7 真面目管理職、高遠薫 -1-
ところで膝の方なのだが、一週間ほどで生活に支障がないくらいには良くなってきた。
その旨バイト先に通知したところ、再出勤のスケジュールを出すのはちょっと待ってほしいと言われた。すぐにでも元通りに来てほしいと言われると思ったので、ちょっと拍子抜け。
青柳先生とほぼ毎日おうちデートしてるから、時間が取れるのは嬉しいと言えばそうなんだけど。
十日ほど経った時、係長から直接私にメッセが来た。
14:22 高遠薫
西浦さん、ご無沙汰してます。
スケジュールすぐに出せなくてごめんなさいね。
そのことでちょっと話をしたいんですが、今週中に駅前のコーヒーショップで会えませんか?
出来ればお昼ごろで。ではでは。
なんだろ。
別にいいけど。指定されたのは会社の最寄り駅の構内にあるコーヒーショップで、大学からもそんなに遠くない。昼の前後の講義が空いている日なら問題なく行ける。
翌々日に待ち合わせすることにした。
改札前で待っていると、係長がやって来た。
高遠係長は青柳先生より五つくらい年上で、スーツの似合う素敵女性だ。
見るからに出来る系なのに背が小さくて、高いヒールをはいて一所懸命大きく見せようとしてるところが可愛い。面と向かっては言えないけど。
「こんにちは。待たせたみたいね、ごめんなさい」
「いえ、学生なんでヒマですから」
私は頭を下げる。
「あの、今回のケガではいろいろご迷惑をおかけしました」
「いいのよ。業務中の事故なんだから、こちらこそごめんなさい。労災の手続きしておいたから、メッセでお願いした通り診断書の提出をお願いね。ホントにもう、廊下の蛍光灯なんて氏原くんが替えれば良かったのに。女の子にやらせるから」
「ああ、いえ……私が不注意だったんです」
というか青柳先生が邪魔だった。それに尽きる。
お昼時でコーヒーショップの中は混んでいる。何とか二人で座れる席を見付けた。
「好きなものを頼んでね。おごるから。氏原くんみたいに会社の経費を使わないから大丈夫よ」
「あはは」
まあ、そのことをこの人にチクったのは私なのだが。
「時間がないから単刀直入に言うね」
注文を済ますと係長はてきぱきと言った。
「その氏原くんのことなんだけど。あの後、メッセージ来たりしてる?」
「そう言えば来てないですね」
すっかり忘れてたけど。あの『もうヤった?』という直球セクハラメッセ以来、何も来てないや。
氏原さんは割と頻繁に私にメッセを送って来ていて、それもたいてい仕事に関係ないくだらない用事だったのでウザかったんだけど。
「良かった。アルバイトの女の子に業務用の SNS で私的なメッセージを送るのはセクハラだからやめるようにと強く言ったんだけど、やっと聞いてくれたみたいね」
係長はホッとしたように言った。
「厳しめに話をして、セクシュアルハラスメントに関する研修会にも出席させるように手配したけど、正直どれほど効果があるか分からないんだよね。本人、何が問題か理解できないみたいだから」
まあ、そうでしょうね。
「ごめんなさいね。管理者なのに、氏原くんがそんなセクハラを繰り返しているのに気付かなくて。嫌な思いをさせてしまったわね」
「ああ……大丈夫です」
何だか係長に過度に心配させてしまったようだ。
「私、割とそういうのには慣れてるんで」
氏原が(青柳先生に対して)あんまりひどいから、ちょっと反省させるつもりで係長にチクったんだけど。何かこの人に悪いことしたなあ。
「ダメよ西浦さん。ハラスメントにはきちんと物申していかなきゃ。面倒だからって我慢してしまったら、相手を増長させるだけですからね」
あっ。係長ってこういうの敏感な人だったのか。私も怒られてしまった。
「それで、ここからちょっとデリケートな話になるんだけど」
係長は声を低めた。
「あの、西浦さん。青柳先生と付き合い始めたって本当?」
「ひゃっ?」
変な声出たが、考える間でもなくソースは氏原だ。そんなこと会社で言いふらしてるのかい。
もっといろいろバラしておけば良かった。飲み会の時に酔いつぶれて眠っちゃった係長のスカートの中を氏原がのぞこうとしていたこととか。
まあ、隠そうとしてもいずれはバレるか。
「ええまあ、実はそんな感じで……」
照れながら言ったが、係長はコイバナをする雰囲気ではまったくなく、むしろ表情を険しくした。
「それなんだけど。氏原くんの言ってることを額面通りに受け止めるとこうなるんだけど。『彼が青柳先生のご機嫌を損ねてしまった埋め合わせのため』、『西浦さんを夜間に先生の自宅まで連れて行き』、『性的奉仕を伴う謝罪をするように強制した』って……」
はい?
