2 メンタル激弱、青柳良馬 -1-
自宅で再びぐったりする。
意外に思われがちだが、私は実家住まいである。そしてこれも意外に思われがちだが男兄弟などはおらず、純然たるひとりっ子の箱入り娘である。
「真帆ちゃん大丈夫? まだ足が痛いの?」
母はこうやって声をかけてくれる優しい人だし。それなのに何で私がガサツに育ったか? 知らん。
「うん。膝は痛いけど、まあ平気」
どちらかと言えば精神的ダメージの方が大きいかな。
「湿布する?」
「病院でもらったのあるから大丈夫」
「ケガしたのにバイト先に顔出さなきゃいけないなんて大変ねえ」
「うん」
氏原ひとりのせいだけどね。
そしたら携帯が鳴った。
見たら、氏原からメッセの着信だった。
気付かなかったフリをして無視しようかと思ったが、『青柳先生』という文字が目に入ってしまった。
目に入ってしまったので仕方ない。私はSNSを開いた。
18:10 氏原光一
やべーどうしよう青柳先生にブロックされた
電話も着拒
18:11 西浦真帆
何したんですか氏原さん
18:11 氏原光一
何にもしてねーよ! ただお前フリーだからイケますよって教えてあげただけだし
18:12 西浦真帆
そ れ で す
あれほど昨夜の件はスルーしろと言ってやったのに、なぜ人の忠告を聞かないんだこの正社員は。
18:12 氏原光一
何でだよ! 俺は良かれと思ってやっただけなのに
18:13 西浦真帆
余計なことすんなって言いましたよね?
18:13 氏原光一
何もしてねーだろ
くっつけてやろうと思って昨日の履歴見せただけなのに何であんなに怒るんだよ
それが完全アウトなんですがなぜ分からない。
あとホント無駄に返信速いな。
18:13 氏原光一
絶交だって
二度と顔見せるなって言われた
インタビューも白紙だって
なあ西浦あやまりに行くからついてきて
ふ ざ け ん な よ 氏 原。
18:15 西浦真帆
知りません。小学生ですか。ひとりで行ってください。
18:15 氏原光一
頼むよラーメンおごるから!! 上にバレる前に
18:18 西浦真帆
無駄です。私がチクります。自業自得。
あとラーメンはいらない。
18:18 氏原光一
鬼か!!!(焦ってる絵文字)
ごめんなさい西浦さんお願いします助けてください
かわいい絵文字使うなや。あんたのやってること全く可愛くないから。
そのまま無視しようかとも思ったが、……青柳先生が気になるよね。
繊細そうだし、例のアレを私に見られたと知ってどん底まで落ち込んでるのではないだろうか。
死にたいとか思ってたりしないよね? 氏原のせいで青柳先生に死なれたりしたら、さすがに困るぞ。先生の音楽がないと生きていけないと思う程度にはファンなのだから。
「お母さん、ちょっと出かけてくる。ごめん、夕ご飯いらない」
「え? 膝は大丈夫なの?」
「うん、多分」
氏原にタクシーおごらせよう。(自腹で)
あと夕食も、ラーメンよりいいものをおごらせよう。(自腹で)
そして係長には全部報告しよう。
ということで氏原に連れられて青柳先生の住むマンションに来た。
良さそうなところだな。 blue blue blue、人気あるもんね。
オートロックなので、エントランスで入れてもらうべく氏原さんがインターフォンで交渉。
TV電話になってる。なんかすごい。
『……はい』
五回くらいコールしたところで、地獄の底から響くような声がして青柳先生が出た。うわ、人相悪。モノクロ画像だからかもしれないけど、人相悪。鬼のような形相になってる。
「あ、青柳先生! こんばんはっす。そのー、いろいろ誤解があったようなんで話させていただきたいと思って……」
氏原。謝罪の意をもっと前に出せ。
『帰って下さい』
ぶち切りされた。当たり前だ。
だが氏原は諦めない。そんなデリカシーはないのだろう。あれば初めからこんなことにはなっていない。
十回。二十回。無視されてもひたすらインターフォンを鳴らす。
これただの迷惑行為じゃない?
