告白
「月葉は今なにか欲しいものとかないの?」
何年か前のとある日。その日も朱音は私のとなりで笑っていた。
「えー。なんで?」
「ブレゼントだよ。もうすぐ誕生日だよね?」
朱音は私の隣の席に座ったまま、話を切り出してきた。
このときの放課後の教室にも、私たち以外はいなかった。
「うーん。朱音が選んでくれたものが欲しいかなー」
「なにそれー?」
机に向かってノートを見つめながら、私は答えた。でも、集中力の欠如により、課題を進ませようとするペンは空を切っていた。
彼女にはまだ広がる景色はたくさんあって、私にはない。
それでも私が彼女の言葉を欲しいと思うのは、私が彼女に恋をしているから。
「そういうのが一番大変なんだから、ちゃんと指定してよー」
「プレゼントねー……」
なにか、考え付くものだと……。
ちらと朱音を見てみる。
ずっと一緒にいる人の変化には気づかないものだ。私も朱音も、少しずつ変化しているのに、しているはずなのに。
「……」
「えっと、どうかしたの?」
「D……いや、Eかな」
おっぱいの大きさの変化だけは簡単にわかるのになあ。
「月葉。今はプレゼントの話であって、私の胸のことは……。というか、昨日も同じようなやり取りをしたよね?」
朱音は私よりも大きく実ったおっぱいを腕で隠す。なんか萌える。
それにしても、私のおっぱいにも変化は表れないだろうか。まあ気長に待とうとも思うが、お姉ちゃんを見てると少し絶望する。
「プレゼントか……」
私はこのときよく考えずに言った。
「あ、それなら、朱音の一番を私にちょうだいよ」
「一番?」
「そう。一番。一番っていっても、最初って意味じゃなくてね」
「最高って意味?」
空を舞い続けていた鉛筆をわたしはついに机においた。
最高って言葉は私の気持ちにぴったりとあてはまる。私はこのとき笑顔がこぼれた。
「それそれ! 一番の思い出とか、一番の友達とか。全部欲しいの」
「ふーん。それいいね」
「ね。そうでしょ。私は朱音といっぱい一番を作りたいからさ」
私はいいねって言われて嬉しかった。これで拒絶なんてされたらつらすぎたし。
「それならさ」
朱音の言葉は私にはすり抜ける。それをわかっての発言ってことを私はまだ知らなかった。
「一番の悲しみも受け止めてくれる? 私がいつか、もしかしたら月葉に与えてしまうかもしれない苦しみを」
私にはまだ、人の挙動を読む能力が備わってなかったから、朱音が何かを抱えながらこの言葉を放ったことに気がつかない。
「もちろん。私は受け止めるよ。朱音は私の一番だからね。どの道を選ぼうとも、私はその悲しみを受け止めるしかないんだよ」
「月葉……」
「それに、もらったものを返したりなんてしてあげないんだからね」
この言葉をもう一度言うのは難しいけど、信念は全く揺らいでなんかいない。
夏祭り。朱音と過ごす時間は私にとって特別なもの。朱音と手を繋ぐということ自体は、たくさんしてきたから慣れているはずなのに、私の冷たい手は緊張でこわばったまま。
またもう一度、誕生日を迎えたなら、その時も朱音が一番をくれると約束してくれるだろうか。
「見てください。花火きれいですよ。あ、今地球の形で──あ、今のはハートです!」
レジャーシートを敷き、そこにお尻をつけて二人並んで座っている。
一通りぐるっと屋台を回って、私はたこ焼きとりんご飴。朱音はやきそば、とるねーどぽてと、キュウリの一本漬けに加えて輪投げを一回やってた。
さっきのリベンジ!!なんていいながらやってたから、多分祭りでテンションがおかしくなってるのだろう。
そんなお祭りテンションの朱音は花火と食べ物で頭がいっぱいかもしれないけど、私は繋がれた手を意識し過ぎている。
この温かさだけはどうにも慣れない。昔はもっとぬるくて、こんなに違和感のあるものでもなかったのに。
喧騒に包まれた暗がりの中に身を置く私たち。そこは私たちだけの世界みたいで、いくつもの世界が周りにも広がっているように錯覚する。
「私ね、朱音に話さなくちゃいけないことがあるの」
今でも十二分に幸せで、満ち足りているはずなのに。私はまだまだ強欲。
物足りないと思ってしまうのだ。
「どうしました?」