話が大きくなり過ぎてて何だか頭に入って来ないんですが。
セイテキホウシヲトモナウシャザイヲキョウセイって何だっけ?
「もしそうなら、正直に言ってほしいの」
係長は哀しげな表情になった。
「本当のことなら会社全体の問題だし、氏原には相応のペナルティを与えるわ。あなたにも出来るだけの補償をしなきゃいけないし……」
「ちょ、ちょっと待ってください」
私はあわてて係長の言葉を遮った。軽い気持ちでチクったことが、何だか大問題になってる。
いや、あの時のいきさつを何も考えずにぺらぺらしゃべりまくっているらしい氏原にも原因があるようだが。
「その、大丈夫です。確かに私は今、青柳先生とお付き合いさせていただいてますし、先生のご自宅に初めて行った時は氏原さんに連れて行かれましたけど。それとこれは別の話で、あの、お付き合いしているのはあくまで私の意志ですから」
青柳先生の名誉のためにも、そこはハッキリさせておかねばならない。
「でも」
係長の表情は晴れない。
「氏原くんは『西浦は俺に懐いてるから、俺のためなら何でもするんだよ』とか若い子に言っていたみたいなんだけど」
「はああああ?!」
飲んでたジンジャーエール噴きそうになったんですが。
何言ってんの氏原。何いい気になってんの氏原。むしろ私の対応のどこを見てそう思ったの?
「あ……ごめん。氏原くんの思い込みなのね。それなら良かった。ごめんね、そういうところあるの分かってるのに真に受けちゃって」
『ふざけんな氏原、氏ね』という感情がだだ洩れになっていたのだろうか。
係長は急にきまり悪そうな顔になってアイスコーヒーを一気に吸い上げた。
「本当にごめん。でももしそうだったらと思ったら、目の前が真っ暗になっちゃって。万一本当なら、どうやってあなたにお詫びしたらいいのかってそれで頭がいっぱいになって」
「いえ、何か逆にスイマセン。でも私、氏原さんのためにそんなことする義理も好意もないですよ」
「そうよねえ。もしそうだったら、セクハラのこと相談してくれたりしないよねえ」
係長はようやく冷静になった様子。表情をやわらげて『もう私ったら』とか言っている。
「でも、聞いていい? だったらどうしてその日、氏原くんについて行ったの?」
「それは……」
事故キスがあったから。
あと、青柳先生がショックを受けてるんじゃないかって心配だったから。
「あのう。私、もともと青柳先生のファンですし」
「ああそうか。そうだったね。新年会の時もカラオケで blue blue blue いっぱい歌ってたもんね」
覚えてたんですか係長。あの時もめちゃくちゃ酔っぱらってフリ付きでアイドルソングとか歌ってたのに、記憶あるんだ。
「そうか。もともと西浦さんは、青柳先生に興味あったのよね。だとしたら付き合うようになってもおかしくないのか」
係長は納得してくれた様子。良かった、青柳先生の疑いは晴れたようだ。




