんだよ、一応。そりゃ先生の部屋にはちょっと興味あったけど、基本救急隊員の気持ちだったし。
「あの……西浦さん?」
私が黙り込んだので青柳先生は焦った表情になった。
「もしかして……ご、ごめんなさい……?!」
急に距離を取ろうとするところはやっぱり本当にビビりチキン野郎だと思う。本気だと言うならもう少し粘る姿勢を見せてみろ。
だけど。
「ちょ……ちょっと待って」
私は先生の肩を掴んで引き留めた。
多分、先生に負けず劣らず真っ赤になっている顔で、泳いでいる先生の目を逃がさないようまっすぐにとらえる。
「あの、ちょっと待ってください。私も今、すごく緊張してますから」
私だって。
初めて男の人に告白されて、しかも相手が大好きな曲を作り続けてくれている人で、四年間ずっと魅了されている甘くて低い声でそれを言われたら、ドキドキしないわけがないんだよ。
でもドキドキし過ぎて頭がグルグルして、何て言ったらいいのか分からなくって。
私でいいのかとか余計なことまで考えちゃって、うまく言葉にならないんだよ。
「あの。はい。待ちます。待ちますが」
先生は神妙な顔になってうなずいた。
「あの、何分くらい待てば……? 十分くらいですか……?」
思ったより猶予が短かった。明日返事しますとか言えない雰囲気だ。頭、冷やしたいんだけど。
「えーとその」
私は困った。
せめて制限時間を目いっぱい使いたいところだが、目の前で青柳先生が『ステイ』している犬みたいに私をじっと見つめて返事を待っている。ものすごくやりにくい。
「あの」
「はい?」
そんな期待に満ちた目で見ないで。
「ええと」
「はい」
いちいち返事しないでいいですから。
……その視線に負けた。
「分かりました。付き合いましょう」
青柳先生の顔がパッと輝いた。分かりやすいな。全部顔に出るな。
「本当ですか! ありがとうございます!」
「いえ、何と言うかこちらこそ」
何か変だな。こんな会話でいいんだろうか。
「あの、でも」
飛びついて来そうな先生を片手を突き出して押しとどめ、私は切れ切れに言う。
「いきなり結婚とか、そこまで考えなくていいですから。なんというかお試し期間みたいな感じで行きましょう」
「え……。でもそれでは女性に不誠実なのでは……」
不思議そうに言ってから、落雷に打たれたようになる青柳先生。
「も、もしかして……! 重かったですか」
まあ、そう言ってしまえばそうなんだけど。
「あの。付き合ってみたら性格合わないかもしれないし、そういうの分からないうちに決めなくてもいいですから」
青柳先生の場合『結婚を前提に』とか言っちゃったら、合わないと思っても別れ話できなくて苦悶しそうだ。無理して付き合ってもらっても私も嬉しくないし。
とにかく自分で自分に重りを着けていくスタンスはやめよう、青柳先生。
「そ、そうか……女性はいろいろ難しいんだな……」
ぶつぶつ言っている先生。
落ち着いて。まず自分とじゃなく、目の前にいる私と話そうか。
「あとすみません」
私はもう一つ付け加えた。
「私、男の人と恋人付き合いするのは初めてなんで。何というかスキンシップ的なアレは段階を踏んでお願いします」
わざわざそう言ったのは、予防線張っておかないとシチュエーション的にまずい気がものすごくしたからであるが。
私の自意識過剰でなかったことは、
「え……。あ……そ、そう……そうですよね……。あ、はい……自重しますので……」
先生がかなり残念そうにそう言ったことで裏付けられていると思う。
ああこの人、メンタル激弱だけど普通に男の人なんだな。とその顔を見て思った。
というわけで、私と青柳先生は付き合うことになった。