蒼月祭の裏側で
「今年の蒼月祭は蒼の五の椿の日、かあ」
国の天道師様から頂いた手紙には、蒼月祭の日程とそれまでに必要なものが書かれている。
「去年は稲の日で休日だったけど、そう都合良くはいかないよね……」
先に見たはずのシャロンが私の手元を覗き込んで言った。
「そのかわり、去年は時期が早くて大変だったよね」
「蒼の二だったもんね。ティナ、あの時死にそうな顔してたし」
「あら、シャロンだって同じじゃない! 『もう灯籠なんて一生見たくないわ!』とか言っちゃって」
本当、去年は修羅場だった。天導師様の報せは毎年翠の一の梅の日だから、準備期間が一月と少し――四十八日間しか無かったのだ。
「ま、今年は少し余裕があるってことで」
頬を膨らませて怒ったふりをするシャロンをつっついて言うと、彼女は空気を吹き出す勢いそのままに笑いだす。そんな彼女に釣られるように、私も一緒になって笑った。
――灯籠作りは八工程位に分かれている。私はまだ見習いだから最初の方しかさせて貰えないけど、シャロンは二月しか時間が変わらないのに一人前の中盤の作業をしている。シャロンはすごいのだ。
と、作業場の扉が開く。
「ティナ、これ」
入って来たのはこの工房の長のリリィだった。妖精のような美少女だ。勿論見た目通りの年齢ではないが。
「承りました、リリィ様」
渡されたのは灯籠の材料だ。これを作業場の皆で分担し、流れ作業で灯籠の形を作る。そして、リリィが出来上がった灯籠に魔法をかけて浮くようにするのだ。
灯籠は翠の月からしか作れないから、去年はリリィもやつれて見えたな。
「あ――ティナ」
作業場を去る直前、リリィが振り向く。
「今年が終わったら見習い卒業」
「……えっ?」
唐突に告げられた言葉に耳を疑う。しかし疑問を発する間もなく、リリィは扉の外へ消えていった。
「よかったじゃない!」
「ティナ、おめでとう」
呆然としていると、シャロンに背中を叩かれ、ソフィ小母さんに頭を撫でられた。
「わ、私、本当に? 認められたの?」
「本当よ! リリィ様は嘘なんて言わないわ」
「そうよ。喜びなさいな、ティナ」
シャロンも小母さんも、そして作業場の皆も、柔らかい笑みでこちらを見ている。尤も、二人以外は自分の作業を続けながらだけど。
「本当、なのね……嬉しい」
シャロンたちに抱きついて、仕事に戻る。
体が軽くて、リリィに任された仕事もいつもよりもスムーズに出来ていくみたいだ。
仕事の帰りも心は浮き立っていて、いつもと違う帰り道を歩いていると、どこからか、みぃ、と小さな鳴き声が聞こえてくる。
「あら? 何かしら」
いつもは動物の鳴き声など気にも留めないのに、鳴き声の主に呼ばれたような気がしたのだ。
「私を呼んでいたのは貴方?」
草をかき分け見つけたその子を抱き上げると、嫌がる様子もなく頭を私の腕にすり寄せてくる。見たことのない動物だけど、こんなに人懐こいなら連れて帰っても大丈夫かも。
家に帰ると誰もいないはずなのに明かりがついていた。……もしかして。
「ただいま」
「あ。おかえり、レティ」
「やっぱり! 来ていたのね、サーシア!」
私をティナではなくレティと呼ぶ唯一の人。その彼の声に、一気にまた気分が上がる。どれくらいかって言うと、空を飛べそうなくらいから、天に昇れそうなくらい。
「何だか妙に上機嫌だな」
「そうなの! 聞いて、私認められたのよ! 来年からは一人前に働けるって!」
満面の笑みで言うと、すごいな、と苦笑しながら頭を撫でてくれる。
「あとね……この子、飼えると思う?」
勢いに任せて帰り道に拾った動物をサーシアの正面に突き出す。
「レティ、お前それ、どこで……」
「か、帰り道だけど?」
少し顔色を変えたサーシアに気圧されながらも端的に答える。
「……それ、魔物なんだが」
私の答えに小さく頷き、サーシアは溜息交じりで困ったように呟いた。……魔物なんて、見たこともなかったよ。
「……こんなにふわふわで可愛いのに?」