朱音は神妙な面持ちで私に返す。突然こんなこと言われたら、こうなるのも必然だ。それなのに、当たり前のことなのに、動揺によって私の体は萎縮してしまいそうになる。
「聞きたくないならいいから」
「どんな内容なのかを知らないと判断のつけようが……」
「どんなって言われたら、私たちがこのままではいられなくなるような内容かな」
私は朱音の眼をまっすぐ見る。恥ずかしくて、避けたくなって、でもどちらの思考も朱音の表情で同時に散る。
真剣さしかない。昔からそうだった。たまにふざけたりするけど基本はまじめ。それが私の愛する彼女の全て。
「もちろん聞きます。月葉がそれを望むと言うのなら」
「……わかった」
花火の音が邪魔だ。声の加減がわからない。
さっきまでは、私が朱音に向けた視線をぐにゃぐにゃにして、朱音が気にならないようにするという、大事な役割を担っていてくれたはずなのに。
今はただうるさい。
「私、もうすぐ誕生日なんです」
私が言葉を選びあぐねていたら、急に朱音が誕生日の話をしてきた。
私が誕生日を浮かべるならやっぱりあのとき。私が朱音に一番をねだったあの日。
「知ってるよ。実はプレゼント、もう用意してるの」
「あはは。それは困りましたね」
なんで笑ったのか。なんで困ったのか。なんで私が話そうとしていたのに朱音が話しているのか。全部わからない。
「なんで──」
「私も、あなたの一番が欲しいんです」
まっすぐ私に身体を向けて、私の眼と朱音の眼が合わさりながら、朱音はそれを口にした。
あ、だめだ。嬉しい。体温がまだこんなに上がるんだって、驚いてる。
「な、何言ってるのさ」
目から滴を落としてしまった。
でもこの暗がりだ。そう簡単には気づかれまい。
暗いせいで朱音の顔が見えにくいのは困る。でもそれを理由にぐっと近づいても不自然じゃないよね。
「ねえ朱音」
私は座ったまま、体重をを朱音に預けながら、右手を背中に、左手をお腹に回して抱きついた。
「……どうしましたか?」
こんな暑いのに抱きつくなんて自分本意もいいところだ。朱音は受け入れてくれるから、それをわかっているから甘えてしまう。
私は体をそのままに、顔をあげて朱音の顔を見た。
「私がもらったときに、もうあげたつもりだったんだけど」
近すぎる朱音の顔を前にして、眼をそらしながら言った言葉は強がりだ。私がもらった『朱音の一番』が崩れていないという確信を持っていなかった。
「私も欲しい」という朱音の言葉が、まだ朱音の一番が私にあることを証明してくれたのだ。
それが嬉しくって仕方がなかった。
「わかっていますよ」
「え?」
強がりのようなものだと思った。
でも朱音は続ける。
「わかっていても、言葉にしないとダメということです。伝わらないし、間違えるし、何よりも大切なものを見失います」
花火の方を見つめて話す朱音の姿はひどく寂しそうで、私はその悲しげな表情にひどく引き込まれる。
「経験則だったり?」
「どうでしょうかね」
さらっとはぐらかされた。
でも朱音がそうしたのは朱音のことに限った話。首をかしげながら私の言葉を待っている。
話そうとしたのはわたし。それは誰も忘れていなかった。
私は顔を朱音のお腹に埋めながら、話した。
「あのね。話したいことがあるの」
「それはさっき聞きましたよ?」
「あらためてだよ! ちょっと話逸れちゃったし!」
朱音には知っておいて欲しいこと。
「いいですよ。それで話したいことって?」
朱音には隠したくないこと。
私には無理だと諦めていた。私には遠すぎると思っていた。
実際そうだったのだ。
大好きなことはすべてを変えることに等しい。
私の不自由さが朱音にはわかってもらえない。
そんな辛さが何重にも私に覆い被さる。
でも隣にはいたい。
そのためならと、できることはしてきた。一度諦めかけたけど、それを変えたのも朱音。そもそも頑張れたのが朱音のおかげ。
1歩ずつでもいい。私が前に進むために必要なことを一つ一つこなしていく。
今日がその1歩だ。
「私はずっと一緒にはいられない」
ぎゅっと体全体に力が入る。
体が熱いのに、抱き締めた手を離すのは不安。
まだ未来が広がっている朱音にとって、私は必要ではないけれど、私には欠かせない存在だから。
ごめんね朱音。
私はまた嘘をつくよ。




