■6月.映画館
沙羅 17歳
いい天気になった。
うっとおしい太陽はその身を隠して、大きな雲はその存在を主張するかのごとく、私たちを包み込んでいる。くもりという天気ほど私にとって都合のいい天気はない。
今日は朱音と映画館で待ち合わせ。体力温存のために映画館まで、お姉ちゃんと一緒にお母さんに頼んで送ってもらった。地下駐車場に停めて下ろしてもらうから、日傘を指す必要はない。
「お母さんいってきます」
ありがとうと言って姉と一緒に車から降りた。
私の姉の名前は沙羅。姉はテニス部のキャプテン。学業も優秀な文武両道な姉は、私の自慢だ。
今からの用事が楽しみなのか、私とよく似た栗色の瞳を輝かせている。今日はかなり機嫌がいいみたいだ。
「月葉も今日は映画館に行くのよね?」
頭が良くて運動もできるお姉ちゃんだけど、お姉ちゃんの最も強い特徴は他にある。
肩の下まで伸びた雪のように真っ白な髪を細い手で払いながら私に目を向けて話す姉は、百五十センチくらいの私より背が低い。
それゆえなのか、誰もを魅了させるような綺麗さと可愛さようなの両方がある。でもその低身長は、お姉ちゃんのコンプレックスだったりするからあまり口にはしないようにしてる。
「クラスの人に薦められたコメディ映画を観に行くの。お姉ちゃんは? テニス部のみんなで行くって言ってたよね」
私たちはあまり喧嘩という行為をしない。一般的な言葉でいえば仲の良い姉妹。
「そうね。正直、人付き合いは面倒だわ。十数人もいれば好きな人もいるけど、もちろん苦手な人もいる。ただの部活というカテゴリでの集団だからそれは当然のことね。月葉みたいに友達と来る方が楽しいと思うわ」
私は何を観るのかを聞いたつもりだったけど、意外な返事が返ってくる。
「それにしては、お姉ちゃん楽しそうだね」
「ふふ、そうかしら。やっぱり仲の良い人もいるわけだし。楽しめないわけではないのかも知れないわね」
エレベーターを使って地下から二階まで上がる。他の人も乗っていたからなにも話さずただ階のランプが点灯するのを待っていた。
そして降りるとすぐにあるのが映画館。
映画館の中に入ると入り口のすぐそばで朱音を見つけた。すぐに見つけられる位置で待ってくれていたみたい。
「おはよー。ごめーん、待たせちゃった?」
「おはようございます。いいえ、待っていませんよ。ついさっき来たところですから」
朱音はいつも絶対にこう言うけど、多分、長い間待っていたと思う。私が早めに行っても朱音は必ず先にいる。今日だって、約束した時間まではまだ三十分ある。
「沙羅先輩も、おはようございます」
「おはよう。学校じゃないんだし"先輩"じゃなくてもいいのよ」
「あっ、そうですね。沙羅姉様も映画ですか?」
「なんか呼び方が引っかかるわね」
朱音はお姉ちゃんとも仲がいい。昔は私よりもお姉ちゃんとよく遊んでいたと思うし、朱音にとっては私よりも気を許してる相手なんだと思う。私は昔から体を崩すことが多いから今も昔も気を使わせてしまっているのかも。
「まあいいわ。私も映画よ。テニス部のみんなでね。柚子里さんも来てるわ」
柚子里は私たちのクラスメイトで、奈由菜ちゃんと並んで仲の良い友達。クラスでは四人でよく一緒にいる。
お姉ちゃんが辺りを見回してなにかに気がついたのか声を漏らした。なんとなくそちらを見ると、集団の中に柚子里の姿を見つけた。こっちには気づいていないみたい。
「テニス部のみんながあっちで待ってるから、そろそろ行くわね」
「うん。ありがとう。お姉ちゃん」
お姉ちゃんは背を向けてかけ出そうとしたがその足を一度止め、私の方を振り返り見つめてきた。
「なに、お姉ちゃん?」
「身体を酷使するのだけはだめよ」
「うん。わかってるよ」
その言葉だけを残して、小走りでテニス部の人たちがいる方へ向かっていった。その足取りは軽やかで付き合いとか言っておきながら楽しみにしているようにしか見えなかった。
「私たちも行こっか。ポップコーン買いたいなあ」
「私はキャラメル味にするつもりですよ」
「それなら私は塩にしようかな。あとで分けっこね」
「ええ。私もそれが一番いいです」
たくさん欲しいものがある。朱音が私に向けてくれる視線がいつまでもそのままあって、私もそれに応えることができる。今みたいな時間。
「つ、月葉・・・・・・どうしました?」
「え。あっ、ごめん。ずっとこのままがいいなあって思って」
「えっと、私たちまだ高校生始まったばかりですし、これからはまだ続きますよ。ずっと一緒です」
私は思った事を言ってしまうことがある。なんでかわからないけど言いたくなってしまって口からこぼれる。言いたいと思って言ったことだから、言ってしまえばすっきりして、そうしたことを後悔することはほぼない。
顔を火が出たように赤くする朱音の気持ちはどこにあるのだろうか。私が放った言葉に答えはあって、でも真意なんて見抜けるはずもなくて、本当の答えは言葉にならないと絶対にわからない。
「まだ時間ありますし、とりあえずグッズ売場見てみます?」
私たちは朱音の一言で、のんびりとお買い物をすることに決定した。
赤面の理由を聞く勇気もなく、私はただ朱音の言葉にうなずいた。
お姉ちゃんたちの見る映画は私たちより三十分くらい早くに始まるためもうシアターへと入ろうとしている。私がそれに視線を向けると、柚子里が小さく手を振ってきたから振り返した。
グッズを見てる朱音は気づかないみたいだけど。
そして高いですねと呟く朱音は今、手に持ったよくわからないぬいぐるみを買いたいなんて考えてるのかな。
私は映画のグッズをまじまじと見つめる朱音を横目で覗く。すると、私が目を朱音に向けたとき、ちょうどこっちを見るから、目が合って少し恥ずかしくなる。
「・・・・・・ねぇ、月葉」
私が目をそらしてすぐに、朱音が透き通るような声で話しかけてくる。
どうしたの? とは言わなかった。私は黙って朱音の言葉を待った。
「ずっと私は──」
「・・・・・・?」
「いいえ。やっぱり、なんでもないです」
その表情には悲しさが見えなかったから、私は心配という感情こそ抱かなかったものの「ずっと」の先の言葉が気になって仕方なくなってしまった。
一度気になった後のモヤモヤは、なかなか払拭できないもの。
映画の内容は覚えているけど、わざわざ並んで買ったポップコーンの味は全然思い出せなかった。




