■7月.さらに遠くへ去る心
月葉 朱音のことが好き
沙羅 月葉の姉。見た目が幼いが、高校三年生
明日が暗くて見えなさそうだから、その次の日に託して眠る。さらに暗くなっているのなら、私はもう少しだけ眠る。でも明るくなり過ぎると、今度は肌を守らなくちゃ。
夏といえば夏休み。私が怠惰だからという理由で出たわけじゃないと思う。学生なら多くの人が楽しみにしていたはずだ。
まあ、部活が大変だっていう人もいるだろうけどゆるゆるの写真部の活動は夏休みの間はたったの一回。楽だし、その一回は楽しみにしている。
まあそれは八月に入ってからのこと。まだ先の話。
今日はバスでお姉ちゃんと一緒に病院に向かっている。といっても、お姉ちゃんは私に付き添ってくれているだけであって、別段体調が悪いわけではない。
悪いのは私の身体。身体がなんともないのなら、夏に全身を黒の衣服で覆ったりはしない。今日は夏にしては比較的涼しい日ではあるが、それでも太陽の光は私に牙を剥くのだ。
「月葉、診察室にまでついていってもいいかしら?」
お姉ちゃんは今日、本当はテニスの練習があった。三年生の集大成である最後の大会を明日に控えている。
パパもママも忙しくて、病院についてくるのはどうしても無理ということでお姉ちゃんが来てくれたのだ。
「もちろんいいよ」
それなのにダメなんて言えるはずない。
お姉ちゃんは私にいつも優しい。ふたつしか離れていないのに、大人の女性みたい。身長が小さいから、はたから観ると私がお姉ちゃんの付き添いに見えるけど。
でも、高校生にもなって、診察室まで入ってきてもらうってのはやっぱり恥ずかしいな。
まあ、お姉ちゃんの時間をもらっているのは私なんだから、文句は言わない。
「ありがと。診察券とかは大丈夫よね?」
「うん」
お姉ちゃんはちょっと心配性なところがある。 見た目だけなら、誰がどう見ても心配される側なのに。
だから、私のちょっとごもった声には凄く敏感に反応するのだ。ほら、今も。私を怪訝そうな面持ちで見てくる。
「どうかしたの?」
私と同じ色の目。同じ色の髪。それなのにどうしてこうも違うのだろう。
私は全然なのに。気がつくことができなくて朱音を傷つけてしまったり、一緒にいられたはずの中学生の頃の時間を無いものにしてしまったり。
私がお姉ちゃんみたいだったらなあ……。
お姉ちゃんになりたい。お姉ちゃんのような芯の強い人間に。
「お姉ちゃんみたいな、まっすぐ胸を張れるような人になりたいよ」
口にしてしまえば、ちょっと滑稽ですらある。でもわかって貰いたいと思った。お姉ちゃんがたくさん私に与えてくれてるんだって。そうして私がいるんだって。
でも、気恥ずかしさが私の言葉を歪ませた。
「そう。まあ、頑張ってみるのも悪くないと思うわ」
「そうだね」
まだたくさん時間はあるのだから。続く言葉はこうであろうかと予想してみる。
私って、ポジティブとか言われたことない。マイナスの方向に考えがちなのかな。
そんなこと、今までは感じたことなかったのに。ネガティブという言葉がとてもしっくりきてしまう。
そろそろだ。
降りる一個手前のバス停を、バスは止まらず通り過ぎる。そこでは誰も降りる人は居なかったみたい。
まあ、それもそのはず。私たち以外に乗っているのは、還暦を過ぎていそうな老夫婦と三十代くらいの女性だけ。女性の方は足を怪我しているのが窺えるから、目的地は病院だろうとほとんど断定できていた。
バスの一番後ろの席は全体がよく見える。
「お姉ちゃん、ボタン押して」
「えっ? 月葉、押さないの?」
「お姉ちゃんの方が近いじゃん」
ちょっと不思議がっている表情を見せる。
お姉ちゃんって時々わからない。姉妹として15年以上一緒にいるわけだけど、何でも分かるってわけでもない。だからこそ持つ憧れだったりするのかもしれない。
もしそうなら、なんか嫌だ。もちろんお姉ちゃんがじゃない。
「そっか、月葉も成長したのかしらね」
お姉ちゃんは笑って言うもんだから、言及しづらい。私が知ってはいけないのかもとか、知ってしまったら何かが変わってしまうのではないかとか考えすぎるから。
「どういうこと?」と軽く尋ねるのが精一杯で、それは笑って誤魔化されてしまった。
これはちょうど私が抱えているものだ。朱音への感情。どんな道を辿ろうとも悲しい道しか見えない。だけどもしかしたら別にそうではないのかもしれない。私が必要以上に恐れているだけのことって可能性もある。
それでも私が動けないのは幸せ過ぎるんだろうなって思う。
入院したときは毎日お見舞いに来てくれるほどに、私は大好きな人に大切にされて、大好きな人の隣にずっと居られることが。
ピンポーンと低い音がなる。
『次止まります』
自分の世界に深く潜り込んでいたせいか、跳び跳ねそうなほどにうるさく感じた。
あれこれ考えているうちに誰かに押されてしまったのか。老夫婦か怪我をしている女性か……、いや、女性は寝てしまっている。押したのはあちらの老夫婦のお爺さんかお婆さんのどちらかか。
「あのお姉さん、起こしてあげた方がいいかしらね」
「あ、私もそれ思ってた」
お姉ちゃんの声を聞くと、我に帰ったように自分の体を思い出す。病気とかよりももっとありふれたもの。
例えば、私はバス酔いはしないけれど一番後ろの席はなかなか揺れる。やはりこれは一概には心地のいいものではないだろう。お姉ちゃんも私も平気だし、寧ろ心地のいいものと捉えているけど。
でもバスの中はなかなか涼しい。ほとんどの肌を真っ黒な服で隠している私でもそう感じるほどの快適空間。
寝てしまうのも仕方ないなあ。ゆらゆらと揺れるのも原因のひとつかな。
「月葉、そろそろよ。準備してね」
「かばんだけだから、もう準備万端だよ」
「そのかばん、好きだものね」
お姉ちゃんは私のこのピンクのかばんみたいに、誰かとお揃いの物とか買ったりするのかな。
お姉ちゃんとのそういうの持ってないな。そういえば。
「うん。好きだよ。大切にしたいの」
バスが止まれば扉が開く。席を立ち、扉を出るまでに怪我をした女性に声をかけ、バスを出る。
お姉ちゃんが先に出て日傘をさしてくれたから、陽に当たらずに済んだ。
「ありがと」
「いいのよ。甘えてくれれば」
頼りになるお姉ちゃん。甘えてもいいなんて言われたら、どんどん甘えちゃうなぁ。
「お姉ちゃん、好き」
くっつきたくなった。甘えん坊な私を受け止めてくれるから、受け止めてくれるとわかっているから、私はこの言葉を使えるのだろう。
暑いけど、わかりきったこと。承知の上でお姉ちゃんの手を握った。ぷにぷにで柔らかい。
ほんと、かわいいんだから。
「甘えていいって言ったばかりだから、離れられないじゃない」
「離しちゃだめだよ?」
「離さないってば」
屋根の下まで来ると、ほぼ同時に陽が陰る。もっと早く隠れてくれたら良かったのに。空は私にとことん意地悪だ。




