1 ハラスメント社員、氏原光一 -1-
「ああー」
翌日、大学の学食のテーブルにぐったりと倒れ伏す。
落ち着いてから確認したところ、幸い青柳先生に大きな怪我はなかった。
転落の瞬間起きたことはどうやら、
1 私が落ちながら脚立を後ろへ蹴り飛ばす
2 その勢いで前にいた青柳先生を突き飛ばす
3 突き飛ばされた先生は思い切り尻もちをついて倒れる
4 私が床に膝から着地
5 激痛が走り一瞬意識が飛ぶ
6 尻もちをついている青柳先生の上に倒れこむ
7 以下略
……というようなことだったらしい。
先生のダメージはお尻を打っただけ。一メートルの距離を落下して膝を強打した私のダメージの方が大きかった。いいんだけどね、それを狙ったんだし。
あの時は、青柳先生に何かあったら大変ってそれしか考えなかったし。
でも膝痛いぞ。あんまり痛いから、結局バイト早退して病院行ってレントゲン撮ってもらった。
幸い骨にひびは入ってなくて打撲だけってことだったけど、それでも痛いぞ。
あと昨日のアレ。私のファーストキスだったんだけど……。
ハタチでファーストキスとか、遅いと笑わば笑え。でも女子校だったし、そういうのに縁がなかったんだよ。
その遅咲きのファーストキスを、あんなわけのわからん経緯で失った心の傷は結構大きい。膝の痛みも辛いが、そっちの精神的打撃も辛い。
あと胸も触られたし、昨日一日で女の子として大切なものをいろいろ失ってしまった気がする。
「あれ、どうしたの真帆ちゃん。何か調子悪そう。大丈夫?」
顔を上げると、同じクラスで仲良しの小夜ちゃんが立っていた。
小夜ちゃんは小柄で童顔で髪の毛がふわふわっとしてて、女の子らしい可愛いファッションが似合う高級ドールみたいな女の子。性格もおっとりしていて優しい。
可愛いわー。癒されるわー。可愛い女の子ってマジ癒しだわー。
「ううん何でもない。昨日、バイトで怪我したところがちょっと痛いだけ」
「あ、脚立から落ちたってヤツ? 大丈夫? 検査結果は問題ないって言ってたよね」
病院の待ち時間が暇だったので、小夜ちゃんには SNS で報告したのだ。ファーストキスとかその辺りの話は言いにくくて抜かしたけど。
「うん、大したケガではないんだけど。……痛い」
「だよね、かわいそう。真帆ちゃん座ってていいよ、食べるもの買ってきてあげる。何食べたい?」
ああ、小夜ちゃんホントに癒し。嫁に欲しい。
「大学休めばよかったのに。真面目だよね真帆ちゃんって」
「いやあ、家にいてもやることないし」
気分転換に音楽でも聴こうと思っても、ほぼ『blue blue blue』の曲しか持ってないから必然的に昨日のことを思い出してしまう不具合。外に出た方がまだ気がまぎれるのだ。
「だけどバイトはしばらく休むことにした。仕事、雑用ばっかりだから膝が治らないと無理だし」
「その方がいいよー。膝は大事だよ、歩けなくなったりしたら大変だもん」
優しい……涙が出るほど優しい。昨日、私を罵ることしかしなかった氏原とは大違いだわ。
そりゃ青柳先生を危険な目に遭わせたのは悪かったけど、言わせてもらえば事故の原因も半分以上は青柳先生にある気がするし。残り半分は会社がボロな脚立を使ってるせいだし。
私も女の子として大切なものを失ったのだから(その辺りは氏原さんは知らないけど)、あんなに怒ることないと思うんだよね。青柳先生はフォローしてくれたけどさ。
と思ったら SNS に着信が。バイト先からじゃん。しかも氏原じゃん。
12:53 氏原光一
西浦、今日来て。
高圧的……。見た瞬間、めちゃくちゃイラっとする。
12:55 西浦真帆
しばらく休ませてもらいたいと昨日係長に連絡したのですが。
一週間ほど激しい運動や業務はしないようにとお医者さんから言われたので。
と返してやる。
12:55 氏原光一
はあ? 激しい運動とかそんな仕事ねーよ。
速攻返ってきた。
大量の出荷品に配送伝票貼って回る仕事とかあるし。あれはかなりの肉体労働なんだけど。膝を曲げたり伸ばしたりするし。
しかしメッセで言い合っても不毛なので、
12:58 西浦真帆
休みますので。申し訳ありません。
だけ言って話を終わりにしようとしたのだが。
12:58 氏原光一
お前、いったい青柳先生に何したんだよ。
こっちも困ってるんだよ、絶対来いよな。
と返って来て、私は急に不安になった。
先生に何かあったんだろうか。あの時は大丈夫そうに見えたけど、実はどこかの骨にひびでも入ってたとか。
だって青柳先生ってものすごく要領悪そうだもんね。尻もちついただけで骨折とか……有り得そうで本気で怖い。
それとももしかして、脚立の上から私が落ちて来たショックで音楽が作れなくなったとか?
外出するのが怖くなってインタビューの企画を断ってきたとか……。
引きこもりの先生はウルトラチキンハートなんだって、氏原さんが再三言ってたもんね。万一そうだったりしたら、それには責任を感じる。
ファンとしても青柳先生の音楽が聴けなくなったりしたら一大事だし、インタビューも結構楽しみにしていたし。
13:00 西浦真帆
どういうことですか?
と聞き返したが、それっきり返事がこない。あ、会社の昼休み終わる時間だ。
「真帆ちゃんどうしたの? 大丈夫?」
小夜ちゃんが心配そうに言葉をかけてくれたが、残念ながらこの時点で私は敗北していた。
「おう、西浦。率直に聞くぞ」
バイト先に顔を出すと、氏原さんは難しい顔でそう言った。
「お前、青柳先生に何をした」
「何って……」
やっぱり何かあったのか。私は顔から血の気が引く思いがする。
「何かあったんですか、青柳先生」
「ああ」
氏原さんの顔がますます険しくなる。
「青柳先生が『お前と結婚を前提に付き合いたい』って言い出したんだけど、心当たりはあるか」
何 で す と ?
「すみません今幻聴が聞こえました」
「幻聴じゃねーよ。昨日、お前ら二人で廊下に座り込んでたよな。先生に何したんだ。まさか襲いかかったのか? 押し倒して無理やりヤラしいことをしたのか? いくらファンだからってそれはダメだろう」
何で私がセクハラした前提になってんだよ。ふつう逆だろ。
「してません」
「そんなわけないだろ。何であのビビりでチキンで引きこもりで人間恐怖症の青柳先生がいきなりお前みたいな女と結婚したがるんだよ」
「知りません。というかホントなんですか? それ、氏原さんの勘違いじゃないですか」
この人、割と思い込みで突っ走るからなあ。
「勘違いじゃねーよ。証拠を見せてやる」
氏原さんはポケットから自分の携帯をとりだした。