「ああ。普通は凶暴で危険な奴だ」
凶暴、という言葉に、腕の中の魔物だという動物を見る。動物は丁度欠伸をしたところで、外見を裏切る鋭い歯が見えた。
「噛まれたら痛そうな歯ね。それに……、魔物なら外に――」
――返した方がいいのかしら。喉まで出かかったその言葉は甘噛みをする魔物を前に飲み込まざるを得なかった。
「決めた。サーシア、私この子を飼うわ」
「……危険だぞ、良いのか」
「良いわ、承知の上よ。……貴方の名はフラン」
「あっ!? レティ!」
よろしくね、と言おうとしたのに声が出なかった。視界が暗くなっていく。フランとサーシアの心配げな瞳が強く印象に残った。
*
「もう、ティナ? 心配したじゃない!」
「あはは、ごめん、シャロン……」
フランを連れ帰った日から三日後。二日ぶりの職場は特に何も変わっていない。
「ティナがいなくて大変だったのよ?」
「ごめんなさい、ソフィ小母さん」
魔獣への名付けは危険だとサーシアに諭され、職場の二人にも責められた。……つくづく残念だなあ、私。
そんなことより仕事だ、遅れを取り戻さないと、と残った材料を手に取った。
*
待ちに待った、蒼の五の椿……の、二週間前の三の橡の日。今日は納品だ。不備がないかの確認は、丁度さっき終わった。
私を含め、皆精根尽き果てたような表情をしている。
「終わったねえ」
「うん……終わった」
そんな声が作業場の至るところから聞こえる。
「じゃ、持っていく。……リギル、お願い」
リリィの声だ。近いはずなのにどこか遠い。リギル……って、もしかして、あの?
薄目を開けて声の方を見ると、苦虫を噛み潰したような顔の彼女と、尾でもあれば振りまわしていそうな笑顔の男性がいた。
「ティナ、あれってもしかして」
「多分そうよ。リリィ様、やっとかな。リギルさんともどもおめでたいわ」
「そうね。……リリィ様も、かあ」
シャロンが感嘆だか悲嘆だか分からない溜息を吐く。気持ちは分かる。私たちも十九歳だから、蒼月祭に誰と行くなんて、とってもデリケートな話なのだ。
「いいわよね、ティナには素敵な幼馴染がいるもの」
「え? いないわよ、そんなの」
「ティナが休むって伝えてくれた綺麗な人よ」
それを聞いて思い当たる人など一人しかいない。そっか、「幼馴染」かあ……。
「違うわ、唯――昔から知っているだけよ」
――それからどうしたのか、全く記憶にない。いつの間にか自分の部屋に戻っていた。
外は真っ暗だ。窓際のフランの白い毛が闇の中に浮かび上がっている。フランは小さく、みぃと鳴いた。
「フラン。私ね、サーシアが――サンツィア・ルナーザが、好き。けど彼とは住む世界が違い過ぎるの。私、やだよ、フラン……」
初めて言葉にしたかもしれない。腐れ縁だけど、彼は真っ当な貴族で、私は没落貴族の血をひいているだけの――唯の平民だ。
フランが傍に座った。その温もりに誘われるように、泣きながら眠ってしまった。
*
十五日後、蒼月祭当日。結局サーシアを誘えなかった私は、一人で会場を歩いていた。
灯籠の店は繁盛しているみたいだ。リリィやシャロンは、灯籠、買ったのかな。
「サーシアと一緒に行きたかったな……」
私たちの工房の灯籠を手に取りながら呟いた。
「――俺が、どうかしたか、レティーナ」
突然背後から聞こえた声に驚いて取り落としそうになった灯籠を、後ろから伸びた手が掴んだ。
「サ、サーシア!?」
振り向くと、彼の笑顔があった。――会いたかった。
「フランに話していた事、聞こえたぞ」
――攫ってでも、お前と一緒になってやる。
耳元で囁かれた言葉に、思わず顔が赤くなる。それはつまり、そういうことで。
灯籠の上がる時間。ずっと続けと願いながら、サーシアと二人で灯籠を飛ばした。
と、どこからかフランが飛び出し――数多の灯籠の上を駆け私たちの上げたそれに辿り着く。
高らかに鳴くフランに神の祝福を幻視し――そして私たちの影が、そっと重なった。