青柳先生が根負けした。
『……通報しますよ』
と言うのは間違いなく本気だろう。私なら応対しないで通報する。
再び先生がぶち切りする前に、
「青柳先生! 西浦、西浦連れてきましたから! コイツに免じてどうか!」
氏原が私をカメラの前に突き出した。このための要員か私は。
画面の向こうの青柳先生の表情が固まった。そんな心臓止まったみたいな顔しないで、心配になるから。
『に……西浦、さん……』
「こ……こんばんは」
青柳先生があんまり緊張した顔をするから、こっちにもそれがうつってしまう。
『あの……』
「はい……」
あ、ヤバい。何かいろいろ……昨日のこととか思い出して顔が赤くなってきちゃった。
青柳先生はもっとヤバそうな顔してるけど。過呼吸持ちだって氏原が言っていたっけ、大丈夫か。
と思ったらインターフォンの映像がぶちっと切れた。
「なんだよー全然ダメじゃん西浦」
氏原が睨んでくる。何で私が悪いみたいに言ってんの? 青柳先生が怒ってるのアンタにだよね。
「お前の顔見たらもうちょっと喜ぶと思ったんだけどなー。やっぱり色気が足りないからダメか」
キレてもいいかな。いいよね?
くだらない会話をしていたら、上の階からエレベーターが降りてきた。
開いたドアの中から、マラソン走った後みたいに消耗した感じの青柳先生が現れる。
けど、恰好が……。昨日のブランド物のジャケット+見たこともないキャラが描かれた紫のTシャツ+グレーのジャージ+素足にサンダル+サングラス。
控えめに言って斬新すぎるんですが。
氏原の話が思い出される。
『青柳先生って私服のセンスがねえからさー。引きこもり脱出計画をするのに着ていく服がないって泣き言いうわけだよ。だから俺が「もうブランドで上から下まで買って毎回それ着てきたらどうっスか?」って言ってやったわけ! 結構カッコついたろ、俺のおかげなんだよ全部』
とか言ってたの、ふかしじゃなくてマジだったのか。それにしても雑なアドバイスだな。
いや、それより青柳先生。
普通なら恰好でドン引きするところなのだが、今にも倒れそうな足取りでよろよろ近付いてくるので一周回って温かく迎えてあげなくてはみたいな気持ちになってくる。
自動ドアが開いた。青柳先生が立っている。すごいゼーゼー言ってる。
「こ……こんばん……は……」
「こんばんは……って、青柳先生大丈夫ですか?! 救急車呼びましょうか?!」
「大……丈夫……です……」
大丈夫そうな人に救急車を呼ぼうとはしないんだけど。どうしようかなあ、呼ぶべきなのか?
「あのー先生。青柳先生が好きなアップルパイ買ってきましたんで、これでどうかひとつ」
そしてまったく空気を読まない自己中が割り込んできた。
氏原さあ、一言くらいあやまりなよ。さっきから一度も謝罪してないよね。
「帰れカス」
青柳先生は死神みたいな声で言った。
「二度と来るな。もし来たら警察を呼ぶ」
あー、すっごい怒ってるなこれ。無理もないけど。
「そんなあ」
氏原さんはイマイチ緊張感がない。
「そんな拗ねないで下さいよ。ほら、アップルパイ」
お土産をちらつかせる。
青柳先生は嫌そうに氏原さんを横目でにらみ、
「……慰謝料としてもらっておく」
パイの包みだけ奪い取った。あー、関係断ちたいなら受け取っちゃダメだよ先生。この手の人間は、物を受け取ってもらったら謝罪は半分以上終了と思ってるんだから。
ほら、氏原さんの顔ちゃんと見て。『ふっ、やっぱりチョロいな』みたいな顔してるよ、めっちゃ腹立つよ!
だが青柳先生は、それ以上氏原さんの方を見る余裕はなさそうだった。単にこれ以上あの顔を見たくなかっただけかもしれないけど。いや両方か。でもそのメンタルの弱さでかなり損してるよ、青柳先生。